第26話 授業が始まるよ 前田正樹の場合

 みさきが俺の右手に抱き着きながら歩いているのだけれど、どういうわけか愛華先輩は俺の左手に抱き着いていた。


「愛ちゃん先輩までなんでまー君にくっついてるの?」

「みさきタンが手を繋いでくれないから、前田にくっつくことで間接的にみさきタンと繋がれるからだよ」

「そんなこと言って、本当はまー君の事が気に入ったんでしょ?」

「それは無いけど、みさきタンが前みたいに私と手を繋いでくれたら離れるよ」

「うーん、まー君を取られそうで心配だったけど愛ちゃん先輩なら大丈夫かな」


 通学時間なので多くの人が同じ方向へ歩いているのだけれど、二人に抱き着かれている俺は周りの人達よりも歩く速度が遅くなるわけで、追い抜く人がみんなこっちを振り返って見て行くのは当然だと思うし、俺に向けて何か呪詛のようなものを残していくのも当然だとは思っていた。

 いよいよ学校が見えてきた段階で、愛華先輩が立ち止まると、俺とみさきもその行動にひかれるように立ち止まった。さすがに学校が近くなると恥ずかしいのだと思っていたけれど、愛華先輩が伝えたかったことは別にあった。


「ねえ、みさきタンは今日のお昼私と一緒に食べようよ。前田も誘っていいからさ」

「まー君と二人がいいんだけど、どうして?」

「気持ちはわかるけれど、一年生カップルが堂々とどこで昼食デートする予定なのかな?」

「それは考えてなかったけど、どっちかの教室とかかな?」

「みさきタンはそれでいいかもしれないけど、前田はどうかな?」


 俺は別に誰かと一緒にご飯を食べる約束もしていないし、みさきと一緒に食べるような話もしていなかったので、全く想像がつかなかったけれど、恋人同士ならそう言うもんなのかと思っていた。だからと言って、愛華先輩と一緒にご飯を食べる理由はないと思うのだけど。


「そうですね、俺は二人でも全然かまわないですけど」

「そっか、それでもいいんだけど、私達と一緒に食べた方が楽しいと思うんだけどな」


 愛華先輩はチラチラと俺に視線を送ってきているのだけれど、これは話に乗れってことなのだろうか?

 恩も義理もないのだけれど、何となく話しに乗っていた方が後々いい事が待ってそうな予感がする。ここはひとつ、愛華先輩の提案に乗ってみようかな。


「そうですね、一緒に食べるのもよさそうですけど、私達ってどういう意味ですか?」

「ああ、私はいつもアリスと一緒に食べてるんだけど、その仲間に入れてあげようって話なのさ。アリスは知ってるだろ?」


 みさきは当然のように頷いているのだけれど、入学して一か月ちょっとの人間が先輩を知っている前提なのはおかしいと思った。けれど、名前からして日本人じゃないだろうし、知っていて当然だというのならば、何度か校内で見かけた外国人の先輩なのではないだろうか。その外国人の先輩の横にはいつも胸が異常に大きい先輩がいたような気がする。それがこの人か。


「ああ、何となくならわかるかもしれません。金髪の外国人の人ですよね?」

「そうだよ。アリスは前田とも仲良くしてくれると思うけど、みさきがいるんだから好きになったらダメだぞ」

「なんでみさきがいるのに他の人を好きになると思うんですか?」


 俺の答えを聞いて愛華先輩は驚いていたようだったけれど、みさきは俺を抱きしめる力がより強くなっていた。ちょっとだけ泣きそうになるくらい強かったけれど、俺はその痛みに耐えて微笑んでいた。


