第16話追放45日目出来事

「はい、どう、どう、どう。

 はい、駆け足!」


「ヒィィィィイン!」


 本当に久しぶりの乗馬だった。

 まだ満足に身体が動く頃、王太子の婚約者なら当然できなければいけないと、激烈な痛みを伴う苦しい治療の合間を縫って、アリスは乗馬の訓練をさせられていた。

 訓練は貴族によるアリスへの虐めであったが、馬とはとても仲がよくなって、仲良くなった馬が、意地悪な貴族を振り落としたり蹴り飛ばしたりしてくれた。

 その馬が怒った貴族によって殺されるという悲劇もあったが……


 だがここには、アリスを虐めたり馬を虐殺する貴族はいない。

 いるのは慈愛に満ちた目でアリスを見つめてくれるテーベだけだ。

 テーベのその視線を受けるたびに、アリスは期待してしまう。

 テーベが自分の事を愛してくれているかもしれないと、期待してしまうのだ。


 日頃の態度、治療という名の愛撫を考えれば、自分は溺愛されていると思う。

 思うが、王太子、月神殿、国王に裏切られた過去が、アリスを憶病にしてしまう。

 聞きたくても聞けない。

 確かめたくても確かめられない。

 つい憶病になってしまうのが、乙女心というものかもしれない。


 依存といえば言葉が悪くなるが、全てに裏切られ、一度全てを失ったアリスが、テーベを失いたくないと憶病になるのは、致し方がない事だろう。

 だから、明らかに人間とは思えないテーベに、その正体をたずねる事もできない。

 自分を溺愛してくれる態度と、この地を変化させる力から、月神様かもしれないと思ってはいても、たずねる勇気など全く湧き出てこない。


 それどころか、最悪の状況まで想像してしまう。

 テーベが自分を大切にしてくれるのは、月神の聖女、癒しの聖女だからだけで、アリス個人を愛し大切にしているわけではないのではないかと、疑ってしまうのだ。

 日頃の溺愛ぶりを見れば、一人の女性として愛してくれてると思いたいし信じたいのだが、テーベの態度は神の聖女に対する普通の態度で、愛する女性への態度ではないのかもしれないと、疑心暗鬼になってしまうのだ。


 普通に愛されて育ったのなら、そのように不安になる事などないのかもしれないが、不幸な経験をしてしまったアリスは、不安と恐怖を感じてしまうのだ。

 テーベの愛を信じきれないのだ。

 この関係が壊れてしまうかもしれない疑問を、口にする勇気がないのだ。


 それに、普段はそのような不安を感じる事はない。

 溢れんばかりのテーベの愛情に包まれ、とても幸せなのだ。

 今日も一人で乗馬する前は、テーベが二人用の鞍の後ろに座り、アリスを前に乗せて、二人で愉しく乗馬していたのだ。


 その幸せな瞬間は、なんの不安も恐怖のないのだ。

 不安と恐怖を感じてしまうのは、疑問を感じてそれを確かめようと思ってしまう瞬間だけなのだ。

 だからアリスは、疑問を頭と心から消すように心がけていた。

 

 

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