第66話 暗殺者、返り討ちにあう

「……来た」


 静電気の如く、学院中に巡らせた結界に感触があった。

 鮮血と血肉に塗れた、鼻が曲がりそうな感触。

 ネズミに似た、殺戮者特有の気配。間違いない。


 ジャバウォックの中枢を担うグレーかハイーロのどちらかだろう。

 俺の反応は、丁度近くにいたアルフにも伝わった。

 皆まで言う必要はなく、事態をアルフも察してくれた。

 

「ジャバウォックか?」

 

「少しハノンとエニーには言い訳しておいてくれ。ハノンには伝えたがな」


「分かった。こっちは僕に任せてくれ」


 俺は奥の方で二人仲良く陰属性の陰陽道を極めている二人を一瞥して、俺は殺気の源に向かう。

 


       ■      ■


 一方その頃、ハイーロは一人の生徒会メンバーに目を付けていた。

 ツルキからすれば殺気の塊であり、現在追跡されてしまっている訳だが、一般人からすれば一般人と変わらない。

 適当に変装して、適当に取り繕うくらいがちょうどいい。

 顔すら隠そうとしない堂々さは、ある人は「外部から来た先生」だとか「学院内で働く用務員」なんて適当な内容で片付けられていた。

 

(……世界一の名門学院といえど、結局ぬるま湯ぜよ。帝国とは一触即発の間柄の癖に平和ボケしてんねぇ)


 平穏な日々の一部を辟易しつつ眺めながら、着々と最初の標的を視界にとらえる。

 三つ編みにした、生徒会のメンバーだ。名前はアンネ。第二学年、Bクラスの女子学生だ。


(さあて、まずは生徒会長を釣るための、餌を拾うとするかねゃ)


 周りに人がいる事は関係ない。

 この廊下には他にも三人いるが、それぞれの意識がアンネから逸れるタイミングは何回も確認できている。

 彼女がここから歩く道には、放課後の無人の教室や、更には二人分隠れるには十分な隙間も把握できている。

 

 いかな魔術の使い手であろうと、素手での制圧方法は理解している。

 更に言えば、ハイーロはアンネを即死させようとしている。

 華奢な首の骨を折れば、声も立てる事無く儚い一生を終える。

 

 しかし傍から見れば、ハイーロの歩く姿はあくまで自然だ。

 あと数歩でハイーロとアンネが擦れ違う。

 その交点の横には、トイレがある。

 

(……次に周りの視界が逸れたら、丁度いい。トイレの中なら死体が失禁する排泄物の心配もない、よなぁ)


 そう言いながら廊下ですれ違おうとした。

 アンネの体が、自動的に間合いに入る。

 その柔らかな首目掛けて、掌を突き出す――!

 

 

「あれ?」


 そしてアンネは、首を傾げた。

 “遂先ほどまでスーツを着ていた人とすれ違ったと思ったら、既に消えていたからだ”。

 だがそれも直ぐに忘れ、優しくも厳しいジャスミンが待つ生徒会室へ向かった。

 

 

 

「……!?」


 連れ去られたのは、ハイーロ自身だった。

 一秒の間だけ自由が奪われたかと思えば、人通りのない学院の裏道に転がされていた。

 すぐさま体勢を立て直し、自分をここまで運んだ相手を戦闘体勢のまま凝視する。

 

 目の前で幽霊のように佇んでいたのは、黒いコートを着た痩せ型の中年だった。

 確かヒューガという教師だったはずだ。

 眼鏡を一度だけ治し、その奥の瞳で睨み返してくる。

 

「酷いじゃか、先生……急に何するんだぜよ」


「今日は外部から教師やゲストが来る予定ではない。そして用務員や保護者に君の様な人はいない。今朝王都中に通達があった不審者とは、君の事だね」


(全員の用務員と生徒の保護者を熟知してるだと……? とんだ教師もいたもんだ)


 流石に世界一の名門魔術学院。

 一人や二人は“場慣れ”している人財もいたという事か。


 最早韜晦は無意味と悟る。

 ヒューガを障害と即断即決し、一気に暗殺者としての臨戦態勢に入った。

 

