八.さまよう記憶


 不死者の傭兵デュークは、生身の人間が必要とする寝食の一切を必要としない。動いても疲労しないので休憩も不要であり、昼夜を問わず歩き続けることが可能だ。

 しかし、骸骨ミイラ化した姿ゆえに馬はデュークを乗せてくれないし、乗り合い馬車にも乗りにくい。御者の技術はないので馬車を買う意味もない。

 幻魔の森から帝国の帝都ノルディックまでは大人の足で一ヶ月以上かかるが、結局デュークは半月かけて徒歩で全道程を歩き切り、輝帝国の王城にたどり着いていた。


 すっかり遅くなってしまったが、今頃はディスクも回復しただろうし自分が話すべきことはもうなさそうだ。そう思い、軽い気持ちで帝都の騎士団を訪ねたデュークは、そこで衝撃の事実を聞かされることになる。

 ディスク・ギリディシアはいまだ昏睡こんすい状態にあり、医師や神官たちが手を尽くしているが、目覚めの兆候は見られないのだという。




 デュークは無国籍だが、国境なき組合である傭兵ギルドに所属している。信頼と実績を証明してもらうため傭兵ギルドの本部に手紙を書き、関係する書類を送ってもらった。

 ザクロスフィーラ討伐の件を報告書の形でまとめ、身元証明の書類と一緒に輝帝国の護国騎士団ガーディアンナイツに提出して、ようやく面会の許可が降りた頃には、森で彼と別れてから実にひと月が経とうとしていた。

 ディスクの自宅は輝帝国の王城に程近い、騎士団員が多く住まう区画にあるという。最初の数日は王城敷地内にある軍用の医療施設に収容されていたが、昏睡から覚めないため今は自宅療養しているという話だった。


「……花、でも買っていくか?」

ぷっきゅいい案だけどぴーきゅきゅぴーんデューク金持ってないだろ

「そう、……だな」


 むなし手で訪ねるのは気が引けたが、ない袖は振れない。半分は門前払いも覚悟しつつ、デュークがギリディシア邸の門を叩いたのは昼をだいぶ過ぎた時間だった。

 執事でも出てくるかと内心で身構えるも、扉を開けたのは赤い癖毛の若い騎士。傭兵ギルドからの証明書類と騎士団からの許可証を見せれば、彼は特に詮索することもなく邸宅内へ招き入れてくれた。フードとマントを取れと言われたらどうしようかと、言い訳をあれこれ思い巡らせていたのだが、もしかしたら事前に通達が行ったのかもしれない。

 それほど広くはない邸宅を案内され導かれた先は、奥の間だった。騎士の声がけに応じて若い女性の答えが返る。


「僕はここに控えておりますので、どうぞ奥様に事情を話して差しあげてください」


 扉を開け促す青年騎士の手の先には、黒い簡易ドレスに身を包んだ女性が座っていた。豊かな金の髪、薔薇ばら色の双眸そうぼう。傍らの子供用ベッドに視線を落とし、愛おしげに幼子をあやしている。顔を上げデュークを見た彼女は微笑みを浮かべ、紅をいた唇を開いた。


「今寝ついたばかりで……座ったままの非礼をお許しくださいな。貴方がディスクを、夫を助けてくださった魔剣士の方でしょうか。このたびは、夫が大層お世話になりました」

「……いや、まさか、こんなことになっているとは知らず……。見舞いが遅くなってしまい、申し訳ない。その子、は?」

「ディスクと私の、娘です」


 あの馬鹿、と喉元まで出かかったのを押し込めた。妻子、それも生後間もない幼子がいながら危険な任務についた男を思い、苛立たしさとやるせなさがデュークの胸に満ちる。代わってやれなかった自分にも、腹が立った。


「……申し訳なかった」

「ディスクはわかっていて、出向いたのです。貴方のお陰で、こうして戻ってくることが出来た。本当に、感謝してるのよ」


 口調がやわらかく崩れ、彼女の視線がベッドで眠るディスクへと向く。あれから一ヶ月、長い黒髪は綺麗に解かれており、無精髭が目立つものの顔色は悪くない。

 右目の下から額にかけて皮膚を裂いた傷は、くっきり痕になっているものの完全にふさがっていた。眼球までは治癒できなかったようだが、致命的な深傷ではないだろう。

 マントの中に隠れていたフィーサスがもぞもぞと動いて、そっとベッドの端に降りた。

 ディスクの妻は一瞬、驚いたように視線を寄越したが、とがめるでもなく夫のほうへ視線を戻す。


「……おそらく、ディスクは自分自身をにして、ザクロスフィーラを封じ込めたんだろう。奴が……打ち勝てば、……戻ってくるはずだ」

「そうね。早くこの子に名前をつけて欲しいのに。いつまで、待たせるつもりなのかしら」

「…………、そうだな」


 あるいは朽ち果てるまで、終わらぬ戦いかもしれない。あるいは今ディスクを絶命させれば、確実にザクロスフィーラをめっせるのかもしれない。胸に去来した考えを、けれどデュークは口にはできなかった。

