第10話 未来へ

10-1 脚色

      ◆


 俺は手元の小型端末のモニターに「カードの容量不足」の点滅が出るのに舌打ちして、カードをスロットルから引き抜き、次を差し込んだ。

 ミリオン級潜航艦チャンドラセカルで、俺に与えられている部屋は機関部員が同室の四人部屋で、作業机などない。寝台に横になるか座るかして、キーボードを操作していた。

 あまり音声入力が好きではないのは、自動修正機能のせいで後から見るとよく分からない文章が残っていたりするからだ。さすがにチャンドラセカルの電子頭脳や、一級の人工知能はそんなミスはしないが、俺の端末に搭載されているのは廉価版だった。ついでに情報ネットワークの支援も受けられない。

 海王星まで来たことは、人造衛星イェルサレムの中から観察して、やっと実感が湧いた。

 それくらいチャンドラセカルの中は閉鎖空間だった。

 時間も距離もともすれば忘れるほど、変化のない場所。

 それでも長い旅の間、俺は大勢に話を聞いて、録音し、こうして文章にまとめてもいる。

 大半は連邦軍の検閲で手元に残らないだろうし、俺の頭の中にあるものも、不用意に開陳すると、とんでもないことになる。

 少し作業をすると、またカードの容量不足の表示が出る。スロットルを軽く叩くと表示は消えたが、すぐにまた出てくる。

 端末の不調はここのところ、頻繁にある。その度に同室である機関部門に所属するガルビ二等兵に直してもらっている。見返りに食事を融通しているが、ガルビ二等兵も最近は嫌々ながら端末を修理するという雰囲気である。

「へい、ガル、起きているか」

 寝台か転がり出て、上の段にいるガルビ二等兵に声をかけたが、寝ているようだ。

 仕方ないか、奴はつい二時間前に戻ってきたのだ。

 端末が使えないということを言い訳にして、俺は食堂へ行った。何か飲みたかったし、こうやって艦をうろうろすることで取材対象の見当をつけたり、実際に遭遇したりもする。

 食堂では十人ほどが食事していて、ぐるりと見回すとアベール少尉が一人で黙々と食事をしていた。

「へい、少尉。しけた顔しているな」

 飲み物を手に歩み寄ると、その海兵隊の少尉は、明らかに作った顔で不満げな表情をしている。

「従軍記者はどんな人間の心にも土足で踏み込むのか? 俺が落ち込んでいるのが見えんのか?」

「土足で踏み込むのも仕事のうちだからな」

 席に着くと、やっと演技をやめたようでアベール少尉がいつもの気さくさを取り戻した。

 こうでなくちゃな。いつまでも落ち込んではいられない。

 それでもアベール少尉の口から漏れる声には暗い影がまだ残っている。

「隊長が具合が悪いのは聞いてはいたけど、まさかあんなにあっさり逝っちまうとは」

 ジョン・ダンストン少佐はつい五日前に亡くなっていた。

 人造衛星イェルサレムで、たまたま遭遇した独立派の連中に撃たれたという。

 正確には、ダンストン少佐が身を挺してヨシノ艦長、イアン中佐を守ったということだ。

 ダンストン少佐が銃撃を浴びたが、二人はかすり傷一つなかった。

 治療が行われ、一時は命の危機はないとされたが少しずつ具合が悪くなり、チャンドラセカルが任務を終えて帰還の途につくのを待っていたように、意識を失った。

 ライアンも一度、様子を見に行った。

 サイボーグだからだろうか、あまりやつれているとか、やせ細っているとか、そういう印象はなかった。ただ眠っているだけだ、と思った。

 そして今にもケロリと目を覚まし、何か飄々と冗談でも言いそうだった。

 それは、二度となかった。

 どうやらダンストン少佐の遺書に従ったようで、少佐の亡骸は宇宙葬という形で、何もない虚空に送り出された。

 大勢が涙を流したが、ヨシノ艦長はじっと目を閉じていた。それが印象に残っている。

「まぁ、海兵隊も出番はもうないだろう」

 サイボーグ用に調整された食事を口にしながら、そうアベール少尉は湿った話題を打ち切ると、記事は書けているか? と話を向けてきた。俺だって、暗い空気は好きではないので、自然とそちらに話を進めた。

「どうせほとんど手元には残らないが、書いているよ。今のうちに書いておけば、帰ってから余裕ができる」

「その余裕で、小説を書くのか? 印税生活って奴はさぞかし優雅なんだろうな」

「そりゃ、宇宙で戦うよりは優雅だ」

 まったくだ、とアベール少尉が破顔する。

 それから彼が、小説の次回作について聞いてきたので、俺はわざと第二巻に当たる話をかいつまんで説明した。実は手元には第三巻にあたる文章が書き進められてはいるのだ。

 編集部との通信が不可能なので、とにかく、第三巻の分は出たとこ任せの原稿で、もしかしたら全部がボツになるかもしれないが、そうなったらなったで、記録にはなる。

 俺が書いているのは、チャンドラセカルが実際に直面した事態を下敷きにはしているが、脚色も多い。

 例えばイアン中佐は口やかましくなっているが、それは実際の五割り増しだ。

 軍医のルイズ女史は頻繁に登場するように描かれるが、実際の彼女は大抵は医務室にいる。

 コウドウ中尉は無口、という設定だが、彼は意外に話をしたがり、俺を捕まえてはくどくどと説教することもある。もっと堅実に生きろ、とか、何の技術もない男になるな、とか。

 そういう脚色が正しいのか間違っているのか、読者によって評価は分かれるだろうと俺は思っていた。

 真実が美しいとは限らないし、創作が何もかも薄汚れているとも限らない。

 一つの神話とまではいかなくても、この船は一つの伝説だと俺は見ていた。

 そして俺は伝説の語り部の一人のようなものだ。

「いつか、読ませてくれよ。生きている限り、買ってもやるからさ」

 そう言ってアベール少尉が席を立った。

 それを見送り、部屋へ引き上げようと思っているところへ、食堂にふらっと今度はヨシノ艦長がやってきた。

 俺を見て、にっこりと笑う顔は、ここのところ、天使というより戦士のような顔になっている。独立派の中に一人で潜入してから戻ってきた時、そういう顔をするようになった。

 誰もが多くを経験し、成長していくことが彼を見ているとよくわかる。

 料理を手に、ヨシノ艦長がさっきまでアベール少尉が腰掛けていた席に座った。

 もしかして退屈ですか? と彼が首を傾げる。

 今から仕事です、と俺は答えて、テーブルの上にボイスレコーダーを置いた。



(続く)

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