10-2 別れの挨拶

     ◆


 シャトルが発進した頃、ヨシノ艦長が喋り始めた。

「地球に行くのは、遺族を訪ねるためです。秘密任務ですから、あまり多くは明かせませんし、僕みたいな若造が艦長だったと言っても信じないでしょうけど」

「責任を、感じていますか?」

 ヨシノ艦長は俺に笑みを見せる。

 この人はいつも、笑う人だ。

「責任を負うことは覚悟していましたし、想像もしました。しかし想像よりも重く、覚悟はあまり意味がないですね」

 表情とは裏腹に、どこか悲壮な響きが声にはあった。

「そういえば」

 その一言で、ヨシノ艦長は話題を変えた。

「ライアンさんが引き続き、ミリオン級の密着取材をされる件、上層部に進言しておきました。どうなるかは知りませんけど、もしうまくいかなくても、僕の責任ではありませんよ?」

 わかってますよ、と今度はこちらが笑うしかない。

「ありがとうございます、ヨシノ艦長」

「もう艦長ではありません」

 ニコニコとヨシノ艦長が言う。

「今はただの、ヨシノ・カミハラという無所属の人間です。無所属というか、無職、とも言えますけどね」

「無職?」

 思わず声を上げると、ヨシノ艦長、いや、ヨシノくんは嬉しそうだ。

「どこにも籍がありませんからね」

「いや、軍はどうなったのです。辞めたということですか?」

「そうなります。だいぶ引き止められましたが、無理を言って、辞めさせてもらいました。宣誓書をいくつも書きましたよ。チャンドラセカルの航海は、秘密しかないですから」

 実は、ミリオン級潜航艦の三隻のうち、最も長い時間、宇宙を探索したのはチャンドラセカルだった。それは俺も船がドックについてから聞かされた。

 チューリングもノイマンも、すぐにエネルギー循環エンジンの残滓により敵の捕捉され、敵艦は振り切ったが、任務続行は不可能とみて、任務を中止していた。

 その辺りの判断の差、チャンドラセカルと他二隻の方針の差は、軍の中でも評価が分かれているのは俺も知っている。

 ミリオン級潜航艦というトップシークレットの最新鋭艦は、絶対に敵の手に渡すわけにはいかなかった。その点で、チューリングとノイマンが選んだ行為は、安全を重視した行動なのだ。

 だがチャンドラセカルは、ギリギリまで任務を続行した。それが情報を敵に与えるきっかけにもなるし、事実、敵に知られた技術もある。

 敵にとって最大の有意義な情報は、チャンドラセカルに搭載されていた電子頭脳のセイメイが、敵組織の運用するレーザー砲台を乗っ取ったことだろう。

 これで敵には、連邦宇宙軍の電子頭脳の情報戦能力が把握されてしまった。

 もちろん、その代わりに、連邦宇宙軍は敵がレーザー砲台という大掛かりな装置を持っていることを知った。

 その辺りの兼ね合い、是とするか非とするかは、俺には把握できていない。

「以前、話していた通りにされるのですか?」

 そう訊ねると、そうです、と返事があった。

「いくつかの研究所からオファーが来ていますし、大学で教鞭を執ってみてはどうか、とも言われています」

「チャンドラセカルに、その、変な話ですが、未練はないのですか?」

 反射的に口をついて出た言葉だった。

 俺でさえ、チャンドラセカルにはちょっと普通ではないほど、親しみを感じている。

 だって、あの艦は二年の間、俺の家だったし、乗組員は家族みたいなものだった。

「気になることを言われたんですよ」

 何気なさを装い、俺はそれを彼に伝えることにした。

「俺が撮影して録音したデータを返してくれた下士官が、こんなことを言った。まるで家族の成長記録フィルムだ、ってね」

 その言葉に、面白そうにヨシノくんが忍笑いする。

「俺はそんなものを撮影するつもりなんて、なかったんですがね」

「あなたの上司が、映像を見てどう思うか、ぜひ教えていただきたいところです」

 まだヨシノくんはクスクスと笑っていた。

「冗談はさておいて、あなたの真意が知りたいね。一人の人間、ヨシノ・カミハラに戻って、チャンドラセカルを、もう放っておいてもいいと、そう思っているのですか?」

「遠くで見守る、それでも良いと思っています」

「誰に知られることもなく、撃沈されても、ですか?」

 あまり悲惨なことを言わないでください、と、それでもわずかな笑みを見せて、彼は応じた。

「あの艦は沈みません。あの乗組員たちは、まだ伸び代がある。それを僕は何度も感じました。チャンドラセカルの乗組員たちは、家族のようなものですが、同時に一個の統一された存在でもある。おそらく常に最適な判断を下すでしょう」

「その統一に、大事なものが欠けてしまうと、ヨシノくんが気づかないわけがないと思うけど?」

 嫌なことを言いますねぇ、とヨシノくんが応じる。まるで仮面じみた、いつもの笑み。

「イアンさんもいます。それに連邦宇宙軍には優秀、有能な指揮官が大勢いる。僕の不在は、大きな意味を持ちません」

「絶対に、チャンドラセカルに戻らないと?」

「絶対など、簡単には口にできません」

 その一言を聞いた時、俺の心の中で、小さな光が差した気がした。

 もうこれ以上、この青年を問い詰めても意味はないな、と判断するのに十分な兆しだった。

 俺は話題を変えて、まず食事の話をして、次に酒の話をした。

 チャンドラセカルに乗り込む時のヨシノくんは未成年だったが、今は二十一歳だ。しかし彼は艦の中でも酒を飲んでいる様子はなかった。

 アルコールは脳を破壊します、とでも言い出すかと思ったが、実は家族がヨシノくんが生まれた年のワインを保存していて、最初の酒はそのワインにすると決めているらしい。

 だから家に帰るのが楽しみなんです。

 そういった時のヨシノくんの顔は、本当の笑み、心からの笑みを浮かべていた気がする。

 彼とはそれから火星の宇宙空港まで一緒だった。

 彼は地球へ去っていった。



(続く)

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