第323話
~ハルが異世界召喚されてから23日目~
朝日が昇り、ポーツマスの街は横から照らされる。ユリは自分とハルにあてがわれた城の一室から眼下に広がる幻想的な光景を窓枠に肘をついて眺めていた。
この人工物と自然による素晴らしい演出を見てもユリの表情はどこか虚ろだ。
「はぁ…遅い……」
ハルの帰りが遅いことにすべての物事が色褪せて見えているようだ。
「夜までには帰るって言ってたのに……」
ハルの帰りを待つため、一睡もしていない。ユリは帝国との戦争が終わってからというものハルに対しての感情が膨れ上がっていた。
シーモアやベラドンナ・ベラトリクスと戦って以来、敵国の戦士達にも同情すべき、或いは自分と同じような境遇の者もいることを知り、ユリはいたたまれない気持ちになっていた。それぞれの歴史的価値観や環境によっていがみ合う。シーモアやベラトリクス個々人と争うほどの軋轢はない。ただ自分がすがり、生きている社会的集団と相対する者が自分だっただけだ。
──できればもう誰とも戦いたくない……クロス遺跡で私を捕らえていた者達のように分かりやすい敵であればどんなに楽か……
帝国との休戦協定をハルが提案したので、ユリはホッとしたものだった。
しかし、ユリはもう一度虚ろな表情で城下町を見下ろした。
個人的な恨み、歴史的な恨み、其々の利益の為の思惑がこの街に渦巻いている。
自分達を狙ってもう一度戦争を起こそうとする者、味方である帝国の者を王国の仕業と見せかけて手にかけようとしている者もいるかもしれない。
──そんなにしてまで皆、どうして戦いたいのだろうか?
戦争をしないほうが平和なのか、戦争状態である今が平和なのだろうか、いずれにしろ人間は変化を恐れる。現状が平和なのであるならそのままが良いと思う人もいる。
将来に対しての不安は誰もが感じることだ。その不安を少しでも良くしようとする時、人や獣人やエルフ、妖精族も魔族も思いもよらぬ行動をするものだ。
ユリは母から教わった妖精族の歴史を思い出す。
現在のユリとは違い、過去の妖精族の涙は全てを癒した。それは死すらも克服できる代物だった。妖精族は自分達の涙を集めた。その行為は他種族の攻撃から身を守る為のものだったが、次第に同族での権力争いにまで広がり、内紛が起きる。このとき、妖精族は一生分の涙を流したと言われている。
戦争を有利に進めることは出来たが、魔族がそれを模倣し、また振り出しに戻った。いや、内紛が発生しているのだから、それは以前よりも悪化しているだろう。
それを見かねたディータが妖精族と魔族から涙を取り上げた。そしてその種族の一部の者しか涙を流せなくしたのだ。涙の効能を逆にして。
その一部の者がユリの家系にあたる。涙を流すことを赦された唯一の妖精族。だが例外がいる。ペシュメルガと共にディータを殺そうと企てたヴィヴィアンだ。
今のユリは何故ヴィヴィアンが涙を流せたのかその理由をなんとなく理解できた。あの時、涙を流せず悲しみを失ったヴィヴィアンが涙を流せたのは他種族であるペシュメルガの為だからだ。
ユリは何世紀も前の人物に、それでも数少ない妖精族の一人としてヴィヴィアンに思いを馳せるが、その思考を止めた。
扉の外から何者かの気配を感じ取ったからだ。
ユリは扉に背を向けたまま、窓枠に肘を置くのを止め、魔力を静かに纏い始める。扉の向こう側にいる人物と戦う準備を整えた。
ユリのいる部屋に向けて殺気が漏れ出しているようだ。しかし、それをピークに殺気は鎮まり、とうとう気配すら消えてしまった。
ユリはその場からソッと立ち上がり、ドアノブに手をかける。もしかしたら殺気を圧し殺した者が待ち構えているかもしれない。ユリは勢いよく扉を開けた。
しかし、廊下には誰もいない。視線を通路の左右に振るも誰もいなかった。
一先ず安心するユリは足元に何かが触れたのに気が付く。
「手紙?」
ユリは手に取り、宛名がないか裏面も確かめると、
「これは……」
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まだ朝靄がポーツマスを覆って数刻。トールマンは昨日一睡もせずに、朝を迎えた。自分の命が狙われている恐怖を感じたのは一体いつ以来だろうか。眠気よりもその恐怖が打ち勝つ。
城主として、世襲してきたトールマンの一族だがトールマンの代でそれが途絶えた。これに勝る恐怖など他にあっただろうか?いや、ない。そう思うと、恐怖が少しだけ薄れた。
生き恥を晒し生きてきた。残る余生をわがままに生きたっていいではないか?重ねて自分に問うトールマン。
だが、トールマンにそうはさせまいと運命が告げる。更なる汚名が帝国だけでなく全世界の歴史に刻まれるやも知れない。
そんな追い詰められたトールマンは不敵に笑う。
それを見計らったかのように、扉を叩く音が聞こえた。
トールマンは扉に背を向けたまま用件を訊いた。来訪者か、もしくは扉の外にいる護衛、どちらかの返事を待ったが、返事はない。
「まさか、もう来たのか?」
わかりきっていたことじゃないか。最後の勤めはもう終えた筈だ。
この際、自分の最後を告げる者をしっかりと見据えるべきだという考えが頭に過った。戸外の者は返事を待つのに痺れをきらしているかもしれないだろ?
