四.狩人が思い描く夢


 春先のルマーレはまだ日が短く、日暮れよりだいぶ前に夕刻の気配が忍び寄ってくる。

 夕食の下準備を終えたレーチェルが洗濯物を取り込もうと裏庭へ行ったタイミングで、表から犬たちの吠える声が聞こえてきた。シャルが帰ってきたのだろう。


「シャル、本当に熊をってきたのかな」

「どうでしょう……わたしは、ちょっと食べてみたい気もしますけど」

「ルシアは野生肉に抵抗がないんだね」

「熊肉はおいしいって噂ですもん」


 ゆるく波うつ長い金髪と、大きくて神秘的なブルーグレイの両目。清楚可憐を絵に描いたようなアルテーシアは時々、愛らしい外見からは予想もつかないびっくり発言をする。彼女のご両親に挨拶した時の印象は、母親が物静かで優しそうな人、父親が狼みたいに精悍せいかんな人だったので、容姿は母親似、性格は父親似なのかもしれない。

 熊肉に抵抗のあるセスが返答にきゅうしていると、裏庭に出ていたレーチェルが戻ってきた。慌てているのか、白い肌がほんのり上気している。


「ルシア、シャルは戻ってきまして!?」

「まだ外だと思うわ。ファーとフィルの声が聞こえるもの」

「見てきますわね!」

「あっ、俺たちも行くよ」


 言い置いて飛びだしていったレーチェルの後を、セスとアルテーシアも追う。母家の玄関から外に出て家の横側に回ると、大きめに作られた外の水場にシャルがいた。狩り用のコートとブーツを脱いで、手を洗っていたらしい。

 横に置かれた荷物――大きめのリュックは膨らんでいるが、見回した限り獲物の姿はないようだ。三人三様の呼びかけを受けてシャルは顔をあげ、手の水を払って立ちあがる。


「セス、ルシア、おめでとさん! 門出祝いに今夜は熊鍋にしようぜ」

「ありがとう、シャル。えっ、でも熊鍋って、熊!?」


 開口一番の衝撃的発言にセスがしどろもどろになっていると、レーチェルが眉をつりあげてぐいっとシャルに詰め寄った。


「今から煮物なんて用意できませんわよ! 解体するだけで日が暮れちゃいますものっ」

「あはは、今から解体なんて冗談だろー? ちゃんと処理済みのヤツを貰ってきたから安心しろって」


 朗らかに笑ってリュックを指差すシャルの様子にレーチェルの顔がさっと青ざめた。アルテーシアが興味津々といったふうに近づいていったので、女子二人で荷物の中を改めるつもりなのだろう。


「すごいな、シャル。本当に熊を狩ったんだ……?」

「俺一人でじゃないけどな。実はだいぶ前に猟師仲間と獲ったヤツが、そろそろ食べどきだったんだよ」


 すっかり背が伸び精悍さを増した彼は、猟犬たちの親分でありながら大型猫科ヤマネコじみた鋭さがあり、レーチェルと見比べれば天使と猛獣だ。デュークのような太さはないが引き締まった腕や肩、長くしなやかな手脚。足掛かりになる枝がなくてもするする樹上へ登っていく筋力と身軽さは、素直に羨ましいと思う。

 長い髪を日に焼けた首の後ろで一括りにしているのは、相変わらずで。獲物を見定める瞳には無邪気さと剣呑さが同居している。顔つきも骨張って野性味を増した――と思えば、以前にはなかった無精髭ぶしょうひげあご周りに散っていた。獲物の検分を終えたらしいレーチェルが、見とがめて声を上げる。


「シャル、先に顔を洗って髭をってきてくださいませ」

「えー、いいじゃん。セスもルシアも気にしないだろ?」

「気にはしないけど……なんか、雰囲気だいぶ違うな」


 聞けば、珍しい獲物を狩る時などは数日野外で過ごすこともざらだという。成人男性なら髭が生えてくるのも当然なのだが、野性味が増すからなのかレーチェルは苦手のようだ。容姿のことで悩みがちなセスにはむしろ羨ましいほどなのだけれど。

 そんな心理を見抜いたのかどうか。シャルが口角を上げ揶揄からかうような調子で言う。


「セスも伸ばしてみれば? 女顔って言われなくなるぜ」


 彼の冗談をセスより早く理解したアルテーシアが、隣で吹きだす。少し遅れて意味を把握はあくしたセスが言い返す前に、レーチェルが彼の長い後ろ髪を掴んで引っ張った。


「いい加減になさい」

「いて、いてて、やめろってレイ!」

「早く身支度してきてくださいませっ。髭も剃って」

「心配するなよ、キスの前までにはちゃんとするからさー……っいててて、禿げる!」

「頭皮ごとぎますわよ!」


 怒りというより照れか羞恥しゅうちか。首から上が綺麗に赤く染まったレーチェルに追いやられ、シャルは急いで母家に駆け込んでいった。隣でずっと笑っていたアルテーシアが、上目遣いでそっとこちらをうかがい囁く。


