第3話 打算的な優しさ

 午後3時過ぎに眼鏡は散歩から帰ってきた。

 書類仕事の手を止め、部下にアフターヌーンティーの準備をさせる。

 応接セットのソファに腹這いになって寝ている眼鏡に感想を聞いてみると、「設定資料集のとおりの街並みだった」とだけ答えた。


「モラトリアム広場は行ったか? 中々の景観だっただろう」


「あー、そうだね。厨二が考えたファンタジーが溢れていた」


「甘栗食べたか?」


「食ってない」


 うつ伏せのまま、こちらを見もせずに答える。奴の俺に対する扱いは基本適当で不遜で無礼極まりないのだが、何だか今は様子が違った。

 もしや、元の世界に戻りたいと言っているのを受け流したのを怒っているのだろうか。


「なあ、怒っているのか? どうでもいいなどと言ったが、あれは冗談だ。貴様には世話もしたが世話になったので、協力するつもりだ」


「ああ、うん。ありがと」


 むっくりと眼鏡が身を起こした。

 頬にクッションの跡が付いていて締まらない。死んだ魚のような目といい、不細工だなあと改めて思う。

 顔の作りは俺と同じなはずなのに、表情や性根によって、こうも差が出るものとは。


「失礼いたします。アフターヌーンティーセットをお持ちしました!」


 まだ10代であろう幼い顔立ちの新兵が茶菓子の乗ったワゴンを押して入ってきた。

 香り高い高級紅茶にスコーンにマドレーヌ、クッキー。

 小腹が減っていたのでちょうど良い。

 労いの言葉をかけ、新兵を退出させ、応接テーブルに茶菓子を並べる。


「アフターヌーンティーだ。甘いものに温かい紅茶を飲んで、少し休憩しようではないか」


「ああ……。なんか口の中の水分持ってく系の菓子ばっかだな」


 眉間に皺を寄せ、文句を垂れながらも眼鏡は従った。

 二人で向き合って座り、一服する。


「……あのさ、お前、俺らの世界に転移する直前って何があったの?」


 何故か少し躊躇いながら眼鏡は尋ねてきた。


「前にも言ったが、夜間の隠密作戦中に誤って人喰い川に落ちた」


「どんな作戦だったのさ、それって」


「それは貴様には言えない」


「王女絡みか?」


 自分はすぐに偉そうに守秘義務を振りかざすくせに、しつこいな。


「だから言えないと言っているだろう」


「……じゃあいいわ。川に落ちる前、何かあったか?」


「落ちる前? 何かって?」


「例えば、メンタルくる的なこととか」


「ない。粛々と任務を遂行していた。もしかして俺が自殺しようとしたとでも疑っているのか? 断じてそんなことはないぞ。そんな記憶一切ない」


 ついムキになって語気強く否定してしまった。

 けれども眼鏡は目を細め、そんな俺を冷ややかに眺めているように感じられた。


 俺は眼鏡のこういうところが苦手だ。心の中全てを見透かされている気がして、やましいところなんぞないのに胸がざわつく。


「記憶がない……。お前さ、念のために聞くけど、酒飲んでたとか薬飲んでたとかないよな?」


「あるわけない。任務に差し障る」


「じゃあ悩みごととかあったか?」


 さっきから何なんだ、一体。

 身を乗り出そうとした瞬間、強い目眩に襲われ、俺はソファに倒れ込んだ。


 耳鳴りがする。


 轟々と滝のような音は人喰い川の流れだ。

 川に落ちて天地がひっくり返って、息が苦しくて、けど、見上げた月は恐ろしく綺麗で……。


 それだけだった、はず。


「大丈夫か?」


 眼鏡に肩を支えられ、目眩がやみ、耳鳴りが消えた。蘇ったあの夜の記憶も途切れる。


「川に落ちて、息が苦しかった。死を覚悟した」


 そうか、そうか、大変だったな、と眼鏡は相槌を打ち、背中をさすってくれた。

 こういう優しさも苦手だ。いかにもビジネス的な打算の臭いがして胡散臭い。

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