(“メタルライト”)

 

 銀色の魔法陣が右手を包む。

 右手の筋肉に特殊な魔術を宿す事で、鋼のそれと変わらない状態になる。

 剣と鍔ぜり合っても引けを取らず、寧ろこれまで百単位で刃を折って来た。

 これから放つ音速の歩法縮地を織り交ぜれば、どんな人間の体も虫を潰すのと変わらない。

 

「男も女も嬲る気はないぜよ。ちゃんと即死させてやるから、感謝しろ――よっ!」


 ハイーロの体がその場から消えた。

 途端、ヒューガの周りで破裂音が連続した。火炎魔術ではない。あまり強すぎる脚力が生み出す、足音が織りなす異常だった――即ち“縮地”。

 更には縮地の速度を弄る事で、残像を周りに出現させていた。

 

「……」


「縮地は未知か。声も出せんやか」


 全く目が追いついておらず、不動の仁王立ちをする事しか出来ないヒューガを見て勝ちを確信すると、一気に勝負を付けに行った。

 隙のない体制だったが、利き腕は恐らく左。

 ならばセオリー通り、利き腕とは逆の、右後ろから鋼鉄化した肉体をぶつける――。

 

 キィン、と。

 ハイーロの思惑は、メタルライトと鍔ぜり合った刃に阻まれた。

 

(反応しただと……!? しかも剣ってどこに……)


 神速をゼロにして、もう一回ヒューガを見る。剣どころか武器は握られていない。

 だがそもそも縮地の速度に、明らかに死角からの一撃だったのにも関わらず、とにかく一撃を捌いて見せたのだ。努々油断することなかれ。

 相変わらず仁王立ちを繰り返す一介の教師を歴戦の兵士と見なし、一度慎重になろうと深呼吸した時。

 

 だがその時には。

 もう遅かった。

 

「!?」


 メタルライトによって鋼鉄にコーティングされ、数多の刃を砕いてきた右腕。

 世界で一番固いと自負していた右腕が、先程交えた瞬間、真っ二つに割かれていた。

 切断は一気に胴体まで及ぶ。

 

「そんな、この右腕が……縮地が……攻略されるなど……こいつ……何……者」

 

 あとはもう、前面と後面で、真っ二つになるだけだった。

 最後に見えたのは、最後まで仁王立ちだったヒューガのゴミでも見るかのような顔だった。

 

 

       ■       ■

 

 おかしい。

 さっきまで殺気の塊が蠢いていたにもかかわらず、突如フェードアウトした。

 まさか逃げられたか?

 だが、先程まで学院内の敷地内に入り込んでいた筈だ。

 縮地があるとはいえ、入り組んだ校内で簡単に逃げられるものなのか?

 

「ヒューガ先生?」


「やぁ、ツルキ。部活動はどうした?」

 

 途絶えた地点まで行くと、そこに立っていたのはヒューガ先生だった。

 確かにこの場所で侵入者の痕跡は消えている。

 勿論その正体はヒューガ先生ではない。まったく別の気配だった。

 

 一体どうなっているんだろうか。

 ……もしや、誰か連れ去られた後かもしれない。

 

「さっき、明らかにこの学院の人間ではなさそうな奴を見つけて、追って来たんですが」


「朝周知があった、不審者の事かね?」


「はい。さっきから見つからなくて。もしかしたら、誰かに被害を与えているかもしれない」


「ツルキ。しかし不審者相手に一人で追うのは感心しない。そこはちゃんと先生を頼るんだ」


「それは……すんませんでした」


「不審者については、教師総出で探す。また学校内に残った生徒に被害や、行方不明者がいないかも調べよう」


「分かりました。ありがとうございます」


 一応は誰が連れ去られたか、もしくは誰も被害に遭わなかったかは分かりそうだ。

 俺もこれ以上侵入者の手掛かりが掴めない以上、出来る事は陰陽道部に戻る事だけだった。

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