第20話 お店探し

 歩きやすいスニーカーに変えたことで、クリスは少し活発的に動くようになってきた。といっても、握っているシュウの左手をぐいと引いて、服屋であったり食べ物を売る店の中を覗き込んだりという程度である。

 これから買わなければならないものはたくさんある。

 できればクリスの一週間分程度の下着、着替え、日用品などを買い揃えてしまいたいとシュウは考えていた。

 特に、女性用の下着のことなどさっぱり解らないシュウは、それらをまとめて購入できそうな場所として、デパートに行くことを考えていた。「百貨店」とも呼ばれた部類の大型店舗なので、欲しい物があれば行けばあるはずだと思っている。


 ところが、シュウとクリスが朝食を摂ってから五時間以上経過しており、そろそろ空腹感が襲い始める。


「ぐぎゅるるぅぅぅうう」


 若いクリスの胃腸は健康なようで、遠慮なくその状態を知らせてくれた。


「ん? そうか……もうこんな時間か……」


 シュウはポケットに入れたスマホを取り出すと時間を確認する。

 十二時少し過ぎている。


「お昼ごはんにするか? 何が食べたい?」

「え、そう言われても……」


 クリスは異世界人であり、この世界の料理については何も知らない。

 確かに彼方此方からいい香りが漂っていて、食べるものを出す店が数多く並んでいることは理解できるのだが、それぞれの料理が何を使ったどんな料理なのかもわからないのである。


「まぁ、店を選ぶのもまだ難しいよな……」


 シュウもすぐにそのことを察すると、店選びに悩みはじめる。


 インスタ映えするようなお洒落な店に連れていけば喜ばれるということはないだろう。そもそもインスタ映えなどという言葉自体、教えてもいない。

 また、日本の同年代の女子が持つ感覚は持っていないことは確かである。

 であれば、異世界である日本の大阪という街に根付いた食文化を理解してもらえる店の方が良いとシュウは判断する。


 ――となるとこの近くだとあの店なんだが……。


 シュウが思い出したのは夫婦善哉を書いた織田作之助が贔屓にしたカレーライスを出す店だ。フライパンの中でライスと混ぜ合わせて皿に盛り付け、中央に卵を落としたアレである。

 ただ、異世界からやってきていきなりあのスパイシーなカレーを食べさせるというのは厳しいかも知れない。なので、カレーは家で作ったもので少しずつ慣れてもらうしかないとなると次の選択肢が思い浮かばない。

 お好み焼きも名店と言えるお店は夜の営業だし、たこ焼きはシュウにとってはおやつである。選択肢に入らない。

 となると、鉄貼餃子の元祖を謳う店か、池波正太郎が通ったと言われるあの店か……、


 シュウはクリスの左手を引いて、きた道を引き返す。

 左手を繋ぎ、右手にはクリスの履いていたサンダルが入った袋を持った状態だ。

 これでまた人の波の隙間にスルスルと入って通り抜ける。

 様々な服地、布地を扱う店の横を通ると、ビールの自販機が並ぶ酒屋などの前を抜けて進んでいく。


「あら、可愛い図柄の布地がいっぱい」

「この大きな箱は何かしら?」


 初めて見るものばかりなのだが、シュウはいちいち説明などしていられない。

 無数のキャラクター生地が並んでいるのだから、それぞれ説明するわけにもいかないし、酒の自販機など未だ日本の貨幣さえ見せていないのに説明するのは無理なのだ。


 そして居酒屋チェーン店の手前を南に曲がる。目的の店はすぐ目の前だ。

 煉瓦造り風の壁に、ガラスの入った重厚な木の扉。その右側には食品サンプルが並び、入口には大きな白い布に店の名前が大きく書かれた暖簾が緩い風に靡いている。


「ここにしよう。料理は任せてくれるかい?」

「ええ、わたしにはわからないもん……」


 地球のこと、日本のことを何も知らないクリスにしてみれば食べ物のことも判るはずがなく、どうしようもないので拗ねたように唇を尖らせる。

 その表情を見てシュウは口元を綻ばせると、店の扉を開ける。


「いらっしゃいませ。空いてるお席にどうぞ」


 すぐに店員の女の人が声をかけてくれる。空いてる席といっても、丁度昼飯時なので、いま席を立った客が座っていた一番奥の二人掛けテーブル席しかない。


「いま空いた奥の席でいいかい?」

「ええ、どうぞ」


 これはある意味特等席である。料理をしている姿を間近でみることができるのだ。

 シュウはクリスの手を引いて遠慮なく奥へと進む。

 先に来て食事をしている客たちの視線がクリスに向いていることを感じながら、シュウは上座にあたる席にクリスを座らせた。

 厨房に近い座席なのですぐにおしぼりや水が給仕され、店員がメニューを手渡そうとする。


「ハンバーグを二人前お願いします……メニューは少し眺めたいのでお借りしていいですか?」

「ええ、大丈夫です。ハンバーグを二人前ですね」


 そのメニューを一つ受け取ると、シュウが中身も見ずに注文を口にする。


「ハンバーグ二人前ねー」


 店員が厨房に向かって声を上げると、厨房からは「はいよ」と声が聞こえ、すぐにパンパンと音が聞こ始める。


「ねぇねえ、あれは何をしているの?」


 クリスが不思議そうに見つめる先では、シュウが店で着ていたような真っ白な服を着た男性がハンバーグの肉ダネを左右の手のひらに叩きつけるように投げていて、小気味良い音を店内に響かせていた。


「ハンバーグというのは、挽き肉を捏ねて整形して焼いたものなんだが、整形した肉から空気を抜くのに手のひらに叩きつけてるんだ。空気が残っていると出来上がったときの見た目も良くないし、味も落ちてしまうんだよ」

「どうして味が落ちちゃうの?」

「それは出てきたときにわかるさ」


 シュウはここで答えを言わない。

 言ったら、目の前に運び込まれたときの楽しみが半減するからだ。


 一方のクリスも、それ以上は尋ねない。シュウの返事は「見れば解るさ」と同じ意味のことを言っているのだから、とにかく興味深そうに厨房での料理人の作業を見続けている。


「クリスは、料理したことってあるのか?」


 突然、シュウはクリスに問いかける。クリスがとても興味深そうに厨房での作業を見ているからだ。


「ないわ。でも、作っているのを見るのって楽しいわね」

「そうだな、何かを作るっていうのは尊いことだって感じるよな……」


 シュウはしみじみと答えると、振り返って厨房の様子を見て楽しんだ。

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