第28話 「その試験やばくない?」38500円

『沙奈ちゃん、信じられないようないいお話があるの。沙奈ちゃんもこの免許取っていただきたいわ。三万八千五〇〇円だから。詳しい話をしたいので、お電話してもいいかしら?』


 夕食時なので少しなら、といって電話に出ると、月代先生はこう言った。

「あのね、中国茶の資格で、三八五〇〇円を出して簡単な試験を受けていただければ、初級の免許が取れるのよ。初級でも、ちゃんとした免許で、いい記念や、今後のモチベーションアップにもなるし」

「はあ……」


「頼まれたんだけれど、正直言って人数が足りないの。電話するのも沙奈ちゃんが最初なのよ。助けて下さらない?」


 そして、私はどうしたかというと、いつも一方的なきらいはあるけれど、お世話になっているし、困っているなら、それくらいならつきあいで払おう、と思ったのである。

「分かりました」

「よかった!これで私一人が負担せずにすむわ。それに、こんなにいいお話……ああ、またワクワクしてきた!いい方に囲まれて、私って本当に幸せものね。うちのお教室は、本当にちゃんとした、いい方ばかり。あのね、今日も本当に楽しくって……」


「すみません、本当に疲れていて、昨日もろくに食べてなくて、これから食事なので、勘弁して下さい」

 

「ごめんなさい、つい。じゃあ私のいつもの口座にお金振り込んでおいてね。ちゃんとラインで金額も改めてお知らせしますからね。沙奈ちゃんはいつもすぐお金振り込んでくれるから。感謝しているわ」


「すぐ必要なんですか」


「はい。ただちにお振込み下さい」


「今日はもう無理ですけど。夜の七時ですよ」

「もちろん、今日は無理よね。大丈夫ですよ。でも早く必要なの」


 今、考えると、どうしてこういうやりとりを不審に思わなかったのだろう。自分でも不思議に思う。だが、私ばかりを責めないでほしい。

 なにしろ、この試験には、結果的に十三人もの人が集まったのだから。

 

 この電話があったのが十一月の話で、すぐにラインのグループトークで試験を受ける人達が集まり、自己紹介をした。試験は数回に分けて行われたので、最後まで顔も、性別も知らなかった人もいる。


 すぐにいろいろな証明書を、スマホで撮影して、ラインで送って提出するようにいわれた。パスポート、最終学歴証明書……顔写真はとりあえず『女性はできるだけすっぴんのものを送って』という。


 最初はパスポートだけで大丈夫だといっていたのが、あとで提出するものがいくつか増えた。一時はそのグループラインのメッセージの通知音がなりっぱなしだった。

『皆さん、願書提出に顔写真が必要です。ただちにお送り下さい』

『〇〇さん、これではちょっと。取り直して送りなおして』

『あと、学歴証明書が必要です。ラインでただちにお送り願います。写真で撮ったものを送って下されば大丈夫ですよ』


 私が、

『卒業証明書は今見つからないので、大学のサイトから申しこんで郵送してもらわないといけない』

 というと、

『分かりました。今からただちに申しこんで下さい』

 という返事が来た。夜の十時過ぎだった。


 その日は、それからも、また、これが試験に出るから勉強しておくように、と手書きのものが、書いた都度に送られてきた。夜の十二時を過ぎたからもう来ないだろうと思ったら、追加だといってまた来た。なんだかどうしても辛くて、また大声で泣いた。


「どうしよう。とにかくもう耐えられない」

 家族にそう言ったが、分かってはもらえず、今度は恐ろしくなって、正直な気持ちをいえば凄いストレスを感じた。


 迷いを感じるまま、でも耐えられないので、

『最近、仕事が忙しくて体調が悪いので、試験を受けにいけないと思います。この免許は辞退させて下さい。お金は返してもらえませんか』

 とメッセージを月代先生個人あてに出した。出したあと少し楽になり、もっと早くこうすればよかった、と思った。


 翌日、月代先生からの電話で起こされた。先生はこう言う。

「朝早くごめんなさいね。お具合、悪いのかしら」

「……はい」


「中国の先生におうかがいしたのだけれど、もう、お金は返ってこないそうなの。ほんのちょっとだけ、数時間、試験を受ければ免許がいただけるのよ。もうちょっとだけ、頑張らない?」

「……せっかくですが、本当に無理だと思います」


「そう……。沙奈ちゃん、この頃、ちょっと普通じゃないな、ってご心配しているの」

 月代先生がこう言ったので、私は仰天した。


「私が普通じゃない、ということですか?」


「ええ。よっぽどお仕事が辛いのね。華やかで素敵なお仕事だけれど……まだお若いし。主人も、りんちゃんも、喜美ちゃんも、皆、ご心配しているのよ。……沙奈ちゃんはまわりは程度の低い連中ばかり。私がお話ししたら、皆、びっくりしていたわ。グルメライターなんて、もう、お辞めになったら?これからは私達とご一緒に、紅茶、中国茶、いえ、世界のお茶の振興に専念しない?誰が邪魔しようと、私は負けません。人を幸せにする、素晴らしい仕事だもの」


 こんな風に思われていたなんて、考えてもみなかった。もう結構長いつきあいで、いつも一生懸命、私の愚痴を聞いてくれるから、そのお返しのつもりで無理もきいていたのに、本当はこんな色眼鏡で私達を見ていたのか。

 もの凄い曲解ではないか。私がこう思っているように知らない人にまで言われていたなんて。

 それに、「誰が邪魔しようと、私は負けません」ってどういうこと?

 澄んだ、上品な、可憐な声でこれも一生懸命言うから、よけい怖かった。

 


「辛いこともありますが、グルメライターは先生のおっしゃるような仕事じゃありません。私の先輩には、個性的でタフな、素晴らしい先輩、女性もたくさんいるんですよ」

「沙奈ちゃんは素直だから、つけこまれているのよ!」


「変なふうにとらないで下さい。……守秘義務があるから、月代先生にもお話ししていことはたくさんあるんですよ。そうじゃないことも、知らない人にまで勝手に話されたら困ります」


「心配いるからそう言ったのに!」


「その気持ちはありがたいですけど……」


「とにかく、試験はお受けなさい。……この試験は中国の国家資格でね、来年から日本人はまず合格しないように試験方法が改正されるそうなの。数時間、簡単な試験を受けていただくだけだから」


 その後、けっこう長いやりとりがあって、私はその試験に行くことになった。あとで友達にはこう言われた。


「やばくない?それ、ヤミの試験じゃないの?……法にふれないの?」(続く)

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