∞第18幕∞

 ゆらのと雪月夜ゆきづくよの舞踏会を、とはゑは目を輝かせて見ていた。

 ゆらのはやっぱりかっこよくて、雪月夜はどこまでも美しくて、闇と光の織り重なる景色には、わくわくした。

「とはゑ、とはゑ」

「んぅ?」

 とはゑは、芽言めことに呼ばれて未声みこゑを返すけれど、その視線は流星群みたいにゆらのへ走る雪月夜の光から反らされることはなかった。

 雪月夜に冷やされていくゆらのの体から、もれる桜と菫の花びらが愛らしいと、とはゑは夢中だった。

「どうしてあの情景に期待だけの眼差しを向けられるのか分かりませんけど、ゆらのがとってもピンチですの」

「んみゅ?」

 芽言が言うには、ゆらのが危ないらしい。

 あんなに楽しそうに笑っているし、ゆらのはとっても強いのにどうして、ととはゑは頭の上に、はてなを浮かべる。

「ゆらのへの評価がすこぶる高い気配がするのはいいんですけれど、どうしてとはゑは手助けしないの?」

「て、だすけ?」

 とはゑは自分の横に浮かぶ芽言を見下ろした。

 とはゑは、ゆらのと違って、飛んだり跳ねたり、蹴ったり回ったり、それに未言の神秘を呼び出したりもできないから、なんにもできないのだ。

 それどころか、目の前の腰くらいまである高さの雪も乗り越えらないからここで立っているのだもの。

上光かみみつを呼べば、雪月夜には相性有利余裕ですのよ」

「あ」

 しまった、ととはゑは意味なくおもいた。

 とはゑは、前に未言草子みことそうしを開いた時にもう知っていた。あの本は、未言を綴る他に、綴った未言を自由に呼ぶ役目も備わっている。

 しばらく、とはゑは瞳を丸くして芽言を見つめ続けた。

 その間、桜と菫に色づいたゆらのが、雪月夜がそこら中から差し向ける光を飛び跳ねて避け続けていた。

 こくん、とだいぶ遅れて、とはゑがお人形みたいにうなずいた。

「物分かりがよくて嬉しいですの」

 言葉と裏腹に、芽言の声はけっこう疲れた響きとしていた。

 とはゑが、両の手のひらを、ゆっくりと合わせる。

 その間に、ひらりと鴇色のやわらかな色合いをした本革の栞が、風に吹かれてきたように、納まった。

 とはゑは、祈りをこめて、瞳を閉じる。

 深くはいた息が、指先に当たって立ちのぼり、とはゑの眼鏡を一瞬だけ曇らせた。

 その靄目もやめが晴れた時、おごそかにとはゑは氷銀の瞳を開く。

〈未だことばにあらざりけるを〉

 月は遠く、雪は近く、同じ氷銀ひぎんの光を満たされた静かな夜に、とはゑの絹がこすれるような声がしんとしみこんでいった。

〈かつて納めたりし書よ〉

 とはゑの手のひらの中で、本革の栞がじんわりと熱を持ち、そしてふくらんでいく。

 とはゑは、広がろうとする栞に逆らわず、合わせた手のひらを、芽吹きのように開く。

〈今再び、命が誓い願う祈りを綴るに相応しき姿を想いかたどれ〉

 白鳥が飛び立つ前に翼を広げるのをまねて、とはゑが腕を開いていく。そうして生まれた空間の中で、栞は大きくなり、表と裏に別れて開き、ばさばさとその間に白紙のページをめくり復元していく。

