第6話 兄心

 何で俺はこんなことをしているのだろう。


 純喫茶月光の一番奥のテーブル席で俺は今日、何度目かも分からぬ自問自答をした。


 マスクにサングラス、頭に工務店のタオルを巻き、上下ダブダブのジャージ姿と工事現場の作業員風の服装は純喫茶のスノッブな雰囲気に似合わなかったが、仕方がない。

 何故ならこれは変装だから。


 背後のカウンターでは、マダムからサツマ様がエクプレッソの作り方を教えてもらっている声が聞こえる。


「挽いた粉をここに入れて……」


「ふむふむ」


「メモはゆっくりで良いからね。あら、お客様」


「あ、イラッシャイマセー」


 ぎこちないよー。何で片言? ハラハラすんだけど!


 娘のバイト先見にきちゃうお父さんみたいなことやってる自分が気持ち悪いけど、でも心配なんだもん。


 スポーツ新聞で香りを隠しつつ、サツマ様の接客を盗み見る。

 緊張しているのか、カクカク挙動不審だ。

 せっかくのお洒落なギャルソン風の制服も台無しなくらいに、奴の挙動はダサい。


「ゴチュウモンガキマリマシタラ、ウカガイマシュ」


 片言の上に噛んでる。ロボットかよ。見てらんねえ。

 しかし、ここのマダム、よく面接もろくにせずにあんなの雇う気になったよな。

 面白いけど、店員としてあれはポンコツだろ。

 雰囲気重視のアーティスト臭の漂う老舗喫茶店って感じなので、マダムも利便性より面白さ重視の芸術家気質なのかもしれない。


「白波くん、こちらサービスだからお客様に出してきて。焦らなくて良いからね」


「は、はい!」


 でもまあ、面倒見は良さそうか。優しそうだし。


 いつまでも居座っていると正体がバレそうなので、俺はスポーツ新聞をたたみ、席を立つ機会を待った。


 新しくやってきた客のオーダーを取ったサツマ様が厨房で何やら一生懸命作り始めるのを確認し、レジに向かった。


 伝票をマダムに渡し、代金を渡すと、マダムは釣り銭を俺の手のひらに乗せ、そっと両手で包んだ。


「?!」


 低く落ち着いた、けど香り立つような色気のある声が耳朶をくすぐった。


「やっぱり心配ですよね。初めて働くって聞いたし。けど、ご安心を。彼もあのとおり頑張っているし、私もフォローしますから」


 驚いて見返すと、マダムは悪戯っぽく微笑んだ。

 バレてたか……。


「大丈夫です。彼は多分気付いてないから。さ、早く」


 促され、俺はいそいそと月光を後にした。

 後ろでマダムが何か呟いたような気がしたが、街の喧騒にかき消され、よく聞こえなかった。


 ツルガはサツマ様のことを連続殺人犯と同じ臭いがするなどと不穏なことを言っていたし、俺自身もあいつからは底知れぬ闇みたいなものを感じる時はある。

 けれど、出会った頃に比べて、その回数が減ってきているのも確かだ。


 このまま少しずつ、こっちの世界の人々の優しさとか温かさに触れ、徐徐に普通の青年になってくれればいいなと願ってやまない。

 働くのは心配だったけれど、純喫茶月光なら、それが叶いそうな気がした。

 あ、元の世界にお帰りいただくのがベストってのは変わらないよ。

 変わらないけど、ね。


 超希望的観測が甘すぎたことに気づくまで、あと2週間。

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