第351話

~ハルが異世界召喚されてから7日目~


 ペシュメルガは察知した。ルカにかけていた魔法が解除されたことを。


 仲間達が玉座と呼ぶ椅子に腰掛け、両側にあるひじ掛けの1つに片肘を立てて、手の甲で頭を支える。


 正面にはワインレッドのカーペットが、資格を持つ者のみしか通すことを許されない重厚な扉の前まで敷かれている。


 ペシュメルガはどこを見ることもなく、思考の中へと潜った。


 オレンジと金色が混ざった長い髪がハラリと垂れ下がり、頬をくすぐる。


 普段は漆黒の鎧兜で表情を隠しているのだが、ここ最近ディータによって傷つけられた額の傷が疼く為、素顔を晒している。


 ふと、気配を感じ取った。


 顔をあげ、扉の向こう側にいる者に告げる。


「入れ」


 静かな、それでも確かな声がこの場に響き渡る。


 許可がおりたため、扉の開く重々しくも控え目な音がした。扉を押し空けた者は自分が入れるスペースだけあけると、滑るように入り込み、扉を閉める。


 その者は、遠目からペシュメルガが素顔を晒していることにときめきを隠せない。


 しかしすぐに気を取り直して、扉の前で姿勢を正し、一歩一歩この場に相応しい足運びでペシュメルガの前まで行くと立ち止まり、ひざまずく。召している冒険者ギルドの制服であるロングスカートがふわりと空気を含みふくらんだかと思えば、すぐに吐き出し、ルチアの細い身体のシルエットに寄り添った。ルチアは顔を伏せたまま声を発する。


「報告致します」


「ルチア、すまなかったな。日を改めさせてしまって」


 ビクリと身体が反応するルチア。敬愛して止まないペシュメルガから名前を呼ばれたことに鼓動が高鳴っているのだ。


「申してみよ」


 ルチアは顔をあげて報告する。


「昨日、冒険者ギルドにて気になる者がおりまして……」


「気になる者……?」


「はい。その者の名はハル・ミナミノ。帝国軍事学校の特待生です。齢17にして、推定レベルは40以上かと思われます」


「40以上、確かに年齢の割には高いな……しかし、そんな者は帝国ならばいてもおかしくない筈だが?」


「はい、しかし……」 


 ルチアは少しだけ視線を落として、考え込む。何か言葉で表現することのできない違和感が、そのハル・ミナミノにはあるのだろうか。それとも、自分を気遣って言葉を慎んでいるのか。ペシュメルガがそう勘ぐると、ルチアはようやく口を開いた。


「その者のレベルが60や70でもおかしくないと言いますか……そんな空気を感じたのです……ステータスを調べようとしたのですが、我が国から追放されたルカ・メトゥスにそれを阻まれました」


 ルカの名前がペシュメルガの鼓膜を刺激する。


「それは昨日のいつ頃だ?」


「テラが昇りきる前の出来事です」


 ペシュメルガは、ルカにかけた魔法が解除された時刻よりも前の出来事であることに首を傾げる。


 ──もし魔法が解除され、記憶を取り戻した後に、そのハル・ミナミノのステータスを測らせまいとしたならば、話の筋としては納得できるが……


 冒険者ギルドに設置してあるステータスを測る魔道具にステータス偽装の魔法は通用しない。またそこでステータスを測れば、たちまちペシュメルガにその情報が行く。それを知っているルカはその魔道具に触れさせないためにハル・ミナミノを遠ざけた。


 もしこの仮説が正しければそのハル・ミナミノが以前、莫大な魔力爆発を引き起こした元凶。天界より召喚された者の可能性が高いと予測ができる。しかし、ルカにかけた魔法が解除される前にそれらが行われたことによってペシュメルガはその仮説を取り崩した。


 だがペシュメルガは新たな仮説を打ち立てた。そもそも、ルカにかけた記憶を消す魔法を打ち消したのは誰か。それが天界より召喚されし者である可能性が高い。


 ──或いはマキャベリーかディータ、ルカの妹アレクサンドラ、もしくは奴が動き出したか……


 ペシュメルガはルカにかけた魔法を解除した人物を5名ほど、思い浮かべた。


 ──しかしながら、何故今なのだ?


