第12話 一度死にたくなった人生に

春が来た。

なんてありふれた表現だろうと思っていたが、新しい二人だけの生活がそれを実感させた。今までも朝起きた瞬間から寝る直前まで大切な人が近くにいることに変わりはないが、"同棲"と"同居"はまるで違うのだ。



引っ越しを終えて、役所へ向かう。人が少ない街だが、いないわけではない。田舎道を走る車は自然を存分に味わえる風景を映し出し、窓を開ければその土地で暮らす人々の営みを感じる音が聞こえる。そんな雰囲気がこれから行う一大イベントに緊張する二人を和らげる。


「朝陽さん、なんでそんなに名前ガタガタなの〜?」

「と、朋恵だって手ぇ震えてるじゃねぇか」

「これは、その、ちがうもん!」


微笑ましい二人を見つめるのは役所の優しい人たち。この地に越してきた新婚さんか〜これからよろしくね、と伝えるような眼差しで。


「「お、お願いします!」」

「はい、かしこまりました。」


受付の女性が書類を受け取り確認を終えると、少し笑って

「これで大丈夫です。おめでとうございます。」

と告げる。




こうして俺と朋恵は夫婦になった。 







それからの生活は大変だった。俺は毎日慣れない手つきで畑仕事。日々勉強しながらああでもないこうでもないと、少しの土地を有効活用し自給自足をモノにするため、模索していた。でも毎日が意味のある生活で、とても輝かしいものだった。

一方の朋恵も大学で多忙な日々を送っている。最初の頃はわりと自由な時間が多いイメージの大学生も看護学科となれば一年生から実習だの講義だの、なんやかんやでほぼ毎日学校に通っている。それでも忙しい間を縫って農作業の手伝いもしてくれる。本当につくづくいいやつだ。いや、奥さんか。


なんせ田舎なので近くに家なんぞないだろう、と思っていたら、400メートルほど先にご近所さんがいた。遠藤さんという、若い家族のお家だった。喜久子さんと息子さんの智さん、智さんの奥さんとお子さんが娘さん息子さん一人ずついる、とても賑やかな家族だ。引越ししてきてからとてもお世話になった。智さんは俺が何も知らなかった農業を一から教えてくれて、今もなお習い続けている。俺のが年齢がひとつ上なのだがそんなことも気にしない間柄だった。






初夜、布団を2つ敷いた俺たちは隣とはいえ今まで通り違う布団で寝る。別に熱が冷めてるわけじゃない。二人で話し合って所謂"そういうこと"は朋恵が未成年である間はしない、と。別にその行為で愛を確認するまでもなく、今の二人は婚姻関係にあるだけで十分だった。幸せは追々感じていけばいい。

「朝陽さん、耐えれそう?」

「…襲うぞ?」

「私は別にいいけど?」

朋恵がただでさえ短いスカートの端をひらひらさせて煽る。

ーーー耐えれる………はず…








慌ただしい日々も慣れればあっという間に過ぎていく。朋恵との田舎暮らしを初めて、2年半が経過した。俺が大学生の頃は9月はまだ夏休みだったが看護学科は大層忙しいのか、8月の終わりから授業が再開した。一年次よりも忙しいように見える朋恵の表情には生活への慣れからか、余裕が見えた。農作業も軌道に乗り始め、俺の方も余裕が出てきた頃にそれは訪れた。

9月12日。朋恵の誕生日だ。昨年は断られたというか遠慮されたというか、事前にプレゼントはいらないと断言していた。その代わり一緒にいて欲しいなんて言われてしまったが、今年は20歳の誕生日だ。俺はこの日あるものを渡すと決めていた。


それは結婚指輪だ。


看護学科は装飾品にも厳しいらしく、入学前に買うことに躊躇いがあったのか朋恵からは一切触れられなかった話題だった。しかし俺は引っ越しの前からすでに手元に用意していて臆病な性格がなかなかそれを渡すことを許さなかった。この機会に今までの感謝とこれからの生活の約束を伝えたかった。その思いが俺を強く動かした。




当日、智さん一家と誕生日パーティをして、みんなで祝って、ケーキを食べた。楽しい時間はあっという間に終わりを告げ、綺麗な月の元、二人で帰り道にいた。

夏にしては少しひんやりした空気に身を包み、手を繋いでゆっくりと歩いていく。

「…朋恵、本当今までありがとな。」

「どうしたの朝陽さん。なんか死ぬ前みたいじゃん。」

「その…あれだよ、ここまで引っ張ってきたけどかなり迷惑かけたなって。」

「そんなの今更だし。私の方こそ迷惑ばかりだったし…。」

「そんなことないさ。それより、これからも迷惑かけるかもしれないけどさ…!」


そう言って繋いでいない左手をポケットに入れて


「ずっと俺のそばにいてください。」


つないでいた朋恵の左手にそっと指輪をつけてあげる。


「!?」

「朋恵、大好きだよ」


泣くかと思ったが、驚いていて声が出ない様子の朋恵。指輪をはめられた左手を眺めながら何かを呟く。


「…えのゆびわ…」

「ん?どした?」

「前の指輪じゃない!」

「!?」


今度は俺が驚く番。なんでバレた…?


