第40話 力への渇望

 その戦いは一方的だった。だからこそアーサーは困り果てる。



(ミュウこそが英雄ノワールではないか?)



 掲示板でよく取り上げられている情報だ。

 アーサーの目から見てもまず確定と見て間違いないだろう。

 しかしそれとなくリージュに探らせたところ、巧く躱されてしまったという。

 本人は否定しているものの、しかしノワールについてやたらと詳しいあたり全く知らないというわけでもない……という事だ。



 そしていざ開戦してみればあの時以上の力で「暴虐」から「殺戮」にランクアップしたレンゼルフィアに対応してみせた。

 故にミュウに英雄の名がちらついてしまう。その力を余らせておくのは惜しい、アーサーは攻略班故にそう思ってしまうのだ。



 そこへ一人の男がアーサーへ近寄ってくる。

 名をグスタフ。バード系統でありながら腰に二対の大剣を佩いた戦士であった。

 ヒューマンを越える体格を有していながらも線は細く、一見華奢にも見えてしまうが、大剣と見紛うほどの強靭な脚が彼のもう一つの武器である事を示していた。

 ゴーグルを額に押し上げて、戦闘中のパーティを睨みつけるようにしてグスタフが尋ねる。



「あれが噂の精霊か?」



 頷き、アーサーは溜息と共に感情を吐き出した。



「そうです。しかしあそこまでやれるとは思いませんでした」

「なに?」



 グスタフの片眉がピクリと跳ね上がる。

 眼前で展開されている光景は日常ではまずお目にかかれない代物だ。

 だからこそ、それが噂の三人組の片割れ——全てが謎に包まれた精霊ミュウの実力であると納得していたところへアーサーはそれを否定したのだ。当然グスタフは納得がいかないとばかりに食い下がる。



「ではあの力をどうやって説明する」

「オレの時は……昼ではフィールドそのものを使った攻撃はしてない。いや、出来なかった? 当時の彼女はLV1。そして今は28だと聞きます。その差では?」

「待て……夜でも彼女のLVは1のままだぞ? だがフィールドそのものを使ったダメージ源を盛っていたと聞く」

「なんだって? それじゃあ実力を隠していたというのか? どうして……」



 アーサーは分からない、とばかりに眉根をひそめる。そしていつまでたっても答えの出ない、惨状を目の当たりにしながら話しを変えることにした。



「グスタフさんが参戦した時はどんな状況だったんですか?」



 その質問にグスタフは当時の風景を明々にして思い出す。

 それはぬるく湿った風が流れる月の眩しい夜だった。

「月に吠える」名を冠するヤツにとって絶好とも取れる舞台だ。月明かりはヤツ……レンゼルフィアに力を与える。プレイヤーのウルフ種と同様に、ステータスに補正がかかるのだ。


 今宵の戦いもまた激戦に次ぐ激戦となる……そう覚悟していたのだが……順番が回ってきた時、俺たちの目の前に姿を現したのはあまりにも無残な格好で大地に張り付けにされた高貴さのかけらもないイヌッコロだった。


 どういう力が働けばここまでボロボロに出来るのか想像もできない。しかしこんなチャンスは二度と回ってこない。

 今宵こそ我らの宿願を果たす時だと身を震わせたのを覚えている。


 ヤツは命の灯火が消えるまで王であり続けた。追い込まれた獣の底力を侮っていたのだ。グスタフがスタミナ休憩を取っている間に疲弊していたタンクとヒーラーが倒された。必死にヘイトを剥がそうとしていたアーチャーも倒され、パーティに全滅を予感させた。だがしかし、ここで倒さねばヤツは回復してしまう。強力なデバフがキレる前にトドメを刺さねば繋げてくれたプレイヤーに申し訳が立たない。そう自分に言い聞かせてグスタフは雄叫びを上げた。位置を知らせたのだ。目の見えないレンゼルフィアは一直線にグスタフの元へ駆け寄り、しかし前足は空を切る。

