1-2 霧
◆
準光速航行を離脱して、やっと出力モニターの出番となった。
何もないはずの座標に感があることを、リコ軍曹が伝えてくる。超大型戦艦だろう。
「ドッグ少尉には見えるかしら」
念のために初老の火器管制管理官に確認すると、彼は自分の前の端末を見つめたまま、何も見えません、と平然と答えてくる。
力場による隠蔽とミューターによる隠蔽。
特に力場による隠蔽は最強の盾でもある。
クリスティナは念のため、ノイマンをスネーク航行で移動させ、力場の継ぎ目を確認させた。
そうしてみると、何も見えない場所に、まるで水滴でも落ちているような違和感があるのがわかった。油の膜のようでもある。
敵はちゃんとそこにいる。
「ここからは持久戦になるでしょう」
クリスティナは管理官を見渡したが、誰も振り向いたりはしない。集中しているのだ。そんなところへ当たり前のことを伝えようとしている自分が滑稽にも思えた。
「油断しないように」
短く、それだけ言うに留めた。
クリスティナが考え始めたのは、チューリングのことだった。
ほどなく、安全座標でチャンドラセカルと接触するはずだ。
クラウン少将が内通者だったのがほぼ間違いないとなれば、敵は安全座標のことも知っているはずで、つまり自信があって管理艦隊の庭に飛び込んでくる。
飛び込むも何も、敵艦がチューリングを追い討っていれば、という前提が必要だが、なんとなく、クリスティナは敵がチューリングを追う確信があった。
敵に極端な隠避能力を持つ艦が存在するのは、すでにこちらに掴まれている。
もしクリスティナが逆の立場だったら、チューリングを一撃で沈めただろう。それも生存者が出ないような、なんの記録も残らない徹底したやり方で。
そうしなければ、潜航艦のような艦は、いずれ対処され、無意味になる。
矛盾するが、存在しないと思われている状況、それが根幹にあるのが潜航艦の理屈だ。
これはそっくりそのまま、ミリオン級にも言えることではある。
ともあれ、敵はチューリングを形の上で見れば泳がせているようだった。
泳がせる理由とは、さて、なんだろうか。
大昔の話として聞いたことを、クリスティナは思い出した。
狙撃手が相手の部隊を釘付けにするために、まず狙える一人を撃つ。それも急所を狙ったりしない。足を撃つのだ。
そうすれば撃たれたものは倒れこむ。悲鳴もあげる。
それを仲間が助けに来たら、その仲間の方を今度は撃つ。容赦なく射殺するのだ。
そうなると一人目はまだ生きていて、つまり、助けようとするものがまた出てくることになり、そうして仲間を助けようと姿を晒す兵士を、次々と狙っていく。
極端に非情な戦法である。
今、管理艦隊はチューリングという存在を助けようとし、一応は、チャンドラセカルをそれに当てた。
チャンドラセカルが招き寄せられている、照準の真ん中に自ら飛び込む、そういう様相も見える。
チャンドラセカルは侮れない戦闘をする。それをクリスティナは実際に眼前で見た。
今はやはり、ノイマンにできることはない。超大型戦艦を見張るだけだ。
最悪の可能性として、敵の正体不明艦がこの座標に留まるか、二隻以上を保有しているとなると、たった今、ノイマンが奇襲を受ける可能性がある。
そう考えれば、この座標は何も見えない濃霧の中にいるようなものだ。
見えるはずのものが見えず、何が飛び出してくるか、知れたものじゃない。
思わず舌打ちすると、エルザ曹長がチラッとクリスティナを、ほんの数瞬、肩越しに振り向いた。
それから数時間で超大型戦艦は通常航行で動き始めた。ノイマンはひたひたとそれを追っていく。
不自然だわ、と言ったのはエルザ曹長だった。
「準光速航行を使わないのは、何故なのかしらね。さっさと逃げたいんじゃないの?」
半分は独り言のようだが、管理官は全員が聞いていた。
少しの沈黙の後、答えたのはリコ軍曹だった。
「近くに民間の航路があります。あまり使われてはいません」
「民間の航路?」
クリスティナが確認すると、発令所の上に立体画像が浮かび、リコ軍曹が説明した。
「滅多にないことですが、土星に近い座標まで来た時、何らかの理由でエネルギーを節約する必要が起こると、土星でスイングバイを行います。その時に選択できる航路です」
「土星でスイングバイね。噂では知っているけど」
ぼそぼそとエルザ曹長が呟く。何かを考えている様子だ。
クリスティナが視線で先を促すと、リコ軍曹が居住まいを正した。
「その航路に限りなく近い軌道で、こちらへ向かってくる民間の輸送船らしい感が三隻、確認できます。それとは別に、こちらへ向かってくる準光速航行の痕跡も多数、あります。十スペースより遠いので、まだかすかですが、おそらくノイズではありません」
「多数の痕跡というのは?」
「連邦宇宙軍の艦船に近い響きです。まだ確信は持てませんが」
千里眼システムがあれば、また違うのだろうが、あれは人を選ぶ。
こうなってはノイマンは本当に見ているしかできない。
敵は補給を受け、そして護衛艦隊を形成するのだろう。ノイマン一隻では超大型戦艦すら相手にもできない状況が、いよいよ困難な形に進展していくことになる。
地球に潜んでいた時とは全く違う緊張が、遠くから近づいてくる。
「輸送船の到着までの時間は?」
「およそ五時間です。後続の艦隊は十時間」
後続の艦隊についても触れる、気をきかせたリコ軍曹に頷き返し、クリスティナは交代で休息を取ることを伝えた。
同時に、それ以降は厳しい状況になることも通達した。
十時間なんて、あっという間だ。
艦長席に寄りかかり、何気なくケーニッヒ少佐を見るとあくびなどしている。
「暇そうね、少佐」
「やることもないですしね。知恵を絞る必要すらない」
暗に、愚直に任務を果たせ、と言われているような気がしたが、何も答えずにメインスクリーンにクリスティナは向き直った。
トゥルー曹長がメインスクリーンの隅に輸送船とその後の艦隊の到着までの予想時間を表示させている。
その数字が刻一刻と減るのを見ながら、またクリスティナはチューリングとチャンドラセカルのことを考えていた。
全ては霧の中に押し込められている。
(続く)
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