3-7 仮面の奥と瞳の奥
◆
リッツェン軍曹はジョーカーの医務室へ移されたが、イアンはもう見舞いに行くことはなかった。
それよりもヨシノ艦長が管理官を集め、艦から降ろす乗組員をはっきりと告知したために、イアンは乗組員の配置やバランスについて、把握するのに時間を費やすよりなかった。
他の管理官は部下へと告知し、その話を受けた乗組員はおおよそ、自然と受け入れたようだ。
チャンドラセカルを降りた後の彼らは、管理艦隊の内部でどこかに再配置されることになる。
ただ、イアンも詳細は知らないが、管理艦隊としては戦力を増強する計画があるとも、どこかから聞こえてくる。そんな経済力がどこにあるのかはわからないし、そもそも管理艦隊が力を持てば、連邦宇宙軍のバランスが乱れる。
当たり前に考えれば、管理艦隊が戦力を増すときには、連邦宇宙軍に再編が起こっているだろう。
そうなった時に、管理艦隊はどういう立場になるのか。
未来のことをイアンが考えても仕方がないのだが、どうしても気になるのは、リッツェン軍曹の言葉を聞いたからだろう。
正義の側に立っていると思えれば、少しは楽だ。
しかし自分が悪とされるなら、戦う理由がなくなってしまう。
自分は、正義のための剣であり盾だと、思い続けてきた。
「お疲れですね」
ジョーカーにある仮の執務室で名簿を見ているイアンのところを訪ねてきたのは、ヨシノ艦長だった。
イアンに向けられた声を、ヨシノ艦長自身にそのまま返したくなるイアンだが、それはやめた。
ヨシノ艦長ならそれくらいの仕返しに動じないはずだが、そんな確信も持てないほど、イアンは自分が疲れているのを感じた。
ゆっくりと歩み寄ってきたヨシノ艦長がイアンの前で首を傾げる。
「何も言わないのですか?」
「いえ、確かに疲れている、と感じました」
「チャンドラセカルの試験は三日後に再開と決まりました。それで完了です」
「そうですか」
今日の夜くらいは休んでおいてください、とヨシノ艦長が微笑む。まったく普段通りだった。
「艦長は余裕ですね。私はそこまで、割り切れません」
「僕だって割り切ってはいません」
顎に手をやりながら、ヨシノ艦長はわずかに視線を斜め上に向けた。
「信用していたはずの部下が、反乱を起こすとは、考えられませんでした」
「あれは先導者がいたのでしょう?」
そう聞いています、とヨシノ艦長が苦笑いする。
事実は遅れて届けられたが、チャンドラセカルの乗組員に、独立派に与するものが混ざりこんでいた。それが他の乗組員を扇動し、あの反乱騒ぎが生まれた。
しかしどういう形でも、自分の部下から敵に通じようとするものが現れたのが、ヨシノ艦長には堪えそうだと、イアンには思えた。
ただ、目の前の青年は平然としている。そういう仮面だろうか。
「僕に魅力がなかった、ということでしょうね」
ニコニコと笑うヨシノ艦長の裏に、全く言葉とは正反対の何かがあるのが、イアンにはわかった。
怒りや憎しみとは違う。
もっと純粋に、反発、と呼ぶべきだろうか。
自分たちの思想の方が優れていることを、教えてやりたい。
そんな言葉が、密かに燃える瞳の中から聞こえてきそうだった。
「艦長は、連邦をどう思っておいでですか」
イアンがそう確認すると、ヨシノ艦長は「連邦のことはどうも思いません」とあっさり返事をした。自分が目を見開いていることに、イアンは遅れて気づいた。
驚いたのだ。
「どうも思わない、とは?」
「思想の一つの形という程度の認識です。今は、二つの思想があります。独立派が登場するまでは、連邦はおおよそ一つの思想で成立していましたから、こういう揺さぶりに慣れていない、と僕は見ています」
「いえ、艦長、その、連邦が破綻するとなったら……」
うまく言葉にできないイアンに、ヨシノ艦長はあくまで平然としている。
「その時はその時、考えましょう。今は、連邦の一部として自分を認識しています。もっとも、次の任務の後に連邦がなくなっていたら、自分たちの向かう先を自分たちで決めるつもりではいます」
大胆なんてものじゃない。イアンは思わず目の前の大佐の瞳をじっと見た。
柔らかい光とその奥の激しい揺らめき。
この青年は、今、自分たちの未来を自分たちで決めることを、ほのめかした。
そんな思想はイアンにはない。今まで、誰かに従い、その命令の通りに動いてきた。
自分で考えることをやめたことはないが、どこかで必ず、誰かが定義した地盤があり、その上で考えることをしていた。
「イアンさんがやりたいことを、考えておいてください」
そう言ってヨシノ艦長はイアンに背中を向ける。
何をしにこの部屋に来たのか、まだ何も聞いていないことが不意に理解された。
それを問おうとした時に、ヨシノ艦長はさっと振り返った。
「今日だけはしっかり休んでくださいね。それを言いに来たのです。それだけです」
今度こそ、ヨシノ艦長は部屋を出て行った。
その背中が消えてから、イアンは椅子にもたれて、ため息を吐いた。どこまでも、あの方は先を行かれている。
書類仕事を続ける気にもなれず、席を立つと、部屋の壁に収納されている寝台を引っ張り出し、そこに横になると音声入力で部屋の明かりを消した。
目を瞑ると、銃火が瞬いた、あの一瞬の光が浮かんでくる。
耳元で何かが響く。銃声か。それは幻だ。
血生臭い匂いが自分の周囲にまとわりついてくるような気がするけれどそんなことはない。
あの軍服は、処分したのだ。
手だってよく洗っている。
いつかは忘れるだろう。
今だけのことだ。
何か遠くで、耳鳴りのように音がしている。
眠りはなかなか、やってこない。
(続く)
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