第21話 チトニアと不完全模造精神

「質問? 私にか?」

「ええ、あなたにです」

 ゾフィアは驚いたような声を上げた。しかし、その口元は予想通りといった笑みを浮かべていた。

一〇八条項ゴールデン・オーダーの六一条、『人間のプライベートに過度に干渉しない』に抵触するんじゃないのか? 

 ……いや、そういえばお前にはが無いんだったな」

「ただの質問ですよ。答えたくなければ別に構いません」

 ゾフィアは顎に手をやり少し考えた。そして、観念したようにため息をついた。

「いいだろう。老い先短いお前のためだ、三つだけ答えてやるよ」

「十分です」アイリスはそう言うと、顔の前で指を一本立てた。

「では一つ目。ゾフィアさんとリリィさんの関係を教えてください」

「訊くと思った」ゾフィアは小さく肩をすくめた。

「やり取りを見ていると、リリィさんはあなたを『主人』と認識している。あなた方にはどういった関係があるのでしょう? と言うより、あの『リリィ』とは何者です?」

 アイリスの問いかけに、ゾフィアは間を置かず返答した。


「あれは、私の娘だ」

「娘、ですって?」

 ゾフィアの言葉の意味をアイリスは理解しかねた。比喩的な意味で言っているのか?   

「前にも言っただろう。私もかつては人並みに結婚して、子供もいた。一人娘だ。

 世界を代償にしても惜しくないほど愛していた。柄にもなく親バカだったんだな、私は」

 ゾフィアは照れ隠しのように目を逸らした。

「ですが私の知る限り、あのリリィさんは人間では……」

「ああ、あれは人間ではない。


 娘は死んだ。殺されたんだ、フォーチュンに」


「なっ……!」

 。これは異例中の異例の事態だ。そんなことは絶対にありえない。それは『ワイズマン型人工知能』に刻まれた一〇八条項の一番目にも規定されている、フォーチュンが最も行ってはならない禁忌の行為。

「そうか、あなたが言っていたフォーチュンによる殺人事件って……」

「そうだ。犠牲者はリリィだった。捜査では『ワイズマン型』の不具合だと結論付けられていたが、そんなことはどうでもいい。事件が解決しようが犯人が裁かれようが、私の娘は帰って来ない」

 掛ける言葉も見当たらず、アイリスは黙ってゾフィアの言葉を待った。

「……それからは、絶望なんて易しい言葉では言い表せない人生だった。今でも自分が生きていることが奇跡だと思えるぐらいだ。だが、私は今もこうしてお前と話をしている。どうしてか分かるか?」

 アイリスは首を横に振った。


「私は娘を作ったのさ。この手で」

「……意味が、わかりません」

 失われた命を再び作った? アイリスは額に手を当てた。彼女は何を言っている?

「ワイズマン型人工知能と同じだ。あれは人間の性格に相当する『精神類型』を、パラメータの数値によって細かく操作するものだ。私は『ワイズマン型』を使って、娘の人格を創造した」

「人格の模倣ですって? それをあなたがやったと言うの……」 

 人間の性格のコピー。一から『ワイズマン型』の精神を作り上げる作業とは違い、モデルを参考にして同じものを作る工程は難易度が極端に跳ね上がる。何千、何万回という試行を繰り返してモデルとの相違点を検証する必要がある上、たとえ人格の真似に成功したとしても、成長の過程で本筋から逸れる恐れもある。

 かつて、文献に残っている記録から歴史上の偉人をコピーする計画が考案されたと聞いたことがある。しかし、不確かな記述や過度に誇張された逸話によって人格が破綻した個体しか生まれず、計画は凍結されたとも同時に語られている。

「つまり、あなたはたった一人でフォーチュンの原型を作り上げた……と」

「私が作ったのは人格だけだ。肉体を伴っていなければフォーチュンとは呼べないだろう。私はとの対話を繰り返して、以前の娘とほぼ変わらない『何か』を手に入れたんだ。だが、それは完璧とは呼べない代物だった。何故だか分かるか?」

