♪第17幕♪

 辺りの雪に光が走る。

 月の影がサーチライトのように滑る。

 その光の全てから、雪月夜ゆきづくよの声が反響する。

 思考を他に取られていたのが、圧倒的な敗因だった。

 ゆらのの背後に光が過ぎ去り、その光に置かれた雪月夜が姿を現した。

「がっ……!」

 その白い拳がゆらのの背中をしたたかに打つ。

 およそ少女のものとは思えない、カエルが潰れたような声が漏れる。

 ゆらのといえど、重力に逆らうことはゆるされない。不意を打たれたまま、すさまじい速度で落ちていく。

(……あ)

 ふと、そこで思い至る。

「――〈    〉 」

 何事かを呟く 。雪月夜には届かない。どころか、急速に落ちているせいか、ゆらの自身の耳にすら、それは聞こえなかった。

 地面が近づく。

 残り、七メートルほどだろうか。

 雪でおおわれている とはいえ、下手にぶつかればダメージはまぬがれない。

 しかし、未言少女は、あきらめなかった。

(不意打ちくらい、今まで何度もあったっつーの!)

 ゆらのの目がさらに鋭くなる。

 一度身を返し、つま先で着地。そのまま体を丸め、後転の要領で衝撃を殺す。

 そして、

「ハアァッ! 」

 次の瞬間には、再び空中に飛び上がっていた。

 雪月夜は、何も言わなかった。

 ただ、舞踊のようになめらかに、手の甲で空気をなでた。

 その軌跡から、光がゆらのに向けて放たれる。それは、触れるものを凍てつかせる無慈悲で美しい光だ。

 手の動きだけでそれを視切っていたゆらのは、光線を全てかわす 。

 向かうは頭上の未言巫女、それだけだ。

 そのままの勢いで、雪月夜に向かって吠える。

「〈錆雪さびゆき〉!」

 銀世界に、万年筆のあでやかなピンクのインクが映える。桜華から飛び出したそれは、泥や煤で赤ずんだ白に変わった。

 神秘を失った雪は、目の前まで迫っていた雪月夜の顔面に当たる。

「―――ダァッ!」

 その目くらましと同時に、ゆらのは強烈なキックをお見舞いした。

 そして、短く息を吸う。

 ゆらのの、渾身の横蹴りに、雪月夜の腕が添えられていた。

 雪月夜がひじを時計回りに動かすのに勢いを反らされて、ゆらのの蹴りは大きく逸らされる。勢いを殺せないまま、小さな身体が明後日の方に飛んでいく。

 ゆらのは、それを予測していた。

「〈鎮闇しづやみ〉」

 桜華を一振り、空中で身をひるがえす。できたたばかりの〈鎮闇〉の床を蹴り飛ばした。

 くるりと前宙すれば、ちょうどそこは雪月夜の頭上三メートルほどの位置だった。

 もはや、ゆらのの頭には、相手を倒す方法以外、浮かんでいなかった。

 追撃の蹴りを見舞う。

 手には、きらめく桜華がにぎられている。

 雪月夜の体から光がこぼれた。

 それは空気すらも一瞬で凍らせて、巨大な凍結剣山を生み出し、ゆらのを待ち構える。

 しかし、それに、ゆらのがおののくことは無かった。

 火種はすでに、まいていた。

 その時点では全く意味をなさずとも、大きなかがり火となる種だった。

(そう、『ゆきむ』すら敵わないほどの熱が、今のあたしには、ある)