 思い浮かべた5名の内誰かはわからないが、誰であってもタイミングが気にかかる。


 最も考えられるタイミングとしては、6日前に起きた魔力爆発だ。それによって、ルカに接触した。


 ──そして動機は、この私だろう…… 


 魔力爆発が起きてから、今日までの時間経過も気になるが、魔法解除に伴って大きな動きが今のところないため、敵は慎重に行動しているのがわかる。


 ──ルカの魔法を解除したのは、私をおびき寄せる罠である可能性も捨てきれない、ならばその外堀から埋めていくのが定石か……


「……」


 ルチアは思考を続けるペシュメルガの邪魔をせんと黙ったままだ。いや、ただその姿にみとれているだけかもしれない。


 ペシュメルガの固く結ばれた口が開いた。


「ルチアよ、お前に新たな任務を与える」


「ハッ!」


 ルチアはいつもの凛々しい表情で発声する。


「ハル・ミナミノについて、調べてみてくれ。もちろん、お前の日々の業務を遂行しつつ、誰にも気取られないようにだ」


「承知しました」


 ルチアは立ち上がり、扉へと向かう。


 ペシュメルガは、ルチアの背を見送りながら、ルカをミラに拾わせたあの日ことを思い出す。


 ペシュメルガの収めるこの地下にある国は、神に反逆を起こし、それに敗れてから出来上がった。


 傷付いた身体を癒し、何度となく神を殺そうとしてきたが、その全てが失敗に終わる。


 その都度かつての仲間の言葉を思いだし、自らを奮い立たせた。


『いくら天国とは云え、素晴らしい奴隷の境遇を求めるのはやめようではないか、自由に、誰にも責任を負うことなく、自らの善きもののみに頼って、自主独立の生活を送ろうではないか。絢爛たる奴隷生活の平穏無事なくびきよりも、苦難に満ちた自由をこそ選ぼうではないか。』


 神などいらない。


 ペシュメルガは真の自由を勝ち取ろうと戦ってきた、そして仲間達を守ってきた。


 しかしあの日、ルカの言葉にペシュメルガは、自分の行いを省みることとなった。


『こ、ここの生活がつまらないから……』


 ペシュメルガは微笑む。神に反逆を起こした自分達とまるで同じではないかと。自分が仲間達の為にしてきたことと、神がこの世界を管理していることにルカは差異を感じていなかったということだ。


 その時、ミラ・アルヴァレスが此方にやって来るのがわかった。ペシュメルガはルカの望むように生きてほしいと考えた。


 しかし今まで姿を隠し続け、犠牲になった者や今も神に闘争を続ける者の為、またルカ自身の安全の為にもルカの記憶を消すという選択をとらざるを得なかった。また、天界からの使者でありながら、自分が何故召喚されたのかわかっていないミラの監視と護衛をルカにさせることが出来ればという思惑もあったが、その通りになったのは僥倖であった。 


 ペシュメルガは立ち上がるが、ルチアと入れ違いに入室したエレインに呼び止められた。


「聖王国で動きが……」


 ペシュメルガは立ったまま訊く。


「何があった?」


「死者が甦ったと……」


 それを聞いたペシュメルガは一笑にふして言った。


「あの国は元来、頭のおかしな奴等ばかりだ」


「しかし、枢機卿の筆頭がそう主張しているようで……」


 ペシュメルガは考え込む。


 ──確かにタイミングが気にかかるな。ルカの魔法が解けたことにより、その涙を使って甦らせたとも……


「……以前、ペシュメルガ様の好意で見逃してやった小娘達の力では?」


 エレインは言いにくそうに告げる。見逃す判断をしたのはペシュメルガだからだ。ペシュメルガは謝罪しかけた言葉を飲み込んでから、口を開く。ペシュメルガに謝罪させてしまったことを彼女が悔やむと判断したのだ。


