8-4 交換

      ◆


 ヨシノは執務机を挟んでオーシャンと向かい合い、正直に、自分の中にある、どうしても独立派と相いれない思想について、説明した。

「つまり、帰りたいわけだ」

 あっさりとオーシャンがそうまとめてしまったので、ヨシノは一度、小さく頷いた。

「僕には、帰らないといけな場所があります。帰りたい、と表現すれば、確かにその通りです。しかしそれよりも、帰らなければいけない、と思っています」

「自由になりたくないのか?」

 思わぬ問いかけだったが、答えはするすると口から出た。

「自由になれれば、確かに楽でしょう。しかし僕はある意味では、不自由を背負い込みたいと思っています。不条理であろうと、非合理であろうと、そういうものの上に立っている人たちが大勢、僕を待っています」

「何もかもを投げ出せよ、とはさすがに僕にも言えないな」

 笑いながら、オーシャンはそう言った。

「実はな、ヨシノ。きみが最初、この艦に来て独房に入れられている間に、持ち物を全て調べた。どこかから管理艦隊にこちらを探られるのではないか、と思ったからだ。何も出てこなかった。しかし今、きみは艦を降りると言っている。どこかに仲間がいるのか?」

 ヨシノは躊躇わなかった。逡巡するような甘さは、今は捨てるしかない。

「管理艦隊というより、チャンドラセカルがすぐそばにいるはずです」

「チャンドラセカル? ミリオン級潜航艦か。しかしどうやって、ここを突き止めている?」

「端末に追跡するための信号を発するソフトウェアが入っています」

「端末の中も調べたが、何も出ていない。その程度には管理艦隊も出来るということかな」

 顎を撫でながら、オーシャンは何かを計算する顔になった。

「明日には、レッド・シリウスから補給を受けた艦船が進発する。その中なら、うまく姿を消せる、という計算でもないと見えるが、何か今じゃないといけない事情があるのか」

「その通りです」

 ここから先は、ほとんど博打だった。

「実は、管理艦隊が独立派に潜入させたスパイが、この艦に十七名、います」

 やっとオーシャンの顔にはっきりとした驚きが浮かんだ。

「まさか、そいつは、驚いたな。管理艦隊の動きは知っているはずなんだが、出し抜かれたかな」

「どういう攻防があったか、僕は知りません。ただ、僕が船を降りるとき、彼らも一緒に降ろさせてもらえませんか?」

 ふぅん、と言ってから、オーシャンは書類の山を丁寧に横にどけると、その下から小型端末を引っ張り出した。

「十七人も潜入していたのか?」

「実際には七名です。その七名が取り込んだものが十名になります」

「僕の思想も、やはり受け入れないものはいるものだな。ヨシノもそうだが」

 端末が起動し、オーシャンは「名前を言えるか?」と問いかけてきた。

 もしオーシャンが非情なら、この情報を元に内通者を消すかもしれない。

 ずっとオーシャンを見てきたヨシノには、そんなことは起きないという確信があった。

 確信があっても、緊張はする。

 絶対というものが、この世にないからだ。

 オーシャンが、言えないのか? という視線を向けてくる。言葉はなく、眼差しで問いかけてくる。

 覚悟を決めて、ヨシノは十七名の名前を次々と口にした。オーシャンは黙って、素早く端末にその名前を入力した。

 十七人目の名前を言った後、ヨシノが見ている前でオーシャンが頷いて、一度、強くキーの一つを打った。

「チャンドラセカルがそばにいなかったら、どうする?」

 端末を横目にオーシャンが確認してきた。

「きみの端末を調べた限り、追跡を可能にするソフトウェアが入っていたとしても、超長距離での通信は性能からして不可能だ。つまり、救難信号みたいなものを出すんだろう?」

「そうなるはずです。ですからオーシャンには、救命艇を二つ、用意していただきたい」

「用意していただきたい、などと、図々しいことを言うようになったな、ヨシノも」

 笑いながら、オーシャンが身を乗り出す。

「こういうこと、つまり人の命をかけた駆け引きは好きじゃないが、ヨシノからは何か、僕に提供できるものがあるのかな。まさか、全てが僕の善意で、無償で進められるとも思っていないよな?」

「それは、もちろんです」

 何を教えてくれる? とオーシャンが意地の悪そうな顔をする。

「チャンドラセカルの目的を、お話できます」

 わずかにオーシャンが目を見開くが、すぐに笑みの中に消えた。

「チャンドラセカルの目的? 管理艦隊が与えた任務のことか? それを僕に伝えるのは、利敵行為になると思うが」

 今度はヨシノが意地の悪い顔をする方だった。

「露見しなければ、それでいいんですから」

 パチパチと瞬きをして、オーシャンが短く声にして笑うと、悪くない、と頷いた。

「それで、チャンドラセカルの任務とは?」

「表向きでは、まず海王星にあるはずの、民間の調査衛星の現状を把握することです。それが独立派に利用されていないか、連邦に不利益ではないか、それを調べる。同時に、民間企業が建設中の人造衛星の様子も視察します」

「それが表向きで、裏では何をやっている?」

「まず、土星共同体、三つ星連合と関係を構築すること。初歩の初歩、顔をあわせるだけ、意見交換をするだけでも構わないから、とにかく、関係を持っておけと言われました」

 ふぅん、と反射的にだろう、口にしながらオーシャンは背もたれに体を預ける。手はゆっくりと口元を撫でている。

「土星共同体、三つ星連合とは、おおよそ良好な滑り出しができました。それから天王星方面へ向かいましたが、そこまでの間に、通信を中継する装置を配置しました。管理艦隊は土星、場合によっては天王星まで、把握することを想定しているのかもしれません。それは管理艦隊の首脳部、もしくは連邦宇宙軍の上位の管轄で、僕には詳細は伝わっていません」

「なるほど。僕たちを追いかけるつもりはあるのかな」

「伝え聞いただけですが、今は、連邦は内部の改編で忙しいでしょう。再編成しなければならないほど、オーシャンが大勢をこうして引き連れているのですから」

 その通りだな、と破顔すると、ここぞとばかりにオーシャンは細かなことを確認し始めた。

 いつの間にか、一時間ほども話し、最後にオーシャンは「これくらいだな」と言った。

「ヨシノが名前を挙げた十七人は、送り返す。救命艇でいいんだな? 余っている戦闘艦もあるが」

 そのジョークに、「十八人で艦は動かせません」と丁寧に応じながら、ヨシノは安堵していた。

 ただ、今、初めて気づいたこともある。目の前をかすかにチラついた程度だったが、今まで、わからなかった。

 オーシャンという男は底知れないものがある。

 その一端が、見えた気がしたヨシノだった。

 まだ何か、隠していることがあるのだ。

 今はしかし、それは傍に置くしかなかった。



(続く)

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