8-3 信じるしかない相手

      ◆


 ヨシノは逃げる意思がないことを伝えてから、推測を口にした。

「管理艦隊から潜入しているのですね? お二人は」

 背後にいる男が、ひときわ強く腕を極めようとした時、サンダがそれを止めた。

「ローガ、話してやれ。この人は敵じゃない」

 どうやら背後にいる男がローガという名前らしい。ヨシノの腕はあっさりと解放された。

 サンダが、まあ、座ってくれ、と寝台の横を叩くので、、ヨシノはそっとそこに腰掛けた。ローガはまっすぐに立っているままだ。

「管理艦隊が潜入させたのは俺と他に六名だ。それに加えて、独立派から抜けたいと思って協力している仲間が十名いる。つまり十七名が、今、この艦で管理艦隊の側ってことだ」

「そんなに」

 ヨシノは思わず呟いていた。

 管理艦隊からスパイを潜入させない理由がないが、七人を投入するほどの人的資源が管理艦隊にあったのは、ヨシノには驚きだった。自前で訓練する余地があったのか、すぐには見当がつかない。

 サンダはヨシノの思考を無視するように話を続ける。

「管理艦隊からの連絡が途絶えて、だいぶ経つ。しかしあんたがここにいるってことは、迎えに来たんだろう?」

 回答に困る質問だった。

 エイプリル中将からは何の連絡も相談も受けていない。スパイが実在することも、今、やっと知った。

 答えが困難なのは、明日にはおそらく、この場にいる艦船の大半が先へ進んでしまうという事実だ。

 そうなれば脱出の機会はないだろう。

 それも、二度と。

 ただ、ヨシノの中でいつオーシャンに切り出そうか、と思っている案件もある。

 それはヨシノをこの艦から降ろしてほしい、と頼むことである。

 短くない間、独立派の中にいたが、ヨシノは自分が彼らに馴染めない、どうしても超えられない一線があるのを、感じていた。

 自分は宇宙をどこまでも旅することはきっとできない。

 思想がない、勇気がない、そういうことではなく、今、無性に帰りたいと思う時があるのだ。

 それはチャンドラセカルだったり、ヘンリエッタ准尉がいるところだったり、地球だったりする。

 とにかくヨシノはもう、これ以上は関わるべきではないのだ。目を背けてきたが、やはり、関わるべきではない。

 そこにサンダとその仲間たちが現れるとなると、タイミングは抜群でも、事態は途端にややこしいのだった。

 ややこしいが、無理矢理にシンプルにもできる。

「管理艦隊からは、何も聞いていません、サンダさん」

「なんだと!」

 彼が強い力でヨシノの肩を掴む。

「俺たちはこのまま使い捨てで、宇宙の果てまで流れていけ、そう言いたいのか?」

「そんな非情なことはできません。少なくとも、僕には」

 ヨシノはじっとサンダを見る。その瞳の中にあった強い怒りと疑念が、しかし徐々に消えていく。彼もヨシノの瞳の中に、何かを見ているのだ。

「サンダさん、離脱したいものをリストアップして、それをすぐに僕に渡してもらえますか?」

「それで、いったいどうする?」

「船を下ります。今しかありません」

「しかし……」

 わずかな迷いを、サンダは短い時間で吹っ切ったようだった。決断が早いのは職業柄だろう。

 寝台から立ち上がり、形だけの机で、紙に次々と名前を書いていく。すぐにサンダとローガを含めて、十七名の名前がそこに現れた。

 紙が手渡される時、サンダの手は震えていた。

 ヨシノは紙の文字に一度、目を通し、確認のためにもう一度、最初から見ていった。

 知っている範囲では、艦の運用に重要な役目のものはいない。いつでも脱出できるように、目立たないようにしていたのだろうか。

 とにかく、今は時間がなかった。

「僕はここへ戻ってきますから、お二人はここにいてください」

「どこへ行くつもりだ?」

「オーシャンと話します。それ以外にありません」

 そう言いおいて部屋を出ようとすると、ローガが無言で立ちふさがった。背が高く、壁のようだ。

「無事に帰る機会は、今しかありません。僕を行かせてください」

「こいつを信じるのか、サンダ」

 ローガが唸るようにそう声を向けても、サンダはすぐに答えなかった。

 ヨシノが振り返ると、サンダは泣きそうな顔をして、一度、うつむき、「他にやりようはない、行かせてやれ」と力なく言った。

「今の俺たちが頼れるのは、彼だけだ」

 彼、というのがヨシノを示すのか、オーシャンを示すのか、どちらだっただろう。

 どちらにせよ、ローガは場所を空け、ヨシノは部屋を出た。すぐに駆け足で通路を走った。

 レッド・シリウスの艦長室の場所は知っている。オーシャンがそこを当てられていることも。

 部屋の前にたどり着いた時には、呼吸が乱れ、ヨシノは肩で息をしていた。

 チャイムを鳴らすとドアが開き、武装した屈強な男が立っていた。

「マスター・ヤー、アポイントメントもなく、どうされたのですか?」

「オーシャンに、どうしても伝えるべきことがあります」

「今はお休みです」

 オーシャンが多忙な日々を送っているのは知っている。

 それでも入れてもらおうとした時、ヨシノか? と奥から声がした。

 護衛でもある副官が一度、奥へ入り、ヨシノはその場で待った。

 長い時間に感じた。

 戻ってきた護衛兼副官が、中へ、と言った。

 中に入ると、いつか、酔いつぶれたヨシノが寝かされていたベッドに、オーシャンが寝そべっている。ちらっと見ると、執務机は前よりも一層、雑然としている。

「急にやってくるってことは、重要ってことだろう? 僕が熟睡してなくて良かったな。警報が鳴っても寝てて、笑われたこともあるんだ」

 冗談を口にしながら上体を起こしたオーシャンを前にして、ヨシノはどう切り出すか逡巡し、まずは自分のことを話そうと思った。

 座っているオーシャンは、何も言わずにヨシノが口を開くのを待っていた。あるいは、何かを予測して。

「船を降りてもいいでしょうか?」

 まるで何も聞こえなかったように、沈黙のままオーシャンはじっとヨシノを見て、小さ頷いた。

 そして、話だけは聞いておこう、と言いながらゆっくりと寝台から立ち上がった。



(続く)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る