4-6 一人の男

     ◆


 その男の名前は、オーシャン、というらしい。

「不思議な男です。どこにでもいるような風貌をして、例えば計算高いとか、ずる賢いとか、そういう風には見えません。逆に、気が弱いようでもなく、なのに周りに流されるようなところもない。自分の考えを持ち、粘り強く、そして大らかなのですね」

 食事が終わった食器が片付けられ、コーヒーがやってきた。うまそうな匂いが立ちのぼっている。

「彼は最初、我々の一員が連れてきた、流浪の民の一人のようなものでした」

「流浪の民?」

「公には認知されていない、密輸屋のことを我々はそう呼んでいます。しかし彼らは素性はしれません。犯罪者かもしれないし、ただの冒険者かもしれない。オーシャンの背景も知りません」

 密輸というものが連邦を悩ませる要素のひとつではあった。

 ヨシノがどこかで見たデータでは、連邦全体の行方不明者の中の〇・〇〇一パーセントにも満たない割合でだが、何もかもを投げ出して、密輸屋に与するものがいるとされている。

「オーシャンという方は、独立派に関わったのですか?」

「不思議な魅力のある男でした。我々はその時、武装を強化し、密貿易に近い取引を活発化させ、その両輪をひたすら回して、自分たちを大きく成長させ、それによって連邦に意見を通そう、認めさせようという路線を選んでいました」

「しかし今、あなた方はそこまで巨大ではないですよね」

「第一に、時間が足りなかった。第二の理由もまた、時間が問題です」

 静かに一口、ヴィスタがコーヒーに口をつけた。

「我々は可能な限り、急いでいた。早く力をつけなければ、連邦に押しつぶされると恐れていたのです。その時、すでにオーシャンは動き始めていたのですよ。彼は、土星で力をつけるのに必要な時間は途方もない、と主張したのです」

 へぇ、と思わずヨシノが声を漏らすと、可笑しいでしょう? と、ヴィスタが微笑む。

「我々は何世代かけても、土星を一つの勢力にしたかった。そうなれば私も、同志も、時間というものによって自然と死に、全ては次の世代へ託すしかない。もちろん、次の世代が方針を変えるかもしれないが、それでも我々は自分たちが礎になることを選んだ。しかし、オーシャンは違う」

 ヴィスタが手元のコーヒーカップを覗き込んでいた。

「オーシャンは、誰でもない、自分たちが、本当に新しい場所へ行き、新しい社会を築こう、そう主張した」

 その言葉を聞いた時、ヨシノはなんと口にすればいいのか、迷った。

 独立派は、その内側で思想が分裂しているのか。

 目の前にいる男たちは、今も土星の独立を目指している。

 しかしここにはもういない、本当の独立派は、土星をすでに後にしていることになる。

 新天地を宇宙の彼方に求めて。

「オーシャンの意見に賛同するものは、見る見る間に増えていきました。我々がいわば武力と経済力によって連邦と対峙するのに対し、彼らは、連邦から逃げてしまえ、連邦の手の届かないところへ行けばそれで自由になれる、と主張したのです。我々は内部分裂を避けようとしましたが、先に言った通り、時間が問題だった」

 一度、ヴィスタが目を閉じた。

「今すぐに武力、経済力を土星が獲得するのは、奇跡が起きても不可能です。しかし彼らの発想、宇宙の果てに逃げ出すのは、やろうと思えばすぐにできる。飢えて渇くとしても、どこにも拠って立つことのできる場所が見つからないとしても、旅はできる。それを愚かだとは、私には言えなかった」

「ええ、わかります」

 思わずヨシノはそう言っていた。

 どちらが正しいわけではない。自分がただの過去の一部になるとしても世界が変わることにかけるか、自分自身が新しい世界を見に行くか、そのせめぎ合いなのだ。

 せめぎ合いでもないかもしれない。

 両者は正反対に向かっている。すれ違うことすらないベクトルなのだろう。

「それで、土星の方々は、二つに割れたと?」

 ダンストン少佐が確認すると、割れはしません、とヴィスタが答えた。

「我々は彼らを送り出すことにした。彼らを否定することもなかった。私たちは内部で争いたいわけではないのです。我々が一つの思想でまとまるように、彼らも彼らの持つ一つの思想で結びつき、そして自然と、向かうべき方向が決まった」

 割れたんだろう、とイアン中佐が呟くとラッカ少佐が火の出るような視線でイアン中佐を睨みつける。

「どう捉えられても構わない」

 ヴィスタがイアン中佐を見て、それからヨシノの方に視線を向けた。

「我々はまだ、土星独立の夢を追っている。それだけは、管理艦隊にお伝えしておこう。助け合えるなら、助け合いたい。利用したいのなら、我々にも管理艦隊を利用したい意志はある。利害が一致し、お互いに前へ進めるのなら、それは歓迎する」

 話はどうやら、決まったようだ。

 思ったよりも抵抗がないことに、ヨシノは安堵しながら、コーヒーに添えられて出てきたミルクを少しだけ注いだ。見るからに新鮮そうなミルクだ。

 それからの話は最近の連邦の事情に関するものになり、ヨシノは丁寧に説明した。オンダが今、土星共同体で不足しているものを話し始め、ヨシノはほとんど反射的に、提供できるものを少なくはあるが、提供することを約束した。

 イアン中佐が渋面を作っている。それに合わせるようにラッカ少佐も不愉快げだった。

 コーヒーを飲み終わったラッカ少佐が断って部屋を先に出て行き、すぐにダンストン少佐、イアン中佐もコーヒーを飲み終わった。

 ヨシノはもう少し、ヴィスタとオンダと話をしていたかったが、どうやら早く切り上げたいようだとイアン中佐とダンストン少佐の雰囲気から察して、席を立った。

「またお会いできることを願っています」

 ヨシノの方からそう言うと、私もです、とヴィスタが笑った。オンダもニコニコとしている。

 食堂を出ると、武装した兵士に前後を挟まれた。

 拘束されるわけがないと思っても、肝が冷えるのを感じる。

 兵士たちは無言で、ヨシノたちも特に足を止めることなく、そのままチャンドラセカルへ戻ることができた。

 それでも、ハッチが見えた時の安堵は、安堵という表現以上のものがあったが。



(続く)

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