 度重なる攻撃により、ゆらのの心臓は燃えたぎっていた。

 思考はクリアなくせに、身体が熱かった。大量の魔力消費が、ゆらのにおそいかかっていた。内側から食い破られそうなほどのそれを、ゆらのは見過ごしていない。

 そして、ゆらのは未言みことを知っている。その未言を、知っている。

 熱が体にたまり、身の内からむしばまれるように感じる状態を、表す未言。

 その熱は、彼女自身から発せられる言葉によって、現実となる。

「〈火食ほばむ〉」

 ゆらのの身体が、火をまとう。

 自身と炎の間に魔力の結界を張ったことで、その炎がゆらのの皮膚を直接むしばむことは無かった。

「う、ぁう」

 ただ「熱い」という感覚だけが、ゆらのをおそう。

 自身の未声みこゑを無視し、ゆらのは真下をにらみつける。

 効果は絶大だった。触れたところから、氷の剣山は溶け消え去る。

 その先にあるのは、雪月夜の首筋だ。

 ――首筋だった、はずだ。

 なのに、ゆらののかかとには、雪月夜のかかとが鏡合わせに重なっている。

 雪月夜のかかとは、パンプス越しでも分かるほど冷たい。

 にぃ、とゆらのの口端が上がる。

「――〈    〉」

「もう一度、空を飛びなさいませ」

 未言巫女と未言少女が、同時に言葉を発した。

 雪月夜の体のバネが弾け、その運動エネルギーを与えられたゆらのが宙を舞う。

 宙を舞いながらも、その笑みはゆらがなかった。

 ゆらのは大きく距離を取ってから、〈鎮闇〉に着地する。

 その身体は、まだ炎をわずかにまとっていた。足がふるえている 。二本の万年筆の先は、だらりと下に向いていた。

 肩で息をしながら、視線だけを雪月夜に刺す。

 しかし、雪月夜からの反撃は、来なかった。

 表情は、あの恐ろしい微笑のままだったが、どこか戸惑いがあるようにも、見えた。

 ゆらのが、それに応える。

「火食むあたしに触れたのだから――当然、アナタも熱を帯びる、そうよね?」

 そして彼女は、もう一度その未言を口にする。

「〈火包ほくるむ〉」

 その手には、未だ輝きを保つ宵菫がある。

 火包む。

 火などの熱源に当たって、じんわりと毛布に包まれるように体が温まることを言う。

 雪は全てを凍てつかせるが、炎には弱い。

 今、雪月夜は、全身に見えないとろ火をまとっているような、柔らかな布で温められているような、そんな状態にあるのだ。

 ゆらのは、もう一つ、大きく息を吸い、二本の万年筆を構えた。

 ――やるせなさそうに、雪月夜が溜め息を吐いた。

 空気が、変わった。

 ゆらのが、思わず空を見上げる。

 しかし、それは遅かった。

 空には、人の手に届かない月がある。

 空には、人の目には納まりきらない星がある。

 そして地には、人を全て埋めてなお余る雪が広がる。

「――ああっもう、これだから未言巫女は!」

 ゆらのの声は、目の前の世界を彩る、月と、星と、雪によって、押しつぶされる。

 その全てから、光が流星のごとく走り。

 その全てから、冷気が隕石のように押し寄せ。

 その全てから、棺桶のように闇がうごめいた。

 それらは時と熱と命を凍てつかせ。

 ゆらのがまとう紅も、いつの間にか、無惨に鎮火していた。

 いや、それどころか、ゆらのの肌も、そして喉の奥も、命の底さえも、冷えて凍てついていた。それらはきしみ、凝固する自らの勢いに負けて、砕け散ろうとしている。

 それでも――ゆらのは、笑顔だった。

 吐いた悪態は、何よりも楽しげだった。

 新しいおもちゃを見た幼い子のように、輝く瞳で、それを見た。

 あれ、と、ゆらのは思う。

(久しぶりに、本当に、楽しい、かも?)

 瞬間、桜華から、宵菫から、魔力があふれ出した。

 桜吹雪と菫の花びらが、彼女の周りで踊る。それらは光を振り捨て、冷気を払い、闇を追い出して鮮やかに光る。

 ゆらのの瞳の中で、濃い桜色と紫が、ちりちりと揺らめく。

「――んぅ?」

 校舎内で小さく発された声は、巫女と少女に届かなかった。

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