03 エルカはカエル

 五月十三日、木曜日。

 午後三時半。


 わたしは学校帰りの路地で、二人の女子と向き合っていた。


「いいよ、別に。それで試合がやれるんならね。新しいチームだなんて、面白そうだしね。どうちゃん、構わないよね。別にいいよね。あたしたちいつも試合をやりたいって話してたもんね」


 雲をつくかのようにひょろひょろと背の高いともは、無表情な顔に似合わないぺらぺら回る早口で、友人を見下ろしながら尋ねた。


 友人、どうふさも小五としてはかなりの大柄だが、小久保友子がそれを遥かに上回る長身であるため、必然見下ろされる恰好になってしまうのだ。


 工藤房江は、にこにこ笑みを浮かべながら、こくんこくんと頷いた。


 相変わらずだな、この二人は。

 わたしは三年生四年生の時にこの二人と同じクラスだったのだけど、あの頃とまったくといっていいほど変わっていない。さらに背が伸びているくらいか。


 小久保友子は鉄仮面のごとく無表情なのだけど、もの凄くおしゃべり。


 工藤房江はいつもにこにこ笑顔なんだけど、極端に口数が少ない。最低限のことは喋るけど、無駄口はまずきかない。


 ぱっと見には対極的だが、どちらも内面はおっとりタイプ。だからこそ、わたしもクラスが一緒の時にはそこそこ仲良くすることが出来て、いまもこうして話し掛けることが出来ているのだ。


「ありがとう。でもね、まだ決めないでいいから。ちゃんと納得した上で入らないと、絶対に後で……」


 悔いることになるから、だから入団にあたってのリスク(=ボスの性格)を説明しようと思ったのだけど……


「でめえコオロギ! 裏切る気かあ! 本人やるっていってんじゃねえかあああああ!」


 突然のカミナリに、わたしは垂直飛び小学生記録が出そうなほどに飛び上がっていた。


 振り向くと、ほとんど体重のなさそうな小さな身体のくせにどどどどと凄まじい足音と砂煙をたてて、ボスが怒りの形相で走ってきた。

 ずざざざあ、と急ブレーキで滑りながら、


「お前、なんだかホームラン打ちそうだからバース!」


 ボスは、にこにこ顔の工藤房江をぴしっと指差した。お釈迦様の天上天下なんとやらのように、ほとんど指は真上を向いている。身長差があまりにあり過ぎるので、近寄ると必然こうなってしまうのだだ。


 その指を、さらにさらに大きな小久保友子へと、分度器で線を引くがごとく物おじすることなく向けて、


「お前はあ、ひょろひょろくそでけえからノッポ!」


 インスピレーションで、ぱぱっと名前を即決していく。

 初対面で何年生かも分からないのに、よくお前呼ばわり出来るよな。怖いものなさすぎだよ。


 しかし、何故そうあだ名にこだわるのだろう。

 気持ちは分からなくもないけどね。それぞれ変なあだ名で呼び合うのは、少年野球漫画やドラマの王道だからな。ガッチンとかトーテムとかヒサキューとか。

 仲間意識の向上で、結束が高まることもあるだろうし。


 と、このような経緯によって、にこにこ無口のバースと、むっつりお喋りのノッポが、我々の野球仲間に加わったのだった。


 わたしは二人に、ボスを紹介した。

 本当は、その後に入るかどうか決めて欲しかったけど、もうどうしようもない。


「ところでボス、あの子は誰ですか?」


 わたしは中腰になって、ボスの耳元で囁いた。

 ボスがこの場へざりざりざりと滑りながら乱入して来た際に、後を追うようにやって来てずっと電柱の陰から見ている子がいるのだ。


「聞こえてます?」


 おかしいな。返事がない。

 わたしはボスの右耳から左耳へ、近づける口を変えて、少しだけ声を大きくして再度囁いた。


「ボス、あの子は誰ですか?」

「うわあびっくりした! 急にデカイ声出すなよ! ああ、あいつ? あいつはなあ……それより、チビだからってバカにすんなよ!」

「いたっ!」


 ボスが突然怒って、わたしの足を蹴っ飛ばしてきたのだ。

 わざわざ中腰になっているところが、カチンと来たのだろう。


「屈まないと、ひそひそ話が出来ないじゃないですか。ボスがもっと大きければ別ですけど」

「またいったなあ。こうしてよじ上れば出来るだろうが!」


 ボスは、わたしの腕をがしと掴んで、足を踏みつけ、本当によじ上ろうとして来た。


「いたっ! いたいっ! ごめんなさい! それよりも、あの子は?」

「フロッグ。六年生だってさ」

「六年生? あの子とか失礼なこといっちゃった」


 こんなこともあろうかとひそひそ話をしようとおもったのに、ボスったら無視するんだもの。


 フロッグと呼ばれた六年生、背はわたしと同じくらいなのだけど、顔立ちが四年生と見間違えるほど幼かったので、少なくとも年上とはつゆにも思わなかったのだ。


「ここにいるってことは、チームの、仲間ってことですよね」

「そ。隣の学校まで行って、飢えた狼を探してきたぜ。ピッチャーだぞピッチャー」

「へえ」


 なんだかおどおどした感じでとても狼には見えないけど、でもピッチャーをやっていたというだけで凄い。特殊なポジションだからな。

 不可欠であるが故に草野球レベルならば誰もが経験したことあるポジションではあるけれど。


 しかし隣の学校まで探しに行くとは、ボスの行動力ってもの凄いな。ほんとパワーの塊だ。


「フロッグ、こっちきて挨拶しろ」


 ボスは、相手が上級生だというのにどっちが目下かとばかりにちょいちょいと指で招いた。


「ハザマです。はじめまして。……とりあえず、五年生まで所属していたチームではピッチャーやってました」

「とりあえずの四文字は余計だあ! とりあえずの意味が分かんねえぞお! でも色々とぐらつくから説明は決してするなあ!」


 日本語の曖昧表現に腹が立ったようで、ボスは怒り声で両腕を振り上げ、ぶんぶんと回した。

 本当に、六年を六年と思っていないな。いくら他校とはいえ。

 それと、とりあえずは五文字だろう。


「すみません気をつけます。……名前の漢字がちょっと難しいんだけど、こういう字を書きます」


 ボスにフロッグと呼ばれた他校の六年生は挨拶を続け、くるり後ろを向いてランドセルを開いた。ぎっちり詰まって重そうなランドセルなのに、帰宅せずに直接こっちに来たのか。きっとボスにぐいぐい引っ張られたんだろうな。


 開いたランドセルには、マジックで書かれた名前の紙が、ラミネートに保護されて入っている。

 狭間江瑠香、ハザマエルカとカナが振られている。


「ひょっとして名前をひっくり返して、フロッグ?」


 小久保友子……ノッポが尋ねた。

 フロッグはぷるぷると首を振った。


「緊張すっと頬っぺたぷうってなるからだってさ。紹介してくれた子がそういってた」


 ボスが説明した。つまりボス命名ではなく、元々からのあだ名というわけか。


 これで、六人まで集まった。

 ボス。

 コオロギ、つまりわたし。

 ここにいないけど、ドン。

 バース。

 ノッポ。

 フロッグ。

 あと三人だ。それで対外試合に参加可能なチームが作れる。


 なんだか、楽しくなってきた。

 もちろん不安もたくさんあるけれど。

 この仲間たちとだったら、乗り越えられるのではないか。

 そんな陳腐な台詞を頭の中で唱えている自分が、なんともくすぐったかった。

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