「確かにこれがルカや妹のアレクサンドラが原因なら流石に看過できんな……」


 大魔導時代を生きた種族が、その力を使うことで、天界の者達にペシュメルガの存在を気付かれる恐れがあるからだ。


 ペシュメルガは隠密が得意な者と帝国の文化や地理に明るい者のを呼び寄せ、次の一手を打つ。


─────────────────────


~ハルが異世界召喚されてから7日目~


 マキャベリーは、外にいる新聞記者達に見付からないよう、ビロード色のカーテンを閉める。マキャベリーが見付かれば、枢機卿暗殺事件に帝国の関与を疑われるだけでなく、チェルザーレの屋敷にいたとなると、チェルザーレの立場も危うくなるからだ。


 今日1日、チェルザーレは新聞記者に囲われ、その対応に追われる。死から復活した保守派筆頭のロドリーゴ枢機卿の勢力が上昇しているのを感じながら。


 新聞記者達を追い返したチェルザーレは、食堂に入った。日も沈み、ちょうど夕食の時間だ。


 先に食堂に着いていたマキャベリーはチェルザーレが自分の席についてから言った。


「あの組織が関与している可能性はありませんか?」


 給仕達の手によって前菜であるそら豆のスープが目の前に置かれる。淡い緑色のスープの表面から沸き立つ湯気に乗って香ばしい香りを鼻腔で感じながらチェルザーレは据えられたナプキンを太股の上に置いて答えた。


「アジールか……」


 スープをスプーンですくって口に運ぶ。そら豆の香りとしっかりとしたブイヨンを感じながら、それらを優しく纏めるクリーミーな味わいがあとからやってくる。


 ナプキンで口元を拭きながらチェルザーレは答えた。


「アジールは、神の寵愛を受けた人族を生き返らせたりなどしない。ましてや神ディータに仕える聖職者などもっての他だ」


 マキャベリーにとってそれは既に知っている内容だった。敢えて口に出すことで、ペシュメルガ率いる地下組織がお互いの共通の敵であることを再認識させたのだ。


 そしてマキャベリーは抱えていた胸の内をチェルザーレに伝える。


「メルさんの牢屋にいるハル・ミナミノという少年のことについて……」


「確かにソイツは気になる存在だった。昨日メルとほぼ同時刻に捕まっている。枢機卿暗殺未遂という大罪を犯したメルが一般の牢屋に入るのもおかしいが、そこにいるソイツも十分おかしな存在だ」


「その牢屋にいるハル・ミナミノは帝国軍事学校に所属している者です」


「は?」


 給仕達が空となったスープを片付け、次の料理を運ぼうとした足が止まった。重苦しい空気が食堂を覆った。


「彼は突如として帝国に現れ、実力を示し、特待生となった者です」


「……」


 チェルザーレはマキャベリーを睨み付けたままだ。給仕達もその足を止めたまま動けないでいる。


「しかし彼は現在行方をくらませ、メルさんと同じ牢屋にいる」


「貴様の息がかかっているのではないか?」


 ストレートな質問を投げつけるチェルザーレ。


「違います。彼は、帝国の者達に行方なら私が知っているという内容の置き手紙を書いてました」


「何故今まで黙っていた……」


 質問とも怒りともとれる言葉をチェルザーレは放つ。


「彼の狙いが全くわからないからです。もし、我々の邪魔をするならば、自分が捕まった際本名を名乗る必要はありません」


「ステータス偽装ができないだけであろう?」


「いえ、彼はできます。現に監獄では魔法が使えない者として扱われております。帝国のステータスでは聖属性魔法と土属性魔法が使えていました」


 チェルザーレは資料に書いてあったことを思い出す。この時ようやく給仕達が動き出し、次の料理を運んだ。


「そして、私にだけ分かるようなメッセージを送っている。これは罠である可能性が高いです。現在彼の後見人を名乗った者を調べておりますが、彼は此方の出方をただ窺っているだけなのかもしれません」


 チェルザーレは運ばれた料理、牡蠣と木の子のグラタンに手をつける。これはマキャベリーの話を少なからず信じた証でもあった。牡蠣を咀嚼し注がれた赤ワインを流し込んでからチェルザーレは口にする。


「それで?これからどうするつもりだ?」


「面会を申し込みます」


「お前がか?」


「いえ、私では目立ちすぎてしまうので彼を少なからず知っている者を……」

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