 相棒フィーサスにだけ見える角度に枯れた指を伸ばし、宙にゆっくりと文字を描く。つぶらな瞳がぱちりと瞬き、フィーサスはふわりと浮いてディスクの脚がある辺りに着地した。


「……奥方。もし、あんたが聞きたいなら……、森で起きた出来事を、私から伝えることができる、が」

「そうね。せっかく来てくださったのだし、聞いておけばディスクが起きてから説教できるかしら。差し支えないなら、聞かせてくださる?」


 彼女の返答を最後まで聞き、デュークは頷く。話すのは得意ではないが、これが祈りの一助になれば、と願って。

 森の時と違い、デュークは彼の戦いを支援することができない。フィーサスもわずかな加護を与えるしかできない。ザクロスフィーラとの戦いを制するか否かは、ディスク自身の精神力にかかっているのだ。

 白い毛玉がディスクの頭にまで移動したのを見届けてから、デュークは確かめるようにゆっくりと、幻魔の森での顛末てんまつを話し始めた。




  ☆ ★ ☆




 薄暗い森に冷たい霧が立ち込めている。暗い木陰から襲いくる闇獣を斬り払い、明るい場所を求め、さ迷い歩く。もう何日も経った気がするし、時間が停まっている気もする。


「どこだ、どこに隠れてやがる!」


 人間の目は暗さに弱い。若い頃から闇属性を自認するディスクだが、闇を見通す魔眼を持っているわけではない。

 付与魔術を応用して自分の目を魔眼にしようとし、彼女に呆れられたのは、わりと最近の話だったはず。それなのに、口元に手を当て楽しげに笑っていた彼女が――誰だったかを思い出せずにいる。

 気を散らした隙に、背後へ忍び寄っていた獣の鋭い爪を掛けられた。身体を反転させて振り払い、痛みを堪えて闇の剣を振り抜く。霧散する瘴気しょうきに紛れ、彼女の姿もおぼろとなって散ってゆく。


「――畜生、ここは、……俺は」


 おまえは黒豹みたいだな、と揶揄やゆする友の声が、ひび割れて消えてゆく。もう自分の名前すら思い出せなかった。ただひたすら、自分を突き動かす衝動に従い歩き続ける。必ず帰るとの約束が、――でも、どこへ?

 よろめきながら足を踏み出した先が、不意に開けた。凍りついた雪原は夜闇に沈むことなく冷たく輝き、白い三日月が浮かんでいた。


「まだ『記憶たましい』がほどけ切っていないとは、見上げた精神力だ」


 月光を浴びて雪原に立つ、魔導士の職服をまとった背の高い男性。老人というには若く、自分より十ほど上と思われる容貌をしている。しかし、長く伸ばされた頭髪は漂白されたように真っ白だった。

 破砕した氷を思わせる銀青色アイスブルーの双眸が細められ、口元が弧を描く。確かに知っていたはずの名前を思い出せず、ディスクはそれでも威嚇いかくの意を込めて闇の剣を構えた。魔導士の周りでも闇がうごめき、赤い目が幾つも灯ってゆく。


「しかしそこまで摩耗すればもう自分が誰かもわからんだろう。あきらめて、委ねるがいい。ただの人間だというのに、おまえはよく頑張った」

「うるっ……せぇ、誰が、おまえなんかに!」


 悔しいが、その通りだ。しかし、真っ平だ、と思う。

 自分がわからなくなっても、胸に息づくこの想いは裏切れない。必ず、と交わした約束をあきらめるなどできるはずがない。


「残念だ。素直に聞き入れるというのなら、片隅に、欠片くらいは残してやってもいいと、思ったのだがな」


 心底残念そうに男は呟き、右手を掲げた。細く美しい銀杖が彼の手に顕現けんげんする。


「闇に引きちぎられ、われるがいい。さらばだ、……輝帝国の死霊魔術師ネクロマンサーよ」

めるなァ――っ!」


 片目を失ったせいかひどく揺らぐ視界を精神力で見据え、闇の剣を握りしめて、自分を奮い立たせるようにディスクはえる。彼の意志を握り潰さんとするように、闇獣の群れが魔導士の命に従い、一斉に襲いかかった。




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