「前部屋に箱が置いてあって開けたら指輪だったからいつ渡すのかなってちょっと思ってた。けどこれじゃないよね…?」

「…それはまだ結婚の形式に縛られてた頃の指輪だ。朋恵じゃなくて自分のことばかり考えてた。でも今は違う。朋恵への思いをありのままに伝えたかった。」

この日のために俺は一人で再び指輪を買いに行った。指のサイズが変わってるかもしれなかったし、何より俺の気持ちの問題だった。前の指輪はあくまで結婚という行事に対して体裁のために買ったものだった。せっかくの結婚指輪なのに中途半端なものはあげたくない。結婚指輪は高いし、そう何度も買うものでもないかもしれない。しかしあの時の朋恵と今の朋恵は違うのだ。それが新しい指輪を買った理由だ。

「改めて受け取ってくれるか?」

「も、もちろんです。これからも末長くよろしくお願いします。」

「ああ、こちらこそよろしく。」

「そんな愛する妻からもプレゼントがあります。」

「俺は今日誕生日じゃないぞ?どうして…」


チュッ


朋恵の方を振り向こうとしたら目を閉じた彼女が俺の頬に優しく口づけする。


「…今日から解禁なんだよね?その…私も我慢してたから…」



赤い頬の朋恵を抱きしめる。抱きしめ返す朋恵。ふふっと笑って再び手を繋いで歩き出す。夏の夜、静かな道を歩くその二人はもう夫婦だった。



本当の意味での初夜を終え、朝日を浴びて起きる二人。昨夜、初体験で慣れない二人は不器用ながらも愛し合った。ぎこちない雰囲気では合ったが二人らしい素敵な初体験となった。

「んぅ〜、腰痛い〜」

「朋恵大丈夫か?って俺も痛い…。今日日曜だし、着替えてゆっくりしようぜ。」

「うん、私先シャワーもらっていい?」

「おう、じゃあ着替えて朝食作っとく。」


こうした何気ない日々が二人でいるだけで素敵なものになるということを気づきながらもなかなか口に出せない二人。そんな距離は羨ましく微笑ましい。


さあ、今日も素敵な1日が始まる。


_________________________________________

epilogue


俺は40のおじさんになった。年を重ねるのは大変な一方で嬉しいことやめでたいこともたくさんあった。

俺と朋恵には娘が二人できた。

それぞれ茜音あかね理穂りほだ。

茜音は今年5歳、理穂は3歳になる。

朋恵は大学を卒業し、看護師ではなく学校の保健室に勤める先生となった。そして理穂の出産をもって専業主婦となって今では毎日一緒に暮らしている。決して裕福ではないが家族みんなで過ごす時間は素敵なもので毎日に幸せを感じる、この上ない生活だった。


この日も朋恵は茜音と理穂を連れて散歩しに行った。いつもは俺もついていってるが、今日はふと庭を眺めて縁側で過ごしたくなった。心地の良い春風の吹くなかに、小さな梅の花が咲いていた。桃色の花が3つ、白色が1つ。冬を越えて葉を落とした木々に誇張する様に綺麗に咲いていた。太陽が照りつけるがそれすら気持ちのいい日だった。


ふと思い出す風景がある。

自ら命を断つために乗った電車。

自分を見つめ直した警察署。

ただ前だけを見て突っ走った大学時代。

残念なものに思えた時間がふと色めいて見えた。


残業終わりに朋恵を拾った通り。

二人で過ごした狭い家。

朋恵を救った合コン会場。

朋恵と佳奈さんと話し合った家。

二人で愛し合ったこの家。


そして今。

全てここに繋がっている。無駄なことなど何ひとつなかったのだ。それだけで俺はもう満足だ。






太陽の光は嬉しい気持ちの俺を眠りへと誘う。

風が白い梅の花をおとす。

誘われるままに目蓋を閉じて俺は縁側に座っていた。


遠くで子どもたちと愛する妻の声がした。

優しい声だった。

まるで俺を包み込むような、そんな声だった。





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