7-8 優しい手
◆
ヨシノはその日のうちに機関士数人と整備士十人ほどの前に連れて行かれ、偽名とも言えない偽名、マスター・ヤーなどと紹介された。
全員が訝しげにしていたが、これでも天才だ、とオーシャンが言うと、いかにも気むずかしげな機関士の老人が、専門用語で話しかけてきた。
使われる専門用語がコウドウ中尉を連想させる。それもあって、自然と飲みくだし、最後の意地悪な質問にもきっちりと正解を答えることができた。
「頭はあるらしい」
その老機関士が評価したことで、ヨシノはとりあえず、侮られることはなくなった。
あとは慌ただしい日々になだれ込むのだった。
機関士たちは五連循環器の出力の増減をこれまで最小限に抑えており、それは制御法がまだ確立されていないからだった。連邦宇宙軍でも最大のもので三連循環器である。レッド・シリウスの装置は規格外の設備だった。
機関士は全部で三十人ほどがいる大所帯で、その様子を見ると、チャンドラセカルで機関管理官が務まりそうなものが三人、専門的な知識だけはあるものが五人、他は平凡な技能だけである。
ヨシノ自身、五連循環器がどこまで出力を発揮できるのか、すぐには把握できないのだった。
そもそもこのレッド・シリウスは常に力場発生装置を稼働しないと自壊してしまう、極端な構造を持っている。骨格が貧弱なのだ。
しかし現代の技術でもこれだけ巨大な構造物をがっちりと安定させる構造は、難しい。素材に最適なものがなく、甲殻類のように装甲板も利用して剛性を高めても、艦の輪郭を維持することすらできない。
力場発生装置は省エネなど度外視で作られていて、それがための五連循環器なのだというが、今度は五連循環器の設定がピーキーという問題に直面しているのが、今だった。
機関士の中でもとりあえず、十人、技能と知識があるものを集め、循環器それ自体の数値的な設計限界に関する感触を確かめた。余裕がありそうだ、という意見もあるが、試して自滅したら元も子もない、という意見もある。
ヨシノは数日をかけて考え続け、結論として、一度、出力を限界値の八割まで上げることにした。
反対意見も出たが、現状ではどうしても六割しか使用できていない。八割が使えるようになれば、エネルギー的な余裕は生まれる。
エネルギーを最も消費するのは力場発生装置だが、その次は再生産装置である。再生産装置もやはり規格外の大きさで、また挑戦的な構造を含んでいるのが、設計データからヨシノが気づいたことだった。
艦には再生産装置の専門家もいて、それはさすがに独立派としても優先して確保、育成したようだ。逆にヨシノは再生産装置には詳しくない。
まずはエネルギーということで、数日のうちに循環器のテストが行われた。
五連循環器を機関室で面倒を見たが、七割を超えたところで何箇所かのエラーが出た。ヨシノはそれを丁寧に解消してやった。数値の異常だが、再計算させれば問題はない警告だった。測定装置と人工知能の相性がよくないようだ。
分かったのは、アルケミスト・アーの理論に、破綻はないらしい、ということだ。
出力が上がっていき、その数値の大きさに機関士たちが詰めている機関室の空気が張り詰める。
誰もが汗みずくになる中で、五連循環器は八割の出力を発揮した。生み出される膨大なエネルギーはバッテリーに流され、蓄積されていく。
こんなものでしょう、とヨシノは五連循環器を静かに安定させ、元の六割の出力に下げた。これで出力を上げる手法は形になりそうだ。
いきなり、わっと歓声が上がり、ヨシノはもみくちゃにされ、次には胴上げされていた。
その日の夕食時には食堂に入ったところで大勢の乗組員に取り囲まれ、次々とアルコールを出されたので飲まないわけにもいかず、しかし飲んでも飲んでも次が来るので、結局、ヨシノは食べ物らしい食べ物を口にする前に、酔い潰されたのだった。
目を覚ますと見知らぬ部屋だった。誰かの執務室のようで、デスクの上には書類が山積みになっている。
ヨシノはベッドに寝かされている。壁に収納できるタイプの、馴染みの方式だった。
起き上がろうとするが頭が痛む。
唸っていると扉が開き、やってきたのはオーシャンだった。
「こいつを飲んだほうがいいよ、楽にはなれる」
投げ渡されたアルコール分解薬の小瓶を開封し、中身を一息に飲み干すが、頭痛は消えない。今度はミネラルウォーターのボトルが飛んできた。
受け取って、ベッドに座ったまま喉を鳴らして飲んだ。
こんなにうまい水も珍しい。
「どうやらうちの連中の中で、マスター・ヤーは伝説的な存在になったようだな」
「その不自然な名称、いつまで経っても慣れない気がします」
「まあ、いいじゃないか」
机の向こうにある椅子に腰掛け、オーシャンが笑っている。
「昨日は何か食べられたのか? 今日はさすがに僕から何か奢るとしよう」
「もうしばらくは、食べ物のことは考えたくないですね」
それもそうだ、とオーシャンがおどけた様子で頷いて、不意に真面目な顔になった。
「ミリオン級の情報をくれ、と言ったら、どうする?」
重大な質問に、ヨシノは少し考えた。すぐに二日酔いは去り、頭痛も消えた。頭は正常に回り始めている。
「ミリオン級に関することは、たとえ命を失うとしても、口外できません」
「例えば指の爪を全部剥がされても?」
「指を全部切り落とされても、です」
ふぅん、と言いながらオーシャンがデスクの引き出しから、鋏を取り出した。何の変哲もない鋏だ。
「実際にやってみるかい? 指を落とすとか」
「どうぞ」
内心、冷や汗をかいていたが、気丈にそう言い返すと、オーシャンは手元で鋏の刃を開閉し、しかしため息とともにそれをデスクの上に投げ出すように置いた。
「良いだろう、問いただしはしないし、拷問もしない。さて、飯に行こう。だいぶ回復しているようだしな」
オーシャンが席を立ったので、ヨシノも立ち上がった。
さっきまであんなに意識は鮮明だったのにめまいがして、ぐらりと体がよろけるのを、素早くオーシャンが腕を掴んで支えてくれた。
その手に込められた優しさに、ヨシノの心は、脅迫された時とは裏腹に、激しく動揺していた。
この男は信用できる。
何を教えても、きっと、悪いことにはならない。
そこまで考えたところで、ヨシノは一度、強く目をつむった。
どれだけ理解できて、信頼できても、敵味方なのだ。どこまで行っても。いつまでも。
それは忘れないでいよう。
「大丈夫かい?」
そう訊ねられ、ヨシノは目を開くと頷いてみせた。
大丈夫です、と自然と答えることができた。
いつも通りの自分で。
(第7話 了)
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