05 ケンジ/健司

沙耶にパシられて大学の購買に行くと、珍しく混雑していた。

ずぅーっと同じものが置きっ放しになっているんじゃないかと心配になるくらい常に品揃えのいいパンや飲み物のコーナーが、スカスカだ。なんとか沙耶が好きなホイップクリーム入りのあんぱんをゲット。俺は…たまごサンドでいいか。あとは沙耶の牛乳…ストロー付きの小さいパックのが、無い。いちご牛乳とかコーヒー牛乳ならあるけど、甘いのじゃ意味が無い。

「おばちゃん牛乳ないの?」

忙しそうにレジを打っている購買のおばちゃんに聞こえるように大きな声で話しかけると、負けないくらい大きな声で

「そこになきゃ無いよ。また沙耶ちゃんかい?」

まわりには顔に見覚えがあるようなないような …ってくらいの、つまりは名前がわかるような学生はいなかったけど、それでもみんなに聞かれているようで少し恥ずかしくなった。恥ずかしいとか嬉しいとかそういうの、俺って全然顔に出ないらしいけど。今日からしばらく、学校内にあるコンビニが改装のため休みなんだと、誰かが話すのが聞こえた。


教室に戻ると十数人の学生たちがいて、何人かでかたまってそれぞれ好きなものを食べながら会話している。俺が教室を出た時と同じ位置で、赤いカナル型イヤホンを耳にさした沙耶がひとりで机に突っ伏していた。肩までの生まれつき色素の薄い髪は後ろで束ねられているけど、試着が嫌いな沙耶がサイズを間違えて買ったのか、ずいぶんゆるそうな深緑のパーカーの袖で顔が見えない。眠っているのだろうか。沙耶はよく、あまりテレビでは見かけない日本のバンドの音楽を聴いている。赤いコードがささったケータイを覗き込むと「People in The Box」と表示。やっぱり知らない。覚えていたら、今度聴いてみよう。沙耶の頭の上にそっとあんぱんを置いてみる。

「ありがとぉー」

起きていたらしく、そう言いながらのっそりとあんぱんをとり、イヤホンを外す。

「購買、珍しく混んでた」

「へー。そお」

聞いてない。俺の話は大概聞いてない。いつもなにか他のことを考えてる。今はたぶん、あんぱんのこと考えてる。イヤホンを外す意味が無いじゃないか。まあいいか。

「いただきまぁす」

彼女があんぱんを食べ始める。これ以上会話が続きそうにないので、俺もパンを食べながら、友達から借りた本の続きを読むことにする。「僕のヒーローアカデミア」。少し前に沙耶が面白いと言っていた漫画だ。たしかに、面白いと思う。

「牛乳飲みたい」

…ああ、やっぱり。そういえば売り切れてたんだっけ、牛乳。沙耶に甘いものを頼まれた時、いつもは一緒に買って来るんだけど。コンビニまで買いに行こうかな、そういえば休みなんだっけ。

「健司、牛乳は?」

機嫌が悪くなっている。

「え、ないけど」

売り切れてたんだ。

「そんなん頼まれてたっけ」

言い訳してみる。

「別に頼んで無いけど...」

しばらくこちらを睨んだあと、諦めたのか、カバンから麦茶を出して飲む。少し機嫌が直る。そしてまた、幸せそうにあんぱんを頬張る。その顔が見たくて、いつも沙耶を目で追ってしまう。



「また、好きな子のこと考えてたでしょ」

隣で裸の雪さんがそう言って笑う。胸元から下には真っ白いシーツが掛かっている。

「別に好きじゃありませんよ」

たぶん、沙耶のことを考えていた。あまりにもいつも考えてるからそれが当たり前になってしまって、何も考えていなかった気もする。

「あら、じゃあなんでその子のこと考えてるの? こんなに素敵なおねえさんがとなりにいるっていうのに」

からかわれている。でも、雪さんにからかわれるのは嫌じゃない。

「すみません」

「許さない」

雪さんが本当に怒っているみたいな顔をして見つめてくる。そんなことするから、ふたりで同時に吹き出してしまう。それが何かの合図だったみたいに、シーツに隠れた雪さんがまた僕を迎え入れてくれる。そうなることを知っていたのか、僕の血液は雪さんを求めて一箇所に集まり、そこを硬く膨張させていた。

「時間、大丈夫ですか?」

僕が白けるようなことを言ってしまうと、それを隠すみたいに雪さんは僕の耳を強く噛み、舌で唇で口を塞ぐ。頭がぐわんぐわんする。下半身がひどく熱い。今は出したらマズい。ゴムをつけてない。僕の焦りを感じ取ったのか、雪さんは意地悪な顔をしてさっきよりも強く締め付けてくる。だめだ。抜かなくちゃ。頭ではわかっているつもりだけど、理性なんか無視して本能を優先するみたいにからだが言う事を聞いてくれない。勝手に動きが激しくなる。雪さんも抜こうとしない。もしかしたら僕の両腕が雪さんの身体を強く押さえつけてしまっているのかも。


「ごめんなさい」

倦怠感と疲労感の中で力なくそう言うと、

「いいわよ、私が意地悪したんだから。子供ができたら旦那の子だって言うわ」

雪さんはベッドに腰掛け、溢れた液体をティッシュで拭いながらまた笑っていた。いったいどこまで本気なのだろう。彼女は休む間も無く服を着始める。全身にまとわりつくふたりの汗も、まだ中に残っているはずの液体も、そのままだ。

「そのかわり、ってわけじゃないけど、車で駅まで送ってくれる?ほんとに遅れそう」

時計を見ると、もうすぐ雪さんが保育園へ娘を迎えに行かなければならない時間だった。


旧型の白いミラジーノに雪さんを乗せ駅へ向かう。

「ほんとかわいい車。あなたには似合ってないわよ」

『かわいいくるま。健司には似合わない』乗せるといつも沙耶と同じことを言うからあまり乗せたくない。沙耶が好きだと言うから、アルバイトでお金を貯めて買った車だ。

駅で雪さんを下ろしてUターンする時、深緑色の人影が視界に入る。気のせいだと思ったがどうやら本当に沙耶のようだ。どきどきする。知られたくない。沙耶は俺に気付いていない。少し不安が薄れる。沙耶と並んで男が歩いている。たぶんノボルだ。自分勝手に悲しくなって、バックミラーでさっき下ろした人妻を見る。振り返らずにまっすぐ駅へ向かう女を見て、余計に悲しくなった。

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