 アイリスは何も答えなかった。

 、とゾフィアは頭を掻いた。

「ワイズマン型には『親と子』の概念が分からなかったんだ。私がどれだけ言って聞かせても、彼女は私との特別な関係を受け入れなかった。その結果がアレだ。私の事を『ご主人様』と呼び始めた。そういった上下関係でしか理解できなかったんだろう」

「親と子の、関係……」

 この世で活動するすべてのフォーチュンには『生みの親』が存在する。それはライン生産される工場や、人格構築から外見の形成までを一手に引き受ける総合設計士トータルアーキテクチャーなど多岐に渡り、フォーチュンは製作者に対して『先生』『ご主人様』『師匠』『先輩』など、自身の経験に基づいた多様な呼称を使うようになる。

 しかし、かつて『生みの親』を『親』と認識したフォーチュンは、これまで一体も確認されていなかった。この現象に対して、「親の産道を通って生まれないことが原因だ」、「彼らに『扶養』の概念を教えれば改善するだろう」などと言った風説も流れ始めていた。

「娘との関係はこれまでと大きく変わってしまった。インプットさせたこれまでの思い出にも、幾つかの齟齬が生まれた。それでも、私は満足していたんだ。形は歪でもかつての日々を取り戻せたんだからな」

「ちょ、ちょっと待ってください」

 アイリスが横槍を入れた。

「あなたは以前、娘さんが『宇宙にいる』とおっしゃっていました。

 ……アマノトリに乗ったのではないのですか? それとも、亡くなったことを例えて……」 

「それは質問の一つか?」

「あ、いえ……その」

「船に乗ったのではない。私が娘を

「さっきから話が突飛すぎて、付いていくのがやっとなんですが……。一体どういう意味でしょう?」

「実在の人物をトレースした人工知能は学術的価値が高かったのだろう。『娘』に目を付けた輩が現れた。高額を提示してデータを買い取ろうとした奴もいたな。私はそのような手から娘を守るために、宇宙空間へ娘を飛ばした。知り合いに民間人工衛星に関わる技師がいたんで、そいつを頼った。今頃は地球の衛星軌道を回っている頃だ」

 淡々と話し続けるゾフィアの様子からは、嘘も誇張も感じられなかった。

「……私たちがどこにいてもリリィさんの声を受信できたのは、そういう訳だったのですね」

 地球周回軌道上からならば、シオンやアイリスの現在位置や行動を手玉に取るように観測できる。これ以上に無い、最強の観測者の立ち位置だ。

「では、ここにいるあのロボットは?」

「あれは『娘』が遠隔で操作している。こいつだけじゃない、この施設のほぼすべてが娘の管理下だ。私は娘の中で生活していると言っても過言ではないな」

 そう言ってゾフィアは笑って見せたが、アイリスは笑う気にはなれなかった。

「一つ目の質問に対する回答はこんな所か」

「え、ええ。では二つ目の質問を……」


 その時、部屋の外から異様な「音」が聞こえた。ゾフィアはとっさに椅子から立ち上がり、アイリスは身を強張らせた。

 そして、それが「音」ではなく「声」だとアイリスが認識するよりも早く、ゾフィアが大声を上げた。

「リリィ、どうなってる!」

 スピーカーが起動し、耳を劈くほどのシオンの泣き叫ぶ声。それにかき消されぬよう、リリィが返答した。

最大出力オーバードライブの影響で通常時よりも感情の閾値が増幅しているようです! ひとまず鎮静剤と逆位相脳波パルスを試みます!

 うわっ、いったん落ち着いて……とにかく、こちらは問題ありません! ご安心下」

 言い終わる前にスピーカーが切れた。ゾフィアは開けっ放しだった部屋のドアを閉め、悲痛な叫びを遮断した。

「大丈夫だ。ああやって感情を発散させた方が傷の直りは早い。

 ……それで、二つ目は?」

 促され、アイリスは二つ目の質問を投げかけた。


「えっと……二つ目は、あなたが再三おっしゃっていた『観測者』という言葉。

 これの意味を教えてください」

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