7-4 涙

     ◆


 医務室のベッドの横で、ユキムラはじっとして考えていた。

 女医のクロエ女史は「幸運だったわね」と言っただけで、細かな負傷についてはユキムラには教えなかったが、ベッドの上のザックス曹長は生身の方の腕、逆の肩、そして首と胸をギプスで固められている。右足は吊ってあった。

 重傷だから、このまま訓練を続行するのは不可能だ。

 当分はザックス曹長の部下が火器管制管理官を代理で務め、しかしその後、どうするのか。

 今の下士官から誰かを昇格させるのか、それとも新しい管理官を探すのか。

 それはヴェルベット艦長の職掌なので、ユキムラには口出しする権利はない。

 ただ、最後の細い糸として、ザックス曹長の復帰、というものを考えたかった。

 そんなことが、本当に可能なのか。賭博行為を行い、アルコールに溺れ、そして部下や乗組員の信頼や信用は全くなくなった。

 どう考えても、艦を降りるしかない。

 それはユキムラがまた一人、友人と離れることを意味していた。

 ハンター・ウィッソンの顔が脳裏に何度も浮かんだ。

 あの人の意見が聞きたい。あの人なら、どうするのか。

 目の前でうめき声が上がったので、ユキムラは意識をそちらへ向け、無意識にカメラのフォーカスを合わせた。

「なん、だ、ここ、は……」

 瞼どころか顔じゅうが腫れ上がっているので、ザックス曹長の瞳はうっすらとしか開かない。

「ザックスさん、意識は?」

 首を捻ろうとして、それがザックスにはできないらしい。首にもギプスがあるが、それは可動式に見える。動かないのは、力が入らないからか。

「なんだ、これは……」

 同じようなことを繰り返すザックス曹長の前を離れ、ユキムラはクロエ女史を呼ぼうとしたが、察していたようで、カーテンを開けようとしていた彼女とほとんどカプセルがぶつかりそうになった。

 女医に診察されている間に、ぽつぽつとザックス曹長は言葉を口にしているが、ほとんど囁きで、ベッドから離れてカーテンを隔てているユキムラには上手く聞こえなかった。

 宇宙の果ての音は聞こえるのに、この目の前の友人の呟きが聞こえない自分が、情けなかった。

 聞こえないのではなく、聞こうとしていないのではないのか。そうも思った。

 僕は、現実から逃げようとしているのか?

 クロエ女史の後に看護師のイ・ルーがやってきて、彼は何かの装置や薬物をカーテンの向こうへ運んだ。

 一度、ザックス曹長が短い苦鳴をあげ、その次には本当の悲鳴が聞こえた。

 クロエ女史とイ・ルーが何か囁き合い、声を掛け合い、またザックス曹長の悲鳴。

 ユキムラは部屋を出たい気持ちを、どうにか抑え込んだ。

 やがて声は聞こえなくなり、カーテンを開いてまずイ・ルー、その次にクロエ女史が出てきた。女医は首を振りながら、ユキムラのカプセルに少し顔を寄せた。

「ここの設備じゃ足りないわ。どこかの基地で長期療養が必要だと、艦長には伝えておきます」

「そうですか……」

 長期療養がどれくらいか、聞いてもよかった。

 ただ、もう分かりきっていることだ。ヴェルベット艦長はこの海賊上がりの火器管制管理官を、待つことはない。

 艦長もだが、状況がそれを許さない。

 今、あまりにも宇宙は、管理艦隊は、流動的な状態に置かれている。どっしり構えて、などとは言っていられない。

 クロエ女医が離れ際に「話をしてあげなさい」といったので、ユキムラは礼を言って、カーテンの奥へ進んだ。

 ベッドの上で、ザックス曹長がわずかに目を開いた。

「や、られ、た、な」

 それだけぽつりと言ったが、声はかすれているし、力がない。

「なぜ、自分の素性を話したのですか?」

 それが一番、気になっていた。

 ザックス曹長だって、宇宙海賊が連邦宇宙軍からどう思われているか、充分に知っていたはずだ。そして自分のことを口にした時、何が起こるかも、わかっていたはずだ。

 なのに、口にした。

「なぜですか、ザックスさん」

 そうだな、とザックス曹長は聞き取れないほど弱々しくつぶやき、本当に少しだけ首を動かし、視線を天井の方へ向けた。

「俺、はき、っと……、壊れ、た、んだな」

 それだけ言って、ザックス曹長が目を閉じたので、ユキムラは何もその後に言えなかった。

 壊れた。

 アルコールが彼を壊したかもしれない。でもきっと、その前に敵の潜航艦から攻撃を受け、生死の境に立った、あの場面があったはずだ。

 あの窮地の後に、やはりカード曹長がおかしくなったことを、ユキムラは意識した。

 誰もがどこかで、バランスを失って、立っていられなくなる。

 命が失われるか、失われないか、そういう究極の地点に立つことそれ自体が、たとえ生き残ったとしても、人間それ自体を激しく揺さぶる、重大な局面なのだ。

「俺は、降ろ、さ、れる、な」

 かすれた声でも疑いようはない。

「夢、を……、見、ていた、気、が、する」

「どのような夢ですか?」

 二つあると掠れた声で言った時、確かにザックス曹長の唇の端が持ち上がった。

「一つ、は、火星で、今も、穴、を、掘っている。終わらない、罰だ。一つは、宇宙に、また、戻った。船に乗って、戦う」

「あなたは、確かに宇宙にいますよ」

 どうにかそう言葉にしたが、ユキムラは自分の人工音声の単調さに、恥ずかしさを覚えた。

 ザックス曹長は何も感じないのか、目を閉じたまましばらく黙っていた。

 瞼が、ゆっくり、わずかに持ち上がる。

「結局、過ぎた、ことだ」

 過ぎた?

「身に、余ること、だった」

 その言葉でザックス曹長は今度こそ目を閉じたようだった。

 じっとユキムラが見つめる先でザックス曹長は寝息を立て始めたが、その目尻に雫が盛り上がり、スッとひとすじになって、耳の方へ落ちていった。

 何か、見てはいけないものを見たような気がして、ユキムラはカメラの向きを変えた。

 友人を見ないようにしながら、ユキムラはしばらく、その友人のそばにい続けた。




(続く)

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