第2話 地球での日々
2-1 戦闘分析
◆
とんでもない軍医もいたものね。
それがホールデン級宇宙基地カルタゴの、医務室での軍医の説明の最初だった。
的確な上に的確な処置に、その軍医は感嘆しているのだった。
ヨシノはどうやら自分はもう命の危険はなく、安静にして加療すれば元通りになるとわかって、正直、ホッとした。
診察の後、説明は形だけで、このカルタゴで働いている軍医はひたすら、チャンドラセカルの軍医のことを褒めていた。
チャンドラセカルの軍医、ルイズ・クリステア女史は、ヨシノが選んだ乗組員ではない数少ない人員で、それは彼女の助手のマルコ・ドガもそうだ。
誰が斡旋したかといえば、管理艦隊司令部だった。
その件に関して、ヨシノはそれほど干渉しなかった。一応、ルイズ女史の経歴を見て、経験豊富で、おおよそ全ての医療分野に精通しているのを確認した程度だった。
彼女が元は外科医だった、ということを思い出したのは、意識を失い、それが回復し、数日が過ぎた頃だった。
ルイズ女史の治療はほとんど神業で、それはカルタゴの軍医には驚異的らしい。
設備も整っていないのに、よくやったものよ、と笑ってもいる。笑うしかないのだろう。
時間がかかった検査結果が出るまで雑談に付き合い、結果が出ると軍医は何度か頷くと、「当分は横になっていてね」とそのまま病室を去っていった。
入れ違いにヘンリエッタ准尉がやってくる。
「もう報告書は終わったんですか、ヘンリエッタさん」
「もう提出しましたよ。艦長が意識を失っている間に、気を紛らわせるために、必死にやりましたし」
「ああ、すみません。できれば、僕の報告書を代筆して欲しいですね」
冗談で返したつもりが、文字起こしをすればいいのですか、と言われてしまった。
「冗談ですよ。自分で書きます。ヘンリエッタさんはヘンリエッタさんのやりたいことをやってください。ユーリさんやアンナさんとお茶をしたり、少しは日常を再開してもらえると、僕は嬉しいですね」
チャンドラセカルはとりあえず、ヨシノが治療を受ける間、カルタゴに留まっているが、すでに明後日には宇宙ドックへ向かうことが決まっていると報告を受けた。ヨシノはカルタゴに置き去りになる。
カルタゴにおいてはチャンドラセカルは十分な補修を受けることができない。重大な損傷だと聞いている。ここでは資材がないし、設備も足りない。それにチャンドラセカルに関する情報の機密度が高いので、おいそれと作業員を近づけられない。
乗組員は艦を休ませているので、それぞれにカルタゴへ遊びに行っているという話だった。律儀にもイアン中佐がちょうど検査の前に、ヨシノに報告してきたのだ。彼にしては珍しく、火器管制部門の兵士が、カルタゴの通路で酒に酔って眠りこけていた、と嘆いているポーズでおどけて見せたのが、印象に残っている。
「私は艦長のそばにいます」
真面目な声でヘンリエッタ准尉が言うのに、ヨシノは記憶の中から現実の彼女に焦点を合わせ直した。
「でも退屈でしょう」
「そばにいますから」
うーん、本当に退屈だろうと思うけど。
ヨシノはそれでもと思い、最近の日本のアイドル事情について話してみた。あまり深い意味はない。
すると見る見るヘンリエッタ准尉が不機嫌になるのがわかったので、さすがに口を閉じざるを得なかった。
話題を間違えたか。
「それで?」
どこか冷え冷えとした声で先を促されるほど、怖いものはない。
「ああ、うん、なんというか、そういうことです」
「そのなんとかちゃんが可愛らしくて、艦長は何をしたいわけです。お近づきになりたいとか?」
「そんなことはありません。見ているだけでいいというか」
「へえぇ」
……これは本格的にまずいかもしれない。
「ヘンリエッタさんには負けますよ、どんなアイドルでも」
「それはどうも」
完全に変な方向に話は進み、目の前の准尉は臍を曲げたらしい。
ヨシノは反省しながら、どうやって彼女の機嫌を取ろうか、とかなり真剣に考えた。
「この前のノイマンのこと、覚えていますか」
思い切って全く違う方向に話を振ってみたが、ヘンリエッタ准尉は憮然としている。逃げるなよ、とでも言いたげだけれど、ヨシノは無理矢理に押し切った。
「敵の攻撃を受けて、ほとんど運動能力を喪失していたはずです。ただ、僕も直感的にですが、敵がノイマンの推進装置を狙うのは、わかった。あそこでノイマンを最低限の時間で無力化し、その上でチャンドラセカルを狙うのが、妥当でした」
「ふぅん」
もうどうとでもなれと、ヨシノは解説を進めた。
「そのことを、あの一瞬で見抜いた誰かしらがノイマンにいたのです。艦長か、あるいは管理官でしょうが、冷静で、正確な読みでした」
「でもあの時、魚雷攻撃はチャンドラセカルが妨害しましたから、魚雷を落とされたからこそ、敵は粒子ビームでノイマンの推進装置を狙ったんじゃないですか? 仕方なく、です」
やっとヘンリエッタ准尉の興味が向いてきたのに安堵して、ヨシノは推論を口にした。
「そこまで織り込み済みなんでしょうね、ノイマンの誰かには。その程度に覚悟をしていたんです。魚雷が来ることはわかっている、それをしのいだ時に、やっと反撃できるという想定です」
「自力じゃ、魚雷を無力化できなかったんですよ?」
「チャンドラセカルさえ、その誰かしらの中には、ちゃんと状況の推移の要素に含まれていたのでしょうね。素晴らしい状況把握と、予測でした」
ノイマンは今、宇宙ドックのズーイに向かっていると聞いている。とりあえずの補修を受けて、最低限の航行能力を回復したわけだが、もしあの戦場で、何かがずれていれば、ノイマンは存在そのものがなくなっていたかもしれない。
全乗組員を道連れにして。
敵はあの時、ノイマンを完全に破壊することを、チャンドラセカルの接近で断念せざるをえなかった。
それさえもノイマンには見えただろうか。
つくづく、恐ろしいほどの冷徹さ、そして計算である。
命懸けとは考えなかったのか。
「カルタゴを離れたらこっそり、ノイマンと話をしましょうか。それで本当のところはわかります。ノイマンの艦長がどんな人かも知りたいですからね」
今まで、ミリオン級の三隻の間では、しっかりと映像付きの通信を交わしたことがない。非支配宙域で活動する関係で、傍受を警戒したのだ。音声通信さえも最低限しかしないほどだった。
今もそれは許されないが、混乱している状態だし、誤魔化せるだろう。
規則よりも、ヨシノの中の好奇心の方が強いのが事実だ。
「しかし艦長は、カルタゴで療養では?」
眉を顰めるヘンリエッタ准尉に、どうにかします、と答えたが、彼女はまだ不審げであり、その一方で不安げでもある。
ただ、不機嫌さは消えたようだ。それでとりあえずは良しとしよう。
「少し休みます」
そうヨシノが逃げを打つように言うと、ヘンリエッタ准尉は一瞥してから一度、ヨシノの手を軽く握り、素早く立ち上がるとカーテンの向こうに消えた。
一人になり、目をつむり、頭の中で超大型戦艦からの光信号を思い出していた。
まぶたの裏の闇で、光が明滅する。
明滅が、繰り返される。
(続く)
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