第360話

~ハルが異世界召喚されてから9日目~


 冒険者ギルドの仕事を終えたハンナは近くの青果店へと立ち寄った。煌めく店内には、まるで宝石のように輝く果物が置いてある。どれも美味しそうに見える果物は展示されているかに見えた。


 冒険者ギルドの受付嬢の業務は、給金が高い。人命に関わる仕事であり、冒険者の精神的な支えである必要もある。魔物と薬草の特徴、ダンジョンの回り方を助言したりと覚えることも多い。


 また、優秀な冒険者とも出会えることから一度求人されれば、その倍率も何百倍となることもしばしばだ。


 ハンナは高級な林檎と葡萄を購入して、ルチアの家へと向かった。


 綺麗な集合住宅の一室にルチアは住んでいる。ハンナは建物の1階、ピカピカに磨かれた正面玄関を通り過ぎる。その時、この建物の大家さんとすれ違い、軽く挨拶をした。


 そしてルチアの住んでいる3階へと向かう。


 飾り気のない扉をノックした。


 一回、二回と間隔をあけてノックするが、反応がない。いつもなら、一回目のノックでガチャリと扉を開けてくれるのだが、全く音沙汰がない。


 とうとう三回目のノックをしてハンナは諦めた。


 とぼとぼと階段を下りて、正面玄関を出ていこうとすると、先程挨拶した大家さんがまだ作業をしていた。いつも何かしらの作業をしている大家さんをハンナは覚えている。大家さんは正面玄関にある大きな掲示板に貼り出されている住人に対しての御知らせを書いた紙を綺麗に貼っていた。


 大家さんは先程挨拶したハンナが早々に引き返してきたことに違和感を覚えたのか尋ねてくる。


「不在でしたか?」


 ハンナは返事をした。


「はい……」


 そしてハンナは訊いた。


「あの、303号室のルチア・ルミリナと最近お会いしましたか?」


 大家さんは天井を見つめて暫し考えてから答える。


「え~とルチアさんは……二日前の夜中に会いましたね。でも忙しいみたいで、挨拶をして早々に出掛けていきました」


「夜中に……」


「そうなんですよ。綺麗なお方だからあんまり夜中に出歩くと危ないと思っていたので覚えていたんです」


「実は彼女、今日病欠で仕事を休んでいるんです……」


 大家さんは心配そうな表情をして言った。


「確かに、今日は見ておりませんな……」


「ノックをしても反応がないんです。寝ているだけなら良いんですが……もし、中で動けないでいたらと思うと不安で……」


 大家さんは少し悩んでから答える。


「ん~、これはあまりよくないことなんですが……この鍵を使って中に入ってみましょうか?」


 大家さんは鍵束を懐からジャラリと出し、303号室の合鍵を握る。


「い、良いんですか?」


「よくはないんですが、今までルチアさんを訪ねに来るのは貴方しかおりませんので……心配ですよね」


 大家さんとしても、中でルチアが死んでいたりすると清掃等で部屋を片付けるのが大変になることを危惧しているのかもしれない。


「ありがとうございます!」


 ハンナはお礼を言って、ルチアの住む部屋に再び向かった。


 303号室の前で立ち止まる。


 大家さんは合鍵でルチアの部屋を開けながら言った。


「私は、ここで待っております。何かあったらすぐにしらせてください」


「…わかりました」


 ハンナは少し緊張しながら、灯りのついていない部屋へと入った。


 ハンナは思う。


 ──そういえば、中に入ったのは初めて……


 玄関を直進し、左手に奥に伸びたキッチンを通り過ぎた。光属性魔法が付与されている魔道具のライトの電源をいれて灯りを点ける。広々としたリビングが顕となった。生活感のないリビングに眉をひそめるハンナ。そして、リビングから右手側に寝室と思われる部屋がある。


 ハンナはゆっくりと、寝室の引戸を引き開ける。


 寝室の中央に設置されているベッドの上には誰もいなかった。


 ──出掛けているの?


 病気と嘘をついて休みたくなる気持ちをハンナは理解できる。


 ──だったら私には、そう言ってもいいのに……


 ハンナは少しだけ寂しい気持ちになったが、ルチアにはルチアの思うところがあるのだろうと自分を慰める。


「ん?」


 ベッドの脇にある机に何かが置いてあるのを発見した。ハンナはそれに目を向けた。


 紙に自分の顔がとても精巧に描かれた、いやその瞬間を切り取ったかのような絵がいくつも置いてある。


「わたし?」 


 ハンナは机に散らばった紙をまとめて手にとる。買ってきた林檎と葡萄を机の上に置いたが、その内の林檎が袋からコロコロと転がり出てきて、床に音を立てて落ちてしまった。


 転がる林檎に目もくれず、ハンナは紙に描かれた自分の顔の絵をまじまじと見た。紙をめくり、また別の角度から描かれている自分。もう一度めくってもやはり自分の顔の絵だ。ハンナは戸惑いながらも机の上にあった全ての絵を見た。最後に見た絵は森にあるログハウスの絵だった。


「ここは……」


 どこの風景なのだろうかとハンナは考える。しかし、その場所の検討がつかず絵を机に戻そうとすると、地図が置いてあった。


 ──あのログハウスの場所を記した地図?


