♪第16幕♪

 ゆらのは、太ももに巻き付けたホルダーから、もう一本、万年筆を取り出した。

 宵闇のような、深い菫色の軸。金色のペン先は、月の光を反射してきらめいている。

 「宵菫しょうきん」と呼ばれる万年筆だ。

 力を徐々に高めていくタイプのものだ。途中で発動を阻害されやすいのが玉にキズだが、最終的に得る結果も大きい。

(落ち着いて……落ち着いて……。あせって戦ったところで、勝てる相手じゃない。でも、上光かみみつほど敵わない相手でも、ない。雪月夜ゆきづくよは、申し込んだ決闘ってやつをきちんとかってくれる未言巫女だ。まずは、息を整えること。それから……)

 ゆらのは、桜華おうかと宵菫を、おはしを持つ要領で右手に持つ。久々の共闘がうれしいのか、桜華からひとひらの桜がこぼれでた。

 それに合わせるように、宵菫から、ゆるやかに菫の花びらが流れ出る。

〈未だことばにあらざるを〉

〈今此処に綴るに相応しき色を誓い願う祈りのままに〉

〈この一筆に湧き出だせ〉

未言充添インフィル!〉

 本日二度目の詠唱。

 ゆらのの視界が一瞬、ぐらりと揺れる。

 さんざん桜華を使った上での、二本同時使用だ。当然、消費魔力も、使用者へのダメージも大きくなる。それを気合いだけで収めて、ゆらのは前を見る。

 雪月夜は、ただ目の前の少女を見ている。その力量をおしはかるように、見ている。

 その視線は、何もかもを凍らせてしまいそうなほどに冷たい。

 そしてゆらのが口にするのは、雪が降る時、または降りそうな時に、雪の不思議な香りが空気を澄ませることをあらわす未言。

「――〈ゆきむ〉」

 瞬間、ゆらのの髪がぶわりとひろがる。

 戦闘でゆだっていた頭が冷え、視界がクリアになった。

 感覚が研ぎ澄まされる。

 ゆらのの思考が全て、目の前の戦いに、雪月夜だけに向けられる。

 今なら、風よりも速く動けそうな、そんな気配すらあった。

 生身の人間が、人でない強大なものに余裕で勝つのはむずかしい 。

 また、ゆらのは未言みことの力を使えるが、それには『その場に存在する未言のみ』 という制限がつく。例えば、火の気のないところでは、火に関する未言を発現することはできない。

 かといって、相手は雪と月と夜をかたどる未言だ。それらに関する未言のみで勝負することは、当然ながら厳しい。

 だから、こうやって、ゆらのも自身の能力を無理矢理上げる必要があった。

 雪月夜もそれを理解しているらしく、静かに時が来るのを待っている。

 使えるものは使ってかかってきなさい――そう言っているかのようだ。

 ゆらのは桜華と宵菫を一緒ににぎった状態で、それらの切っ先を雪月夜に向けた。

 そして、まばたき一つ分の間の後。

 ゆらのが吠える。

「はじめます――〈靄目もやめ〉!」

 桜華から、白いが噴き出した。

 それはあっという間に雪月夜とゆらの、そして屋上を包み込み、全ての視界をさえぎる。

「もうよろしいのでしょうか」

 雪月夜は、もやのかかる中で、動いた気配を見せない。

 切れ味の鋭い、澄んだ声が、もやを切り裂いてゆらのに届く。

「あまりに手間をかけすぎです。果し合いを申し込んだのはそちらですが、随分と甘えたお考えのようで」

「ええ、宜しく!」

 ゆらのが駆けだす。声で居場所を判別されないよう、すばやく動き続けながら答える。

「お待たせしてごめんなさい。でも、貴方とは、サイゼンを尽くして戦い戦いたかったから!」

 もちろん強がりだ。でも、本音でもあった。

「最善? まるで足りませんが」

 雪月夜の冷ややかな言葉と共に、屋上に敷かれた雪が光をもらす。

 当然、ゆらのの足元にも、その光は届いた。どこにいたとしても、足が地面についている以上、それからは逃れられない。

 ゆらのは、雪月夜の言葉に応えなかった。

 光を視界の端にとらえた瞬間、強く地面を踏み切って跳躍する。

 〈雪の澄む〉の能力で、大幅に上がった思考力と身体能力は、ゆらのの身体を大きく宙に舞わせた。

 そして雪から生まれ出た光は、バラバラに天へと向かって放たれる。

 通り過ぎた空気は瞬時に凍てつき、氷の粒が氷銀をちらつかせる。それは、星を落とそうとする鎖のついた矢のようだった。

 視界の不良など、空間全てに向けて攻撃を差し向ければ、なんの意味もない。

 ゆらのの心臓に向かって、何本もの光線が伸びていく。

 その時、雪月夜と同じくらい冷静な声が響いた。

「〈鎮闇しづやみ〉」

 ゆらのの言葉と共に、飛び上がったその足元に真っ暗な空間が生まれる。

 それは、そこにあるものの存在感を喪失させる深夜の闇。光や音を飲み込んでしまうかのような、静かな闇。

 光を吸収する床が、光とゆらのを、ぎりぎりのところでへだてた。

 向かってきた光の矢は、全て鎮闇に沈む。

 ゆらのは、同時に〈鎮闇〉を着地点にしてさらに跳躍する。発動した者の足が沈むようなヘマはしなかった。

 チャイナドレスのスリットを基点に、その鮮やかなすそがひらめいた。

 すう、とゆらのが大きく息を吸う。

 その数瞬後、さらに桜華がきらめく。

「〈ゆき〉!」

 道行く人の身を切るほどに、冷たく鋭く吹き荒ぶ雪の刃が、万年筆の先から噴き出す。

 幾千もの切っ先が、真下にいた雪月夜に向かって飛ぶ。

 刹那。

 雪月夜が、閃光となって姿をかき消した。

「――――っ!」

(そうか、雪月夜は光を軸とする未言――姿をくらますくらいはできるか!)

 〈鎮闇〉を土台にして、跳躍を重ねていたゆらのは、もう一段〈鎮闇〉の着地点を作る。

 瞬時に飛び上がれば、屋上の扉が、ずいぶんとちっぽけに見えた。

 視力の上がったゆらのの視線が、とはゑをとらえる。

 ぼうっと自身をながめる 少女は、確かに守りたいと思える存在であり、仲間だった。

(そうだ、とはゑに、雪月夜の詩を、)

 書いてもらわなきゃ、とまでは、考えられなかった。

「あまりに遅い」

 その思考をさえぎったのは、もちろん、何もかもを凍てつかせる声だ。

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