「入れ」
トールマンは告げると、扉がゆっくりと開いた。
外の松明の灯りが影をつくり、来訪者よりもその影が先にトールマンの部屋に侵入する。
トールマンは影の侵入を許し、来訪者の顔を見る。
「なんと、年端もいかぬ子供とは……」
フルートベールの戦士の中にも子供がいたが、この部屋に入ってきた子供のほうが幾分か底意地が悪そうだった。
頬に護衛を殺した際に飛び散った返り血が数滴付いていた。
「やぁ、トールマンさん。僕はベルモンド。それよりも僕はてっきり、あなたのことだから逃げ出していると思いましたよ?」
「昔のワシならそうしていたがな……この曲がりきった腰には、これ以上の汚名は背負えんのじゃ」
「プライドってやつ?逃げてた方が多分マシだったと思うけど、まぁなんでもいいや。言い残したことはある?」
「お主達の狙いはなんだ?ワシの名を語っていたのは知っているが結局誰が、何のためにそうしたのかわからずじまいじゃ。ワシの手の者はお主達に殺られたのであろう?」
ランスロット改めベルモンドは少し感心したような表情を見せ、考えた。
「まぁ、あなたのおかげで上手くいったから教えてあげるよ。僕らの狙いは後にも先にも邪神ディータさ」
トールマンの求めていた答えではないかもしれなかったが、ランスロットは答えた後、トールマンの胸に長剣を突き刺す。頬に更なる返り血を付着させた。
「さぁ貴方にはもう一仕事してもらいますよ?」
ランスロットはトールマンの亡骸を見ながら言った。
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~ハルが異世界召喚されてから23日目~
恒星テラが昇り始めた時、マキャベリーとチェルザーレはポーツマスの城下町を通り抜け中央の城へ到着すると、直ぐ様異変に気付いた。
城内は騒然とし、怒号が行き交っていた。それを城主のウィッテが止めようとしているが、憤っている者達を止められない。今にも城内で戦闘が繰り広げられようとしていた。
マキャベリーはウィッテの元へ向かうと、ウィッテはハッとした表情を浮かべ、直ぐに罰の悪い表情へと切り替わった。
マキャベリーはウィッテに詰め寄る者達を制するが、矛先がマキャベリーへと向けられただけだった。見かねたチェルザーレがスキル『威圧』を使ってこの場にいる者達を鎮める。
全員がその場で息をのみ、血の気が引く。気を失った者までいた。チェルザーレはウィッテに説明を求めた。
「説明するよりも見て頂いた方が早いでしょう」
ウィッテは元城主トールマンの部屋へとマキャベリー達を案内する。
部屋の外には護衛である逞しい男が血を流し、壁に背を預けて倒れていた。ダラリと伸びた左腕は暗殺者を部屋へ侵入させんと最後まで阻もうと努めたことを表しているようだった。
マキャベリーとチェルザーレは眉一つ動かさずその護衛の死体を眺め、いよいよ部屋へと踏みいった。
元城主にしては簡素な四角い部屋、扉を開けて正面の壁にトールマンの死体が磔にされたように掛かっていた。
胸には長剣が刺さっており、それがそのまま壁に突き刺さりトールマンを支えている。血はトールマンを中心に壁や床に飛び散り、殺害した者にも返り血が多量にかかったことが予測できた。小さな老人にこれ程迄の血が通っていたことに驚く。ダラリと伸びた肢体に血が伝い、床を現在進行形で赤く染める。
マキャベリーは入室すると、その床に目がいった。
「殺されてまだ間もないですね」
独り言のように呟いた。
「…それにこの長剣……」
マキャベリーは床に貯まった血から胸に刺さった長剣に視線をずらす。
「…フルートベール王国のものかと思われます」
ウィッテは言いにくそうに進言する。しかし、マキャベリーは何も反応を示さない。
「かなりのモノだ」
チェルザーレがマキャベリーの後ろから言葉を発した。
「え?」
ウィッテは何のことわからぬ意を示す。それに応じるかのように突き刺さった長剣を値文しながらチェルザーレは続けた。
「いくら年老いた老人でも、胸に刺した長剣一本で身体を支えさせるのは至難の業だ。人体の仕組みを理解していないと、こうはならん」
柄の部分から刀身、トールマンの胸の順に視線を送ってチェルザーレは評した。
マキャベリーはその評に同意しながら告げる。
「こんな芸当ができるのは帝国でも数人しかいません。フルートベール王国なら更に数が絞れますが、わざわざ王国の長剣を使い、トールマンさんをこのように弄ぶのには意味があります」
「意味とは……?」
マキャベリーはウィッテの質問には答えずに訊いた。
「フルートベールの方々はどこへ?」
「全員を広い会議室に集め、帯剣を許可しております」
「行きましょう」
マキャベリーはトールマンの死体を下ろすよう命じ、フルートベール王国の者達が集まる会議室へ向かった。
「帝国と王国を戦争状態に戻す。或いはここポーツマスを混乱に陥れ、それに乗じて何かを企んでいるのかもしれません」
マキャベリーは移動中、ウィッテに先程の意味について説明した。乱暴な足音を立て足早に王国の者達のいる会議室へと歩く。
「企てとは何なのでしょうか?」
「はっきりとはわかりませんが、いずれにしろ、目的は彼女です」
扉を開け、大勢のフルートベール王国の者達がいる中、マキャベリーはピンク色の髪が目立つルナに視線を合わせた。
ルナは小動物のように脅えていた。
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