「わたしは、セスが伸ばしたいならいいですよ。父が頬擦りするときのお髭の感触、わりと好きだったので」

「いくら俺が女顔だからって」

「もうっ、ルシアまで揶揄からかわないで!」


 ようやく追いついた思考で抗議すれば、顔を覆ったレーチェルと声が揃った。自分のことはともかく、動揺する彼女は以前より本当に生き生きして見えて、アルテーシアがにこにこしている気持ちもわからなくはない。シャルともそういうふうに、仲良く過ごしているのだろうから。

 四人ではしゃぐ声が竜舎に届いたのだろう、裏庭のほうから黒飛竜トライドの間伸びした甘え声が聞こえてきた。レーチェルがはっとしたように顔を上げる。


「こんなことしてる場合じゃないですわ、熊を……熊肉を……夕飯に間に合うよう調理するレシピを、考えないと。セス様はリビングでシャルとくつろいでいてくださいませ!」

「わたしも手伝うわ。どんな味がするのかしら、楽しみ!」


 シャルが残していったリュックを抱え、レーチェルとアルテーシアが連れ立って裏口のほうへ歩きだす。どうやら熊肉パーティーは決定のようだ。野生肉には若干の不安があるが、もう腹を括るしかなさそうだ。


「鍋、うーん……くさみを取るには時間が……」

「シャルさんは処理済みっていってましたし、肉といったらやっぱり……」


 意見を交わしながら去っていく二人の後ろ姿には妙に家庭的な雰囲気が漂っており、改めて四年の歳月を実感させられた。


 



 結局、熊肉のかたまりは薄くスライスされ、焼き肉としてきょうされることになった。下味に薬味を使ったようで、警戒していたほど臭みは感じない。シャルによれば、下処理が上手だと食べやすくなるのだとか。

 二人の来訪に気を遣った姉夫婦は外で食べてくるらしい。久しぶりに四人で囲む食卓は楽しかった。甘辛い味つけの肉汁を野菜に絡めて炒めながら、セスとシャルは酒を酌み交わし互いの近況を語り合う。

 産まれも育ちも庶民のシャルはレーチェルと違い、大きな神殿で王族や貴族に見守られながら行われる結婚式へ参列することに、いささか気後れがあるという。


「だってさ、俺なんかどう見ても場違いじゃんよ」

「そんなことないよ。司会進行はデュークだし、ラフさんは礼儀作法をうるさく言わない人だし、貴族といっても俺の親族が幾人か、ってだけだから、気楽にさ」

「うん、もちろん行くけどな。義兄にいさんの礼服借りるか、一張羅いっちょうら仕立てるかはまだ迷ってるけど」


 脂が甘くまろやかな熊肉の肉汁がしみ込んだ野菜も、なかなかに美味しい。最初の抵抗心も忘れて焼かれた肉のうまさを堪能たんのうしながら、セスは隣の友人を見る。私心を後回しにし友のために動くことをいとわぬ彼の気質は、今でも変わらないのだなと思う。


「わたくしは、この機に礼服を一式仕立ててもいいと思います。だって、これから……きっともっと、必要な機会は増えるはずですもの」


 遠慮がちに、しかしはっきり意見を言って、レーチェルは頬を火照ほてらせうつむいた。肉を焼く蒸気に当てられただけでなく、きっと内側から上る熱によるものだろう。


「……具体的な日取りとか、もう決めてるの?」


 聞いてもいいだろうかと迷ったが、秘密裏に付き合っているわけでもないのだし、と思い切って水を向ける。レーチェルはますます頬を染めてうつむき、シャルは照れ隠しのようにへらりと笑った。


「実はさ、二人で……喫茶店やろうかって決めててさ。結婚したらすぐ家を持てるように、資金を貯めてるんだよ」

「だいぶ目処がついてきたので、そろそろ具体的な話を進めようと相談してましたの」

「そっか、すごいな。二人の店がオープンしたら、俺とルシアも遊びに来るよ」


 視線を交わし微笑み合う、かつての冒険仲間たち。自分だってもうすぐ結婚式だというのに、その話を聞いた途端セスの胸に深い感動が湧きあがった。シャルのことだ、どちらの親族にも頼らずに目標額を達成しつつあるのだろう。レーチェルも、そんな彼に人生をゆだねると決めたのだろう。

 天空人てんくうびとは地上の人間よりずっと長命だという。現実的なシャルと生真面目なレーチェル、この二人が互いの寿命差について話し合っていないはずがない。それでもシャルはレーチェルを、レーチェルはシャルを伴侶として選んだ。そこには、セスには知り得ない想いと絆があっただろうから。


「素敵ですね。レーチェル、シャルさん、お二人も詳しいお話が決まったらぜひ教えてくださいな」

「手伝えることとかも、遠慮なく言ってくれていいよ。俺も二人の力になりたいから」

「もちろん! 頼りにしてるぜ、期待の黒竜騎士サマ!」

「シャルってばもう、絡み酒はよしなさいって言ってるでしょう!?」


 熊肉と野菜、具沢山のスープや色とりどりの果物を囲んだ宴の時間は、ゆるやかに更けてゆく。未成年だったあの頃とは違う酒の入ったテンションで、四人は深夜まで賑やかな時間を過ごしたのだった。


 


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