 腐ってもバード系統。滑空はできずとも羽ばたくことはできる。退化した羽で必死に空を渡るダチョウタイプのグスタフ。

 強靭な脚力でもって大地を蹴り、蹴り飛ばした大剣でレンゼルフィアの鼻先にカスダメージを与えることに成功した。

 もう一振りの大剣を足場にして空をかけていく。そして十分な距離を稼いだ後、本領発揮の準備ができた。

 必殺のドロップキックだ。強靭な脚力と過剰なまでに搭載されたアイテムバッグには重量の嵩むものばかり。その重力に引かれるようにしてグスタフは地面に吸い込まれ、すぐ真下で前衛二人の命が散らされるのを目の当たりにしながら絶命へのバトンを手渡した。

 レンゼルフィアの脳天へ直撃した一撃は高さ×重量でダメージ計算されて、その命を光の粒子として返還させた。

 パーティメンバーの6人中5人が繋いでくれた命を糧に、唯一HP3で生き残ったグスタフは天に浮かぶ月を眺めるようにして大の字で倒れ込んだ。そして一瞬の間をおいてワールドアナウンスが流れた。それこそがプレイヤーに勝利を告げる神からの宣告であり、集まったプレイヤーは大いに賑わった。


 グスタフはそのまま気絶判定を受けて、意識を取り戻した時には酒場の椅子で転がされていた。周りにはデスペナ明けのパーティメンバーに囲まれて苦労話を出し合っていた。

 口から出るのは何度も諦め掛けた弱い心。

 だけどお前が勇気を振り絞ったからこそ賭けた。賭けて正解だったと持て囃される。

 その日グスタフは住民から感謝され続けた。


 しかし後日風の噂でとんでもない真実を聞くことになる。

 噂の三人組なるもの達についての噂だった。

 聞いたことのない名前だ。

 闇の住人ココット、吸血鬼いや姫の方か。闇の精霊の下位互換として噂されているデバフのスペシャリスト。それを筆頭にこっちは回避盾の忍者を生業とするラジー。

 それと一番解せないのが精霊……しかも無力の代名詞とも言えるドライアドが直前まで大活躍していたという耳を疑う内容だった。

 だからだろうか? あの日以降グスタフ達の大立ち回りは酒場で噂すらされなくなっていた。

 いつしか噂の三人組の功績を横から掬い上げただけのハイエナ……みたいに言われるようになっていた。掲示板でもそうだ……なぜ? 討伐者がそこまで言われねばならない。

 それを思い出し、苦虫を噛み潰したようような顔でグスタフは吐き捨てるように言った。



「オレの時は散々だったよ」



 そう切り出そうとした時、背後から心臓を鷲掴みされたような感覚に身を凍らせる。

 額から大量の脂汗が流れ落ちるような感覚に陥り、一瞬何をされたかわからないまま、恐怖に支配されていた。


 いつの間にか現れた人影。ウルフの獣人でありながらも衣服を纏い。それは返り血を浴びたかのような赤黒さで染まりきっていた。

 瞳は見開き充血している。興奮状態の獣特有の瞳孔の開ききった目で食い入るように戦闘を覗き見していた。殺意を濃縮した瞳は見るものを縮こませる効果でもあるのだろうか?

 グスタフはその男の出現と共に動くことすら忘れて釘付けにされていた。



「あ、ムサシさん」



 そこへ気の抜けた声がかけられる。

 誰であろう、声の正体はアーサーであった。

 ムサシ……その名にグスタフは聞き覚えがある。つい最近参加した第二陣プレイヤーでありながら、歴戦の猛者であるかのように振る舞うロールプレイヤー。


 ウルフでありながらダメージにマイナス補正のかかる剣を扱い、無音移動で近づき、一太刀の元に対象を絶命させる恐ろしい使い手だ。


 額から流れ落ちる汗を拭うことすらできずにただそこにいる存在をグスタフは睨むことしかできないでいた。

 しかしムサシはそんな恐怖に彩られた視線を虫か何かを見るような目で見返し、直ぐに視線をレンゼルフィアへと向けた。


 なんの興味も抱かれてない事実にグスタフの中で安堵と共に屈辱が渦巻く。



「アーサー」



 ムサシは興味なさげに短く切り出す。



「……アレがお前のいう精霊か?」

「はい」

「確かアレは普通じゃない」

「でしょう」

「だがオレの探している相手でもない」

「そう、ですか……」



 アテが外れて項垂れるアーサーにムサシが付け加えるように声をかける。



「だが楽しそうだ。彼女もまた、当時あのような戦い方を見せていた」



 どこか懐かしそうに目を細め、思い出に浸るようにこぼす。それはアーサーがムサシに抱く第一印象から大きく外れるものだった。この人はこんな顔もできるのかと、失礼な言い方を考えていると、すぐにいつものムサシに戻った。そしてこう付け加える。