「ま、それならそれでいいんだけどね。じゃあ、昼休みになったら校門脇にはえてる桜の木のところで集合な。まだサクラには早いけど、そのうち花見でもしながら食べような」


 一方的に約束を取り付けられたわけだけど、みさきはそんな愛華先輩の行動に慣れているのか、あっさりと承諾していた。


「一人で桜の木の下に行くのは怖いから、昼休みになったらまー君を迎えに行くね」

「うん、わかった。でも、購買に寄ってからでいいかな?」

「飲み物でも買うの?」

「いや、今日はパンの日なんで食べ物買わないといけないからさ。いつもならコンビニよって買ってるんだけどね」

「今日はお弁当じゃないの?」

「今日は父さんが弁当じゃない日なんで俺も弁当ないんだよ」

「そうなんだ、ちょうどいいね。私のお弁当を分けてあげるから買わなくていいよ」

「悪いから買うよ。二人で食べたら後でお腹空いちゃうかもしれないしさ」

「大丈夫だよ。二人でも食べきれるかどうかって量があると思うし、まー君は私のお弁当食べたくないのかな?」

「いや、それならいいんだけど、みさきのお弁当が食べられるなら幸せだと思うよ」


 少しだけみさきが怒っていたようだけど、今はいつもの笑顔に戻っていた。それを見ていた愛華先輩はなぜか哀しい目をして俺を見つめていた。


「じゃあ、昼休みに桜の木の下で待ってるな」

「他の人がいたらどうするんですか?」

「まだ寒いのに外で食う奴なんていないだろう」


 愛華先輩の言葉はもっともだと思ったけれど、その寒い中外で食う俺たちは一体何なんだろう。校門はどの教室からも見えているので、完全に晒し者のような気がしてならない。


 再び愛華先輩が歩き出すと、俺たち二人もそれに引っ張られるように歩き出した。途中で何にもの生徒たちに追い抜かれてはいたけれど、遅刻になるまでにはまだまだ時間に余裕があるので、誰も焦ってはいなかった。

 そのまま校門までくると、普段は誰もいないのだけれど、ゴールデンウイーク明け最初の授業があるからなのか、服装や頭髪を検査している先生がいた。基本的には挨拶だけど素通りすることが出来るみたいだけれど、服装が怪しい人や頭髪に問題がある人は止められていた。

 俺は制服も普通に来ているし、頭髪も黒で長さも問題ないはずだ。みさきももちろん違反しているような制服でもないし、スカートの丈も標準的な長さだろう。愛華先輩は胸が大きすぎることを除くと、いたって真面目な普通の生徒だった。そんな我々三人が止めらることなどなく、挨拶をしてみたら挨拶を返された。それくらい普通に制服を着ているし、身だしなみもきちんと整えていた。


「先生、あの三人を通して良かったんですか?」

「どこか身だしなみでおかしなところがあったか?」

「いえ、身だしなみは問題なかったと思いますけど、三人が腕を組んで登校しているんですよ。風紀的にも倫理的にも良くないと思うんですけど」

「あのな、守屋。今回は抜き打ちの服装検査なんだぞ。服装以外の事で止めてしまったとして、その間に違反者が素通りしてしまったら本末転倒だとは思わないのか?」

「いや、それとこれとは話が違うと思うんですけど。あんな小ハーレムを形成している男って怪しいでしょ」

「あの三人がどういう関係なのかは先生にもわからないが、守屋が想像しているような関係ではないと思うぞ」

「でも、あんなのは高校生として以前に人として変だと思います」


 俺たちが生徒玄関につくまでの間にそんなやり取りをしているみたいだったけれど、そのやり取りの間に制服を着崩している生徒が素通りしていたのは大丈夫なのだろうか?


「まー君どうしたの?」

「さっきに女子なんだけどさ」


 一瞬だけではあるけれど、みさきの周りの空気が固まったような気配がした。


「まー君はあんな感じの子が好きなの?」

「いや、そう言うんじゃなくて。あの女子ってうちのクラスの人に似てるような気がしてたんだよね」

「そうなんだ、まー君のクラスにどんな人がいるのか把握しとくね」


 みさきは嬉しそうにそう言うと、自分の下駄箱に向かっていった。なぜか俺の腕から離れない愛華先輩を無視して、俺も自分の下駄箱に向かっていたのだけれど、凄い力で引っ張られて、三年生の下駄箱まで移動させられていた。


 何故か愛華先輩に壁ドンをされている形になっていたのだけれど、そのまま俺の耳元まで顔を近付けてきた愛華先輩は少しだけ息が乱れていた。


「いいか、昼休みの約束をすっぽかすなよ。それだけだ」


 俺が返事を返す前に愛華先輩は靴を履き替えて教室へと向かっていった。俺はそのまま自分の下駄箱まで戻ったのだけれど、そこには心配そうに見ているみさきが待っていた。


「大丈夫?」

「何が?」

「愛ちゃんにまた連れていかれてたみたいだけど、変な事されてない?」

「ああ、昼休みの約束守れよって言われただけだよ」


 俺の言葉に安心したのか、みさきはいつもの笑顔で俺の腕に抱き着くと、嬉しそうな顔を俺に向けてくれていた。俺は巨乳に興味はないのだけれど、あれだけ押し付けられていたら少しは気になってしまうだろう。それと対比するように、みさきの胸は小さいらしく、おそらくワイヤーか硬いパッドのようなものの感触しか伝わってこなかった。


 俺はみさきよりも先に自分の教室に入ると、みさきはそのまま中までついてこようとしてた。このクラスにみさきの席は無いのだけれど、それを理解していないかのように俺の席の横に座ると、カバンを開きだした。