未言邂想リフィール!〉

 謳うように、とはゑが凛音りんとをひびかせた。

 そのロングトーンは、湖にこだまする白鳥のいななきよりも力強く飛び立ち、雪月夜の光が飛び交う夜に踊っていたゆらのにまで届く。

 驚きで足を止めたゆらのを、雪月夜が操る光の線条が取り囲む。

〈未だ言にあらざる者よ〉

 未言から力を借りるやり方を、とはゑはゆらのを見てもうわかっていた。

 左手に乗せた未言草子を、腕を伸ばして掲げる。

〈未だ言と語られぬ事よ〉

 とはゑの足元から、黄金の光が湧き出でてうたぐむ。

 光は、つぷり、ぱつり、と弾けて響乃ゆらのとなり、とはゑの体へと吸い込まれていく。

〈その想い記されしページを芽来めくれ〉

 とはゑの体を通ってきた光は手のひらから放出されて、未言草子のページをめくった。

 そして元より光を宿すそのページに辿り着くと、星から未言草子へと汲み上げられた黄金の光は重しとなってうずくまる。

 空気を凍らせていく光を、ゆらのがにらみ。

 ゆらのの胸に突き刺さろうとして。

 空から霧が舞い降りて、ゆらのを包んだ。

上光かみみつ

 无言むことが鳥の姿を取り戻して、ゆらのを羽包はくるんだ。

 その无言の翼の内側から、黄金の光が透き抜けて見える。

 雪月夜の氷銀の光は、无言の霧を境にして、滑るように迂回していった。

 雪月夜の未言巫女は、ちらとゆらのから視線を外し、とはゑを流し目で捉える。

「无言に私を阻まれる謂れはありません。霧など、雪月夜に有り得る資格がないのですから」

「まさしく。なれば、の内にれの力が徹ることわりもなし」

 无言がその濃度を下げて、ゆらのの姿がとはゑからも見えるようになった。

 ゆらのはなにが起こったのかと戸惑って辺りを見回して、そしてすぐに後ろを見上げて驚きを見せる 。

「あなたは、上光!? どうして? 上光はあたしたちが未言草子に綴ったのに! 」

 ゆらのは、以前に封じこめたと思っていた未言巫女がまた現れたのを見て、身がまえた。

 上光の未言巫女はゆらのを見下ろし、溜め息と共につややかな黒髪を揺らした。

「未言草子に綴ったからこそ、とはゑは上光を自由に呼び出せるんですのー」

 とはゑの肩におすわりをした芽言が、気持ち声を大きめにしてゆらのへと解説を放った。

「え?」

 そも、未言を未言草子に綴るという行為を、世間で言われる魑魅魍魎の封印と同じだとゆらのが考えていたのが、勘違いだ。

 未言草子とは、確かに存在する未言を綴り、証明として扱われてきた本である。

 そこに未言を綴るとは、封印とは全くの真逆の行為。

 未言の存在を世界に認識させるものだ。

 世に存在する者に呼びかける。呼びかけた者に応えて、それは姿を現す。

 それは至って当たり前の因果応報だった。

「とはゑ、よく出来たわね。偉いわ」

 とはゑは、にこゑに頭をなでてもらって目を細めた。

 そして期待に満ちた眼差しでゆらのを見つめる。

「あ、え? えと、ええ?」

 とはゑにじっと見つめられて、ゆらのはなにかを求められていると思うのだけれど、なにを求められているのかわからなくて未声みこゑをさまよわせた。

 ゆらのが答えを見つけられないでいると、とはゑがしょんぼりと影を落とす。

「えええ! 待って、落ち込まないで! ていうか、こんなことしてたら、雪月夜に襲われ……て、あれ?」

 戦いの間に相手以外に気を反らすなんてあるまじきことをしでかしたのに気づき、ゆらのは焦って雪月夜の様子を探る。

 けれど、この隙だらけの状況で、雪月夜の未言巫女はゆらのとその後ろの上光をにらむばかりで、手出しする気配がない。

「え、なに、どういうこと?」

「ゆらの、貴女はまずとはゑにお礼を言いなさいな。そろそろ涙を零しそうよ」

「ぴゃ!? あ、そういうこと! そうね、とはゑが上光呼んで助けてくれたんだもんね!」

 にこゑは悲しみにふるえる妹を見かねて抱きしめながら、にぶいゆらのに答えを投げかけた。

 なにもわからなくて、困惑するばかりのゆらのも、にこゑの言葉でやっととはゑの期待の意味を理解して手をばたつかせた。

 そして一しきりその場の雪を振り乱してから、いさよわしくとはゑに言葉を送る。

「ありがとう、とはゑ、助かったよ。その、すぐにお礼言わなくて、ごめんね?」

 目淵まぶちを決壊させる寸前だったとはゑは、こくんとうなずいた。

 それ以上の動きはないのは、もう満足したからであるし、ゆらのを責めるつもりもないからである。

 ゆらのは、三拍ほど呼吸が過ぎ去ってから、とはゑの気持ちをさとって、ほっと息をつく。

「……って、ちがう、あたし、安心してる場合じゃない。まだ雪月夜との戦いが終わったわけじゃないんだから」

「相も変わらず、己の内のみで話を済ませるが多い娘よな」

 頭上から降ってきた声に、ゆらのは顔を上げた。

 生成りの白衣びゃくえに、緋色の袴という最後に見た時よりも簡素な装いに戻っている上光の未言巫女は、自ら光っているのか、雪月夜の暗がりの中でもその顔立ちがはっきりと見えた。

 无言がずっとゆらのの周囲にただよっているから、ゆらのからすると周りが見にくいのだけど、上光は无言の内側にいてはっきりと見える。

「上光……雲の向こうの光……そういえば、お父さんが……」

 ゆらのがぶつぶつと言葉を繰る。

 結論まで至ると、ゆらのは顔を引きしめて上光の未言巫女を見上げ直した。

「もしかして、上光の雲の方の力で、雪月夜の光を遮って防いでくれてるの?」

「然り。およそ光たるものは、未言なりとも否とも、吾をえ越えられず」

「上光は光を本質とすると同時に、光を遮る障害も内包する未言ですの。光源が遮られて見えないというのは、外からの干渉が一切届かないという未言屈指の無敵を誇るんですのよ」

 ゆらのが父から聞いた話を思い出して導き出した答えを、上光と芽言が肯定した。

 雪月夜が動かないのは、光を本質とする未言であるために全ての行動が無意味におとしめられたからだ。

「あれ? もしかしなくても、最初からとはゑに上光を呼んでもらえてたら、すごく楽だったんじゃ……」

「ですのー。わたくしも早くとはゑにそうしてほしかったのに、とはゑと言ったら、上光を呼べることをすっぽりと頭から抜けて、困ってたの」

 ゆらのが、とはゑを見る。

 とはゑが首をかしげて、細い髪がさらりと鳴った。

 二人は、しばらくただただ見つめ合っていた。

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