♪第15幕♪

 それは、まさに夜空に浮かぶ月のようなまばゆさだった。

 最初に目につくのは、ゆらのを今にも貫かんとするその鋭い視線だ。

 ぬばたまの黒髪と同じ色をした瞳は、先に出会った上光かみみつのそれとは全くの別物だといえるだろう。濃く、深い黒の表面には、六花が散りばめられている。月の光に反射する雪の結晶の輝きは、ゆらのの足を止めさせるのに十分すぎるほどだった。

 唇に紅はない。雪月夜ゆきづくよは、その口の端だけを静かに上げてみせる。

 優雅なその微笑みは、強者だけが持つ余裕だった。

 肌は透き通るように白い。陶器のような、しかし人に酷似した柔肌と分かるそれを、艶やかなナイトドレスが包んでいる。

 ドレスは、黒に近い藍色に染められた絹でできている。それは冷気をまとっているようで、水蒸気が凍ってきらめいて見えた。

 ゆらのの目には、星々が瞬いているようにも映った。

 形は緩やかなワンピース型で、ナイトドレスにしては裾が長めだ。夜色は足元までを覆っおり、細くてしなやかな身体つきであることが見て取れる。無駄な肉は一切ついていない。レース状になった袖からのぞく腕の筋肉は、明らかに鍛えているとわかるものだ。

 まるで、戦を好む貴婦人のような姿に、ゆらのは息を飲む。


 そして、次の瞬間、雪月夜が跳んだ。


「―――っ!」

 考えるよりも早く、ゆらのの身体が動いた。

 真っすぐ突っ込んできたその未言を、ゆらのは上半身をひねることでかわす。凍りつこうとしていたゆらのの前髪が、数本舞った。

 雪月夜の奇襲は、それで終わりではなかった。すぐさま、手刀による強烈な突きがくる。

 悪態をつくひまさえ、与えられなかった。

「〈光景ひかりかぐ〉!」

 ゆらのは思い切り万年筆を持った腕を振る。

 それは、光が景色を色づけることを表す未言だ。凍りついた世界に、沁み込んだ氷銀ひぎんの月光が折り重なる。

 防壁となったそれは、つららのごとき指先が触れた瞬間、打ち砕かれる。ゆらのはバックステップと共に、盾を何重にも生み出す。

 幼い子が絵筆を振るうような仕草に、雪月夜の色のない唇が動く。

「弱いですね」

 その言葉をはっきりと聞き取れたのは、とはゑとにこゑの方だろう。ゆらのは、言葉を発することで相手の攻撃が一瞬弱まったのを見て、大きく地面を後ろに蹴る。雪という最悪の足場に何とか踏みとどまりながら間合いを取った。

 息をつく間もなく追撃が来る。二歩で詰めてくる雪月夜を、ゆらのは睨みつけた。二歩あれば、反撃の用意など容易い。

「〈星凍ほしいつ〉!」

 叫んだ先に現れるのは、白く冷たく輝く星々の銃弾だ。

 冬の寒い夜空に星が際立ってきらめいている様子を表すそれらは、小さいほど速さを増す。それを十数個宙に浮かせ、

「どぉいやっ!」

 万年筆の動きと合わせて雪月夜の方へ一気に投げる。

「粒如きで、私を止められると思うとは、愚かなことです」

 雪月夜は、それを片手だけでなぎ払った。キラキラと光の破片が散る。

 しかしそれは、陽動に過ぎなかった。

 雪月夜が〈星凍つ〉の方に視線を向けたと同時に、ゆらのの口は開いていた。

「〈研光とみつ〉」

 かくん、と艶やかなナイトドレスが、ようやく動きを止める。

 研光は、水や氷、雪などを通過して、よりまばゆくなった光の事を言う。降り積もった雪や、雪月夜自身で研がれた杭は、しっかりとドレスの裾に食い込んでいた。

「……ふう、冬の代表格であるあなたにとっては小石くらいのもの、でしょうけれど……せめて話くらいは聞いてほしい、ですね……」

 次の瞬間には杭を吐息で破壊していた雪月夜は、ゆらのの言葉に立ち止まった。

 ゆらのは一気に大量の魔力を消費したこともあり、一度深く息を吐いた。

 湯気の立ちのぼる身体に、雪月夜が顔をしかめる。

「何も為さずに、何故自分の言い分を聞き入れてもらえると思っているのですか」

 その未言巫女は、有無を言わせない高貴なふるまいと共に、静かに首を振る。

「甘えがすぎます。これくらいの試練、権利を手にする気があるのなら乗り越えて見せなさい、人間」

 それは強く、深く、沁みとおるような声だった。一度聞いただけで並大抵の者は凍りついてしまいそうなそれに、ゆらのは背を震わせる。

(なんとか……話を聞いてもらえるだけの試練は……突破できそう、ってとこかしらね……もう、この手の、話を聞かない未言巫女はこりごりだわ)

 黙りこくったままのゆらのに、雪月夜は心底つまらなさそうな表情を浮かべる。

「で、何でしょうか。 無理に冬尽ふゆつくすを呼び寄せた挙句、今度は私ですか。まさか、あれと私を間違えたというわけではないでしょう」

 そのまさかです、とは流石に言えず、ゆらのは唇をかむ。さらに数秒、息を整えてから、ようやく口を開いた。

「その、時期を考えて出てきてもらいたいなって……。もうすぐ春だと言うのに、さすがにこの雪の量はないわ、雪月夜。だから、とはゑの『未言草紙』に収まってちょうだい」

 ゆらのは、雪月夜の目を見る。鋭い眼光が、ゆらのをつらぬく 。たじろいでしまいそうになるのを必死でこらえながら、大きく息を吸い込んだ。

(大丈夫。いつでも切り札は、このあたし自身なんだから)

「――そのための試練を、あたしは越えてみせるわ」

 それを聞いて。

 雪月夜が、音もなく笑う。

 それは、何もかもが凍りつく、絶対零度の微笑だった。

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