 不明だが、ハンナはそう思ってしまった。


 ──ここにルチアがいるの?


 今度は地図を手に取ると、その下にあった報告書のような紙を発見する。


 そこにはこう記されていた。


『ハンナ・クライスに関しての報告』


 ハンナは驚いた。


「え?なに、これ……」


 自分の近況について事細かに書かれている。


 ルチアを心配していたハンナは徐々に不審がる。


 そして、机の引き出しを思いきって開けてみた。するとそこにはハンナに関する報告書の紙が大量にあった。まるで何年も前からハンナを観察しているかのようだった。


 混乱するハンナは外で待つ大家さんの元へと戻る。


「どうでした?」


「いませんでした」


 ハンナは大家さんに向かって無理矢理笑顔を作ってお礼と別れの挨拶をして、外へと出る。そして思った。


 ──あそこに行けばルチアに会える……


 ハンナは地図を元に、描かれたログハウスへと向かった。


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~ハルが異世界召喚されてから9日目~


 余裕な表情でハルを見つめるレガリア。その前には、黙って佇むランスロットのパーティーメンバーであるヴァンペルトがいる。

 

 メルやマクムートを逃がすことに成功してから何度かヴァンペルトと打ち合いをしている。おそらく敏捷や筋力はハルの方が上である。


 しかし、ヴァンペルトにダメージを与えるまで到達しない。何故だか手応えがないのだ。そしてやはりヴァンペルトにも余裕を感じる。


 ヴァンペルトの十字に穴の空いた兜から声が聞こえる。


「お前は何故この世界にやって来た」


 どうやらハルが異世界人であることが向こうにはわかっているようだ。


 ハルは答える。


「知らない!いつの間にかこの世界にいたんだ」


「ならば、何故お前は我等と敵対する」


 ハルは不思議に思う。


 ──何を探っているんだ?


 ハルは敵対する理由を述べる。


「お前達はこの世界を壊しかねない」


「この世界に来たばかりのお前に、この世界を守る理由がない」


「僕は知っているんだ。この世界の人達のことを」


 ヴァンペルトは首を回して、後ろを振り返り、レガリアを見た。そのレガリアは肩をすくめてヴァンペルトに促す。ヴァンペルトはハルに向き直ると、握っている長剣を掲げ地面に力強く突き刺した。


 突き刺さった地面から円を描くように波紋が広がる。その波はやがてハルの足元にまで届き始めた。ハルは嫌な予感がした為、その波紋から離れようとしたが、正面にいたヴァンペルトがいない。


 背後から気配を察知したハルは、咄嗟に身を屈め、背後から振り下ろされるガントレットを嵌めたヴァンペルトの拳を躱す。


 ハルは屈んだ状態から地面に手をつき腰を回して、ヴァンペルトの横っ面に蹴りを入れようとしたが、手をついた地面に違和感を抱く。


「?」


 ハルは地面に手をついたつもりだったが、手は地面を突き抜け地中へと埋まっていた。そこを起点にハルの身体は地面へと沈む。


「やばっ!!」


 ハルはもがいたが、そのもがくのに必要な足場がない。みるみる内にハルは地面へと飲み込まれる。足、胸、首に口、鼻から目元の順に飲み込まれ、とうとう全身が地中へと沈んだ。


