第6話 宇宙を飛ぶ

6-1 質問

     ◆


 オルド・オーハイネの寝覚めは独特だと、自分でも意識していた。

 眼が覚めると、まず方位磁石を手に取る。地球時代の方位磁石ではなく、デジタル式の方角測定器だ。

 これで艦がどちらを向いているか、すぐに把握しないと、すっきりしない。

 今日の方角を調べて、次に彼は時計を一瞥し、発令所での勤務まで予定通りに二時間の暇があることを確認した。制服ではなく運動着に着替えて、ボールとラケットを手に格納庫へ向かう。

 格納庫には予備の装甲板やいつ使うかわからないフレームのスペア、各種の電子機器などが満載されたコンテナ、戦闘機のスペアパーツのコンテナが、所狭しと並んでいる。船外作業用外骨格の巨体もある。

 それでも人が一人、運動する空間は残されていた。

 もし格納庫が無重力だったらまた違ったが、安全上の理由で格納庫には常に人工重力が発生している。

 コンテナの端で、オーハイネはラケットでボールを壁に向かって打ち、跳ね返ってきたボールを、また打ち返した。

 まるで手品のように、この一人と壁のラリーが、長く続く。

 オーハイネのテクニックは、やや偏執狂じみているが、誰もそれを否定しない。もっとも、今は一人だが。

 そのはずだった。

 わずかに手元が狂い、ボールが床で跳ね、壁にぶつかって高く浮かぶ。それをラケットをはなして掴み止めたオーハイネが再開しようとすると、拍手がした。

 そちらを見ると、女性の下士官が一人で立っている。

 名前は、アンナ・ウジャド。無人戦闘機の操縦士で階級は軍曹。

「覗き見とは趣味が悪いよ」

 そう返して、オーハイネは、また壁に向かってボールを打ち、ラリーが始まる。

 アンナ軍曹が気になったので、オーハイネは集中力を少し振り向けることにした。

「きみはいつ、戦闘機の操縦ユニットで待機しているんだ? 普段は何をしている?」

「私ですか? まぁ、待機は流動的ですね。大抵は暇をしています」

「暇? 眠っているか、カードで遊んでいるか、そんなところだろう?」

「ご明察。医務室が賭場に早変わりってことです」

 チャンドラセカルの女性陣は、ある種の集団を形成していて、その中でも、ヘンリエッタ軍曹、アンナ軍曹、ユーリ軍曹、そして医務官のルイズ女史はその中核だ。

 しかしルイズ女史が賭博とは意外だな、と思いながら、オーハイネはボールを打ち返し続ける。

「どこでそんなテクニックを磨いたんです?」

 まぁ、当然の質問だな、とオーハイネはまず考えた。

 他人に披露するつもりはなかったし、言い訳も考えてある。

「学生時代にね」

「硬式テニスなんて、レトロな趣味だと思いますよ」

「意外にレトロな大学だったのさ」

 これは事実だ。学長は考古学が専門の老人だったし、オーハイネも社会学科地球文化学部に籍があった。ただ所属したのは二年だけだ。

「大学って、軍大学じゃないでしょう? どうして軍に?」

「親が死んだ」

 あらま、と反射的にだろう、アンナ軍曹が口走る。

「失礼。それで働き口として、軍を?」

「十九歳で連邦宇宙軍訓練学校に入学、四年間で全ての艦船及び車両の操縦技能を身につけて、晴れて正式採用。だが、配属先は事務仕事だった」

「事務仕事? 曹長がですか?」

「どうせ訓練生上がりだしな、一線級の艦船に乗れるわけがない」

「今、乗っているじゃないですか」

 そうだな、と言いつつ、オーハイネは強くボールを打つ。跳ね上がったボールを、もう一度、強く打つ。

 更に高く上がったボールが天井に触れて力なく落ちてくるのを、キャッチ。

「それまでが長かったのさ」

「教えてもらえる感じじゃないですね」

 アンナ軍曹が片方の眉を持ち上げる、器用な表情をする。

「別に教えてもいいさ。軍をやめて、民間の輸送船に乗っていた。操舵士であり、航海士としてね」

 わけがわからない、という顔で自分を見るアンナ軍曹に、にっこりと愛想のいい笑みを見せてから、オーハイネは彼女を置き去りにさっさと格納庫を出た。

 部屋に帰る前にシャワーで汗を流し、今度こそ部屋で制服に着替えて、時計を確認。食事の時間はきっちり確保されている。

 食堂に顔を出すと、オットー軍曹が一人で食事をしていた。自分の食事を確保し、彼の向かいに立つ。

「ここ、座っていいかな」

 顔を上げたオットー軍曹は無表情に応じる。

「どうぞ」

 悪いね、と断って席に着き、食事を始める。

「ところで聞きたいことがあるんだが」

 さりげなく、素早く切り出すと、オットー軍曹は迷惑そうな顔も見せず、しかし何の感情も見せないまま、視線で先を促してくる。

「スネーク航行時にはどれくらいの速度が出るかな」

 予想外の質問だったはずだが、オットー軍曹の鉄の仮面は崩れなかった。

「スペック表を持っているはずです。それに訓練航行でも試した。それが全てですよ、曹長」

「あれはまだ余裕を残していただろう? 俺が言っているのは、どこかに不具合が出るのも構わずに、全力を出したらどうなるか、ということだ」

 しばらく黙ってから、オットー軍曹が答えた。

「想定されている全速の三割り増しは出るでしょう。しかしおそらく、エネルギーの蓄積が底をつくまでの、ほんの数十分といったところでしょうか。もしくはシャドーモードの装甲だと、負荷に耐えられない。あの状態の装甲はあまりに、脆い」

「エネルギーの貯蓄がなくなると、どうなる?」

「これは推測ですが、まず装甲のモードチェンジが不可能になります。つまり、通常の装甲の状態以外を、一時的に選択不可能になる。スネーク航行そのものは、液体燃料が血管を流れ続ければ可能ですが、限界以上の負担があれば、あるいは、どこかで血管が破れるかもしれません」

 それが致命的、それも決定的な事態だと、オーハイネはすぐに理解した。

 血管が破れる、ということは、エネルギーが暴走することがまず起こる。破断した血管の周囲は、ごっそりと失われるだろう。

 当然、安全装置が組み込まれているから、すぐにその部分をシャットアウトできる。できるが、次なる問題、燃料液の喪失はもう避けられない。

 燃料液の総量が、チャンドラセカルのエネルギーの総量に直結するため、格納庫にある補充用の燃料液で足りなければ、補給を受けない限りもはや万全の態勢ではなくなることを意味する。

「よくわかったよ」

 そうオーハイネが話を切り上げるが、オットー軍曹は不審げだった。

 しかし彼は何も言わずに無言を通して食事を続け、オーハイネより先に食堂を出て行った。

 その点では気持ちのいい男だな、と思いながら、オーハイネは彼の背中を見ていた。



(続く)

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