2-5 戦場における計算と正解と
◆
発令所が静まり返った気がするが、サイレンはうるさく鳴っている。
空気が漏れている。燃料液も暴発寸前を電子頭脳が対処しているが、完璧だろうか。わからない。わかる必要もない。
「サーチウェーブを打て、リコ軍曹」
ドッグはもう一度、繰り返した。震える声で返事があり、甲高い音が鳴る。
「もう一度だ。エルザ曹長、生きているスラスターは?」
自分がいやに冷静な気もするが、これは普段もそうだ。神経が張り詰めるとより一層、冷静になり、心が凍ったようになる。
心が凍ってしまえば、恐怖も何もない。
「トゥルー曹長、代わりに調べろ」
「八番、十番が生きています」
一足早く、艦運用管理官のトゥルー曹長が混乱から立ち直ったようだ。
八番、十番は右舷後方だ。右舷にダメージはないはずだが、高速ミサイルのダメージは全艦に及んでいる。
端末で機関部の様子を確認する。もちろん、緊急停止している。バッテリーは一番と二番が死んでいる。
「急げ、トゥルー曹長、バッテリー三番から八番でスラスターを蘇らせろ」
「しかし、艦長……」
トゥルー曹長が艦長を伺ったようだが、クリスティナ艦長は「任せて」と答えただけだ。それも遥か遠くで風が草をないだように、かすかに聞こえるだけだ。
「魚雷攻撃です!」
リコ軍曹の悲鳴。ドッグの端末でも見えている。
回避は不可能。
幸運にすがるしかないが、今、現実的な物体として至近に幸運は転がっている。
「チャンドラセカルです!」
またリコ軍曹が声を張り上げた時、二本の魚雷の一つが撃墜され、もう一つも少しの間の後に破壊された。
チャンドラセカルの位置はよく見えている。攻撃地点を割り出せばいいだけだった。
向こうは速度が足りないかもしれない。そこが今度の賭けになる。
ただ次の瞬間には、予想外の速度でチャンドラセカルが突き進んでくるのが分かった。
シャドーモードの装甲に関する情報はドッグの頭の中にもある。今の速力だと、装甲の強度に不安があるだろう。いや、ルークモードに変化した。そうだ、それでいい。
彼らはノイマンを助けるつもりなのだ。
考えるまでもなく、ノイマンに、ドッグにできることは極めて限られている。
敵にはこちらが見える。
こちらには敵がまだよく見えない。
魚雷の発射による残滓で、おおよその座標はわかっても、ピンポイントでの攻撃はできない。
ノイマンがそうなのだから、チャンドラセカルも同様の状態だろう。
それでも突き進んでくる。
なるほど。
原始的な手法だが、効果的かもしれない。
敵はまず、こちらを狙うな。
ほんの一瞬に全ての思考と理論、結論が流れ去った。
「エルザ曹長、スラスター八番、十番を攻撃を受けるのと同時に全開で吹かせ。艦首が二二-九六-七一を向くように」
エルザ曹長は答えない。
彼女がまだ茫然自失なら、この一連の動きは無意味になる。
今、管理官全員が一つになることが必要だった。
エルザ曹長の方を見る余裕はない。ドッグは次の動きのために、じっと目の前の端末の映像を見ている。
出力モニターは衝撃で死んでいる。空間ソナーはさすがに頑丈で、機能しているが、敵の潜航艦を依然、捉えてはいない。
目視のカメラは生きているのは二つだけ。
そのうちの片方が、予定の座標の方に向けられ、かろうじて画面の端にそこを捉えている。
数秒が数分のように感じた。
来るぞ、と思った時、本当に攻撃が来た。
粒子ビーム攻撃。
ノイマンの推進装置を直撃。
グンと横向きに力がかかった。重力制御システムが瀕死の上に、極端な勢いで艦が振り回されたのだ。
ドッグはしかしその中でも、端末の中を見逃さなかった。
推進装置の小規模な爆発の勢いに、二つのスラスターの勢いが加わって、ノイマンが回頭していた。
ほとんど想定外の速度で、そして今、それを制止させるための能力は、ノイマンから失われている。
ただし、ドッグには想定内だった。
ノイマンの魚雷発射管は二つある。どちらも信号が途絶え、通常の手順では安全装置で発射できない。
今しかないのを、ドッグは刹那で理解した。
端末のトリガーを押す。
選択は魚雷。魚雷そのものの安全装置は解除した。
トリガーを繰り返し押す。その連打には、一秒もかからない。
モニターに、魚雷の発射の表示が出る。一番はしかし、発射扉が開かず、緊急処置で不発。
ただ、二番は発射された。
回頭中の船から発射された魚雷は、本来の一直線の軌道ではなく、やや弧を描くように走った。
見えているぞ。
一瞬だったが、敵の潜航艦がモニターに映っていた。
チャンドラセカルは自分そのものを砲弾にして、敵の潜航艦に激突し、敵艦はその衝撃で隠蔽能力を一時的に喪失している。
見えているのなら、外すことはないのだ。
確信があり、体が一度、震える。
メインスクリーンは半分が死んでいる。目の前の端末の中の映像も、激しく揺れている。
そこで何かが連続して艦にぶつかる激しい衝撃があり、発令所の照明さえもが明滅した。
ただ、その衝撃の後、サイレン以外の何も聞こえなくなった。
ドッグは顔を上げ、メインスクリーンを注視した。
機能が残っている部分で、外部を確認する。トゥルー曹長とエルザ曹長が何かやりとりをしているうちに、その外部を映す映像も不規則な揺れが消え、つまり艦が安定を取り戻したのだ。
大量の構造物が周囲を覆いたくさんばかりに漂っているのが、メインスクリーンに小さく映った。
「失礼しました、艦長」
ドッグは振り返り、艦長席にいる本来の指揮官に謝罪した。
「いえ、その……、見事でした」
まだクリスティナ艦長は事実を受け入れられないらしい。
ドッグはほとんど独断で、敵艦を撃破していた。
奇跡的な偶然の積み重なりに過ぎないが、計算した部分はあった。
その計算がおおよそ、正解を導き出し、その正解が不規則な事態に作用し、事態を収束させた。それはまるで分岐を許さないように、決められた場所まで全てを導いたようだった。
「こいつはたまげた」
転倒していたケーニッヒ少佐が、顔を上げ、短く笑ったが、他の誰もそんな余裕はなかった。
ノイマンはまだ、戦場にいる。
(続く)
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