第27話 事件の始まり
私はずっと、「もし、事件というものが起こるなら、きっと前ぶれがあるのだ」と信じていた。自分の人生はまったく平凡で、そういうことがなかったから。だが今はそうは考えない。
あらゆる災難や事件は、誰にとっても、実は特別なものではないのだ。それは突然にやってくるかもしれないし、こないかもしれない。でも自分だけは、これからも一生、絶対にそういうこととは無縁だ、というなら、それは油断なのだ。私もそうだったけれど。そして同時に、どこでどうすればあんな目に遭わなかったのか、あとになって随分悩んで何度も何度も思いかえしたが、分からなかった。
事件と日常生活の境目はない、少なくとも当事者には見えないこともあるのだろう。ただ、これからは、同じ災難は避けられる、と最近になってやっと思えるようになった。行政機関の人がほのめかしたように。ただ、忘れることはできない。頑張ったけれど、そんなに安易なものではない気がする。
月代先生には相変わらずわがままなところがあったが、憎めない、気立てのいい人、というのが、うちでも定説になりつつあった。実際、一緒にいるのはなぜか苦痛だったけれど、向こうは喜んでもらおうと一生懸命なのだ。
横浜の先生のティールームや、一緒に食事に行くのは、いつもサービス。本人は楽しい、楽しい、と言って大変喜んでくださるけれど、いつもすべて自分の好きなようにするだけで、こちらの要望を言っても、怒っても、ニコニコ笑って必ず聞き流すから。ただ、離れて接している分にはいい人だった。私の味方で、いつも上品でにこやかで、悩みの相談にものってくれて、前向きな素敵な言葉で励ましてくれる。そのお返しだと思っていた。
そして、李先生が中国に帰国されてから数ヵ月後のある日、月代先生からラインで連絡があった。その時、先生は旦那様と伊豆にご旅行中で、きれいな写真をたくさん送ってきていた。
『本当に楽しい、幸せ!』
『私のまわりは素敵な、いい人ばかり。沙奈ちゃんもそう』
『素敵な旅館でお茶をいただいて、うちのお教室の素晴らしいアイデアが浮かんだわ。我ながらいいアイデアよ。旅はインスピレーションを与えてくれるわね』
『これからも、ご一緒に、うちのお教室を発展させましょう!』
『ああ、夢がいっぱい。幸せ』
私は大事な記事の締め切り前で、本当に大変だった。『ありがとうございます、あとでゆっくり拝見します』、といっても、無視してどんどんメッセージや写真を送ってくる。
昨日からあまり寝てなくて、食事もとれなくて胃が痛いけれど頑張っています、と書いたが、『心配だわ』だとか、それからもメッセージの通知音がずっと鳴っていて、胃が痛んで涙が出てきた。どうすればいいのか分からなかった。
次の日、夕食時にはこんなメッセージが届いた。
『沙奈ちゃん、信じられないようないいお話があるの。沙奈ちゃんもこの免許取っていただきたいわ。三万八千五百円だから。詳しい話をしたいので、お電話してもいいかしら?』(続く)
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