「みさきってこのクラスじゃないよね?」

「あ、そうだった。まー君の事ばかり考えてたから間違えちゃったかも」


 そう言って教室を出て行くと、みさきと入れ替わるように今まで話したことが無いような女子に囲まれてしまった。


「ねえ、前田君って佐藤さんと付き合ってるの?」

「二人はいつから付き合ってるの?」

「前田君って三年生の先輩とも付き合ってるの?」

「本命ってどっちなの?」


 と、色々な質問をぶつけられてはいたけれど、この人達を認識したがたった今なので、声の違いを聞き分けることが出来ず、無言で固まってしまった。その後も色々と妄想なのか理想像なのかはわからないけれど、色々な質問が俺にぶつけられていた。


「ちょっと前田君に話があるんだけど、良いかしら?」


 女子の壁を突破してきたのは友人の田中ではなく、校門のところで先生と言い争っていた女子だった。俺に文句を言うためにこのクラスを探し当てるなんて、何委員かわからないけれど情報収集能力が高い。


「ねえ、なんで前田君は三年の鈴木先輩と隣のクラスの佐藤さんと腕を組んで登校していたのかしら?」

「すいません。それは俺もなんでなんだろうって思ってるんですけど、どうして俺のクラスが分かったんですか?」


 俺の言葉を聞いてこの女子が眉をピクッと動かしていた。周りの女子達もヒソヒソと何かを話しているようだった。


 俺に文句を言いに来た女子は、俺の机に両手を叩きつけると、そのまま真っすぐ俺を睨んでいた。全く瞬きもせずに俺を見つめるその視線は、明らかに怒りが隠し切れないもののように思えていた。


「なんで前田君のクラスがわかるかって? 同じクラスだからでしょ」


 そのまま何度も机を叩くのだけれど、俺の机に罪はないはずだ。一か月以上一緒のクラスで勉強していて、クラス全員の顔と名前を覚えてない俺にも問題はあると思うけれど、同じクラスならもっと早く言って欲しいと思った。そうすれば俺も変な事を言わずに済んだというものだ。


「あなたはクラスメイトの顔と名前も覚えてないの? それとも私だけ覚えてないわけ?」

「ごめんなさい。人の名前と誕生日を覚えるのが苦手でして。でも、君みたいに可愛らしい子を正面から見ていたら忘れないと思うんだけどな」

「突然何を言いだすのよ。でも、苦手なら仕方ないわね。今週中にクラスメイトの顔と名前くらい憶えておきなさいよ。いいわね?」


 そう言われても、俺一人でどうにかなる問題でもないだろう。出席番号順に席が並んでいたのなら名簿と照らし合わせて覚えることも出来そうだけど、席替えで変わってしまっているのでそれも難しい。田中なら何とかしてくれるだろうと思っていたのだけれど、田中はまだ登校していないようだ。


「覚えるように努力します。で、可愛らしい君のお名前を聞いてもいいですか?」

「私は可愛くないわよ」

「いや、十分可愛いと思うけど」

「佐藤さんよりも?」

「みさきの方が可愛いよ」

「じゃあ、三年の鈴木先輩よりも?」

「愛華先輩の事は今日会ったばかりだし、横顔しか見てないから比べられないな」

「胸は大きい方が良いって事?」

「どちらかと言えば大きい胸は苦手かも」


 守屋さんは周りにいる女子に比べて大きい胸をお持ちのようだけれど、愛華先輩に比べると存在感が無くなってしまいそうだった。そんな守屋さんの何度目かわからない攻撃に耐えている机が不憫でならないけれど、ただ耐えるだけの存在になっているので、後で労わることにしよう。


「私の名前は守屋紗耶香よ。ちゃんと覚えておきなさいよ」


 そう言いながら俺のスマホを勝手に操作してメッセージを送りつけてきた。俺のスマホのロックは顔認証であっさりと突破されてしまったのだが、家に帰ったら顔認証から他の生体認証に変更しようと心に誓った。


 そんなやり取りをしていると、予鈴が鳴り響いてもうすぐ朝のホームルームが始まる事を告げていた。珍しい事に田中はまだ来ていないようだった。そんな中、俺のスマホにメッセージが新しく届いていて、未読は30件くらいになっていた。


 何となく一番新しいメッセージを見てみると、知らない人からのメッセージだったのだが、開いてみると今まで無いくらい絵文字と顔文字が大量に使われていて見づらかった。要約してみると、こんな感じだろう。


『入学した時から好きです。彼女と別れて私と付き合ってください。さやか』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る