「だが足りない。当時の彼女ならもっと派手にやれた。従ってアレは彼女ではない。ノワールはあんなものと比べようもない存在だ。以降あの程度で彼女を軽々しく語る事を禁ずる……いいな?」



 その言葉を最後にムサシは姿を消した。いや、存在そのものが煙のようにかき消えた。まるではじめからそこには何もいなかったとばかりに今では死を纏った気配は霧散している。


 そして気圧されていた人々からは安堵のため息が漏れ出した。


 ブハッ、ハッ、ハァ——

 グスタフは息をするのも忘れて、久しぶりに吐き出したように肺の中から空気を絞り出した。



「……アレはなんだ?」

「ムサシさんですよ」

「それは分かる……その狙いだ」



 グスタフの質問にアーサーは苦笑する。



「彼は噂を聞きつけてこのゲームへ帰って来た過去の英雄の一人です」

「英雄!」

「それも過去にケリをつける為、らしいですよ?」

「そうだったのか……過去の英雄は格が違うんだな」



 未だブルリと震える背筋を正し、グスタフはアーサーに問う。それを受け取り、アーサーは空に浮かぶ太陽を見て眩しそうに目を細めた。



「あの人は異常ですよ。その想いも、心の在り方も」

「どういう事だ?」

「英雄ノワールをご存知で?」

「ああ、災害の名を冠する英雄だろう?」

「あの人は未だに未練がましく彼女の背中を追いかけているんですよ」

「彼女が引退したのは十年も前だぞ?」

「ええ、だからこその執着心です。彼は彼女の力に恋をしてしまったんです。それで漸く同じクランに入る事が出来たらしいですよ。酒場で彼の昔話をNPCであるマサムネさんから聞きました」

「ヤツがあの英雄マサムネか!」



 その正体にグスタフは驚愕した。

 ラストサムライ・マサムネ。

 前作においてその名を知らぬものは居ないとされる、破壊の権化とされたノワールとは対極に位置する真の英雄。その人である。

 だからこそ解せない。先ほどの狂気じみた剣呑な気配はマサムネのそれではない。あれではまるで……



「はい……だけど彼の心の内にあるのは当時の力の伴わない自分への失望と、彼女の引退を引き止めることができない事による絶望だけです。

 それを経て彼は悪鬼羅刹の道……修羅道へと身を墜した。

 今の彼を止めることができるのはそれこそ全盛期のノワールくらいでしょう」

「そうか……」



 その言葉を聞いてムサシの力の源を、本質を理解したようにグスタフは笑った。

 視線の先には一方的に蹂躙されるレンゼルフィア。

 それを見て笑わない方がおかしい。幾多の屍を築き上げ「殺戮」の名を冠したあいつをまるで子供でもあやすように扱うその力を目の当たりにしてもまだ「足りない」と言わしめる理想を。


 こんなところで足踏みしている場合ではない。グスタフは自分にそう言い聞かせてアーサーに別れを告げた。

 彼もまた後に名を馳せる豪傑の一柱となるべく大空へと羽ばたいた。

 その胸に熱く燻らせる炎を抱いて。



 アーサーもまた同じように武者ぶるいをした。

 英雄……その言葉が持つ力に踊らされていたのもまた事実である。

 しかしムサシの残した言葉にはそれを一笑させる程度のものに過ぎない。



「あの程度の力でノワールを語るな、か」



 その言葉がアーサーの中で繰り返される。

 自身の中での英雄という力の大きさ、その認識の違いに己の無力さを嘆く。


 だから前を向いてミュウの戦いを見た。

 自分が敵わぬからといって過去の力に頼っているようではダメだと窘められた気持ちでいっぱいになる。

 そして今の自分はルーキーではないのだと思い出す。

 だからリーダーとして、頼られるようにならなくてはと、力の使い方を吸収するように、ミュウの戦い方を食い気味に見つめていた。

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