2-9 別れ際の言葉
◆
ケーニッヒは宇宙ドックに戻ってからも、ひたすらノイマンの試験航行の様子を調べ続けた。
一人では知識に限界があるので、ヤスユキ少佐が付き合ってくれていた。
「見事としか言えません。こんな技術があるなんて」
どれだけデータを調べてもジョーカーは一時的にノイマンを見失っている。ノイマンの方は至近にジョーカーを置いて相手を仔細に観察できているのに、その逆、宇宙ドックの索敵網にはまったく感知されない。
「ミリオン級の本来の任務は、敵情偵察が第一だから、これは最初からの想定の通りだ。実際の諜報の達人である大尉には夢物語だろうが」
「俺は人間から情報を聞き出すのが常で、それでも誰かのすぐ横で話を盗み聞きすることは少なかったですね」
「宇宙は広い。その広さは、今の時点では人間の手には余る。支配することが可能な大きさではない」
急に地球連邦を酷評し始める初老の軍人に、ケーニッヒは疑問をぶつけてみた。
「誰かが宇宙を完全に支配したら、恐ろしいと思いますが。独裁者ではなくて、一部の国家に牛耳られる、という可能性です」
「それはきみがこれまでの任務から感じた印象かな、大尉?」
「人間は支配は好みませんが、同時に責任も好まないか、過剰な責任を感じるか、どちらかです。激しい矛盾を抱えた生き物が、人間だと俺は思っていますよ。支配したいのに、支配されたくない。富豪になりたいと思いながら、貧困の自分の今の境遇を自慢することもある。強くなりたいと公言しながら、自分はここまでだろうとあっさり見限る」
宇宙ドックの情報閲覧室に、ヤスユキ少佐の控えめな、それでいて悔恨のようなものが混ざる声が流れる。
「耳に痛いな。ケーニッヒ大尉、きみはまっすぐな男だとよく分かる」
「今までまっすぐなんて言われたことはないですよ、少佐。よくわからない男だと思われています。本音で話すことはないですし、本音は何年も前に野良犬に投げつけてしまいました」
「そうかね」
二人はそれから少しの時間をかけ、間違いなくノイマンが自らを隠蔽する機能が万全なのに確信をもって、部屋を出た。
「大尉、きみは明日にでも少佐に昇進だ」
歩きながらそういうヤスユキ少佐に、いよいよか、とケーニッヒは無言で頷いた。
この男の薫陶を受けた時間は短かったが、しかし信頼できる技能の持ち主であり、誠実で正しい人間であることも、十分に理解していた。
この男性の代わりを自分が勤めなくてはならない。ケーニッヒは、危うく溜息を吐きそうだった。荷が重いなんてものじゃない。
「自信を持ちなさい、大尉。私は君を認めている」
自信、ね。持っているさ、とケーニッヒは心の中で応じた。
ただ、俺は本当はここにいるべきじゃないだろう。ミリオン級潜航艦なんて、素人に任せる船じゃない。最重要で、最新技術の結晶だ。しかもそれで実戦に赴く兵器だ。
どういう指揮官が、素人を乗せたがるだろう。
その翌日、宇宙ドックの格納庫の広い空間にノイマンの全ての乗組員が集められ、ヤスユキ少佐は艦を降り、代わりにケーニッヒが副長の立場に立つことが宣言された。そこは軍人なので、その場でざわついたりはしない。しかし今日の酒場は、賑やかなことだろう。
ヤスユキ少佐が短い挨拶をして、続けてケーニッヒが挨拶をした。罵倒の一つでも飛んで来れば落ち着いたかもしれないが、兵士も下士官も、みんな無言だった。
話し終わってケーニッヒが元の場所へ下がると、再びクリスティナ大佐が前に出た。
「正式な通達がありました。ノイマンの出航は三日後です。詳細な任務に関しては、出航の前に全員に通達しますから、そのつもりで。非常にタフで、やりがいのある仕事だとは言っておきましょう。もっとも、いつものように姿を消しているので、武勲とは無縁です」
くすっと誰かが微かに笑う、その微妙な空気の震えが曖昧に漏れただけで、静けさはほとんど変わらなかった。
「ではあと三日を、有意義に過ごすように」
クリスティナ大佐が敬礼すると、全員が姿勢を正して敬礼した。音が一つに聞こえて、やっぱり軍隊だな、とケーニッヒは感心したりした。
その日にヤスユキ少佐を送り出す会が催され、ケーニッヒも参加したが、乗組員たちは何の隔たりもなく、敵意も反発もなく、ケーニッヒに接した。これにはややケーニッヒは鼻白むほどだ。
「あなたのことは噂になってますよ」
艦運用部門に所属する若い伍長がそんな風に声をかけてきた。
「ヤスユキ少佐の全てを引き継いでいるって」
「それは言い過ぎだよ」
「言い過ぎでも、そういう話を信じなくちゃ、軍艦には乗れません」
なるほど、真理かもしれない。
覚えておくよ、と笑うと、伍長は嬉しそうな顔で離れていった。
最後にケーニッヒとヤスユキ少佐が話したのは、ノイマンが出航する前日、ヤスユキ少佐が小型シャトルで宇宙ドックを離れる時だった。クリスティナ大佐もいて、大佐と少佐は長いこと話して、それからやっとケーニッヒの番が来た。
「今までありがとうございました」
本心からの感謝を口にするケーニッヒの肩に手を置き、「艦とみんなを頼む」とヤスユキ少佐は言った。真剣な、どこか深刻ささえもある声だった。
「出来る限りの事はしますよ」
「常に諦めず、粘り強くことに当たるんだ。そうして突破口を見つけ出す。仲間と協力しろ。いいね」
初歩の初歩ですよ、と答えるケーニッヒに、ヤスユキは「基礎は大事だ」と応じた。
彼はその一連の言葉が最後の未練だったように、あっさりとシャトルへ乗り込んでいった。
シャトルが去って行ってから、クリスティナ大佐がケーニッヒの方を見た。
「期待に応えるように、少佐」
正式にケーニッヒは少佐に昇進していた。そしてノイマンの副長にも任命された。
「努力します」
そう応じるケーニッヒに一瞥を向けてから、クリスティナ大佐はその場を離れていく。副官らしく、ケーニッヒはそれに続いた。
その翌日、ノイマンは宇宙ドックを離れた。
向かう先は、地球である。
(第二話 了)
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