 そこには闇が広がっていた。


 鼻が飲み込まれてから、ハルは咄嗟に息を止めた。地中には酸素がないかもしれない。しかし長いこと息を止めることができないハルは試しに呼吸を再開してみた。


 恐る恐る呼吸をしてみると、酸素を肺へ取り込むことができた。


 少しだけ冷静さを取り戻すハルだが、正面に鎧を脱ぎ捨てたヴァンペルトがコウモリのように上下逆さで佇み、ハルを見つめている。


「ここは、私の領域だ」


 ヴァンペルトはそう告げると、闇に溶け込む。するとハルは右頬に痛みを感じる。


「うっ」


 何かが通り過ぎる際にハルの右頬を掠めたような痛みだった。


 ハルはその通り過ぎた方向を見やると、ヴァンペルトが同じように上下逆さに佇む。


 ヴァンペルトは言った。


「腹を割って話そうか?」


 ハルは冷や汗をかいた。


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~ハルが異世界召喚されてから9日目~


 身体が切り刻まれる感覚。


 ──これは今まで妾が行ってきた罰なのだろうか。


 記憶を失くしてから今まで多くの人間達をルカは切り刻んできた。それこそこれがエレインの言っていた代償なのかもしれない。


 激しい痛みを感じる。


 それでも涙を流す度に裂傷は回復し、切り取られた腕や足は再び生えてくる。


 そして、また切り刻まれる。


 おそらくこれはルカの涙が枯れるまで続くだろう。


 しかしルカは涙を流し続けた。


「いい加減、泣くのをやめたら?それともコントロールができないのかしら?」


 エレインの唱えた第八階級風属性魔法『東風』は、ルカを覆うようにして風の刃が舞い続ける。


 エレインの言う通りだ。ルカは涙を止めたかった。とっくに死を選んでいた。エレインに一矢報いることができて既に満足していたのだ。しかし、涙を止めることができない。コントロールができない。


 涙を止めようとすると、ミラの顔が浮かんでくる。キリッとした目付きにはどこか哀しみが漂い、炎のように美しい赤髪には決然とした意志が宿っているように見えた。


 ミラの姿が浮かぶ度に、身体が涙を流すように促してくる。身体が死を拒絶しているようだった。


 ルカは思った。


 ──どうして、涙が……


 そして、また思い出す。自分に敵わないと知りながら向かってくる戦士達を。ルカは悟った。涙の訳を。


「見苦しいわ。魔族が涙することを嫌う訳が少しだけわかったわね……」


 エレインの言葉にルカは返した。


「妾も今までそう思っていた。でも違っ!」


 違うと言おうとした時、エレインの魔法により口が裂ける。身体が涙のおかげで回復していくように、口も喋れるように回復した。ルカは続けて言った。


「理想を夢見て、辛い現実を目の当たりにする……それでも堪えて、戦おうとする者に涙は流れるんだ!」


 エレインはルカの詭弁に呆れるようにして言った。


「弱いから涙するんでしょ?」


「違う!涙は弱者の烙印ではない!勇気の証だ!!」


 ルカはエレインの風の刃による斬撃を受けながら鎌を構えて、エレインに向かって走った。


 エレインは眉間に皺を寄せて、言い放つ。


「なら、その証ごと打ち砕いてあげるわ」


 エレインは魔力を纏い始めると、辺りが白む。ルカに纏わりつく風の刃は凍りつき、地に落ちると砕け散った。そしてエレインは唱える。


「白夜」


 ルカは冷気を感じとると、身体が思うように動かないことに気がつく。涙が凍り付き、肌に張り付いている。吐く息はどこまでも白く染まった。


 ──あぁ、妾はここで……


 ルカはそう思うと、目を閉じた。すると、またしてもミラの顔が浮かぶ。目を瞑ったせいか、より鮮明にミラが見える。


 凍り付いた筈の腕を伸ばすルカ。ミラに触れた気がした。指先の感覚などない筈なのに、暖かさを感じる。


 薄れゆく意識が次第に鮮明になったかと思えば、ルカは側面から衝撃を受ける。


 その衝撃は柔らかくルカを抱き締めると、エレインの魔法の範囲外へと誘導した。


 ルカは閉じていた両目を開く。


 凍り付くほど冷たいこの場を暖めるに相応しい炎のような赤い髪、凛々しくも愛おしいミラの横顔をルカは見た。


「ミラ…様……どうして?」


 ミラは抱きかかえているルカを見てから直ぐに、最も警戒すべきエレインを見据えながら言う。


「お前の様子が気になってな……しかし、探し回ったぞ。まさかこんなところにいたとはな」


「ミラ様ぁぁぁぁぁぁ!!」


 エレインの魔法の範囲外へと移動したことにより、再び涙を流したルカの身体が回復する。ミラはそれを見て少し驚いた表情をしてからルカに尋ねる。


「アイツは何者だ?」


「大魔導時代を生きた妖精族の生き残りです……」


 ミラの瞳孔が少し開いた。


「にわかには信じがたいが、先程の魔法とこの圧力がその証明か……」


 2人のやりとりにエレインは加わった。


「これはこれは、帝国四騎士のミラ・アルヴァレス様ではありませんか♡」


 エレインは紫色のドレスをなびかせながら一礼する。


「貴方がどんなに強くても私には勝てませんよ?貴方ほどの実力者ならわかるでしょぅ?それに、その娘は元々私達の管理下にあったのよ?それを貴方が拾った」


 ミラは鼻で笑ってから答えた。


「今は私のものだ。お前には渡さん」


 それを受けてルカは最上の喜びを感じる。そしてミラにしがみつきながら言った。


「逃げてください!妾が時間を稼ぎます!!何としてもミラ様は生き延びてください!!」


 ミラは返す。


「庇いあってる時間はなさそうだぞ?」


「へ?」


 2人に向かって疾風の刃が襲い掛かる。

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