第68節・血染めの夕日
二日前。
エルはある目的のためにモーレナ砦にある納屋の屋根上に潜んでいた。
ここからは正門前の広場が一望でき、砦内を移動する騎士や兵士たちの様子を窺える。
「さて……そろそろですわね」
そう呟くのとほぼ同時に砦内からバードン伯爵とルナミアが現れた。
大股で歩くバードン伯爵をルナミアが追いかけ、何やら怒鳴っている。
それに対してバードン伯爵も足を止めて振り返ると彼女に怒鳴り返した。
二人の口論に周囲の兵士たちが気が付き、あっと言う間に人の輪が出来上がる。
耳を澄ませてみるとルナミアが大公軍と決戦すべきと主張し、バードン伯爵が砦で持久戦に持ち込むべしと反論している。
二人のあまりに剣呑な雰囲気に諸侯らが慌てて間に入って仲裁を始めた。
そんな様子を見ると私は呆れた様に肩を竦めるのであった。
「まったく、お二人とも演技がお上手ですこと」
あれは茶番だ。
反大公軍の中に潜んでいる敵を炙り出すための大茶番だ。
まるで本当に口論しているかのようであるため敵もバードン伯爵とルナミアの対立が決定的になったと思うであろう。
というか……。
(本当に演技ですわよね……?)
まあ兎に角これで敵は動く筈。
私の他にも何人か事前に連絡を受けてこうやって怪しい奴がいないか目を光らせているのだ。
二人の口論が終わり、去って行くと人の輪も解散して行く。
兵士たちの一挙手一投足を見逃さないように凝視するとある兵士が目に入った。
辺りをやたらと警戒しながら人混みから離れて行き、厩の方へと向かって行く。
「……ふむ?」
広場にいた他の監視員に手で合図を送り建物の屋根を伝って怪しい兵士を追っていくと彼は厩の裏に移動し茂みから鳥籠を取り出した。
そして何かを紙に書くと鳥籠を開き、籠の中にいた鳩の足に手紙を括り付けて放つ。
「当たりですわ」
鳩が飛び立ったのを見届けると屋根から飛び降り、兵士の前に着地する。
そして驚く兵士に対して笑みを浮かべると「一部始終見させていただきましたわよ」と言う。
「な、なんのことだ? 俺はただ鳩に餌を……」
「伝書鳩ですわよね? 数日前、ノスの山に向かう前にも見た。ああやって大公軍に情報を流していたのでしょう?」
「…………」
兵士は目を泳がせ何か言い訳を考えようとするがやがてそれを諦め睨みつけてきた。
そして突然ナイフを投げつけて来たため慌てて体を捻って避ける。
するとその間に此方の横をすり抜けて逃げ出すが━━。
「━━逃がすか!!」
厩の角からルナミアが現れ兵士の顔面を殴打した。
ルナミアに続いてバードン伯爵や多くの兵士たちも現れ、倒れた兵士を拘束する。
「は、放せ!! 貴様らまさか謀ったのか!?」
「ああそうだとも。悪いが一芝居打たせてもらった。我が軍に裏切り者が居るのは明白であったのでな」
バードン伯爵はそう言うと口元に笑みを浮かべながら肩を竦めた。
「役に立ってくれて感謝する。貴様のお陰で敵に虚報を流せたよ」
「おのれ!!」と裏切り者の兵士は暴れるが他の兵士たちが猿轡を噛ませて連行していく。
それを私たちは見送ると「さて」とバードン伯爵はルナミアの方を見た。
「彼の兵士、どう処罰する?」
その言葉にルナミアは僅かに眉を顰め、バードン伯爵は彼女の反応を窺うように目を細める。
恐らくルナミアが裏切り者に対してどういう処罰を下すのかで彼女を見定めようとしているのだ。
「━━死罪かと」
「ふむ、それが普通であろうな」
「奴のせいで多くの兵が死にました。砦の広場で斬首にすべきです。ですがその前に聞き出せる情報は全て聞き出しておくべきでしょうね」
ルナミアの言葉にバードン伯爵は満足そうに頷くと「では拷問に関しては此方でやっておこう」と言い去っていく。
ルナミアはバードン伯爵が去ると厩の壁にもたれ掛かり、此方を見て力なく笑った。
「人を死刑を言い渡すのは疲れるわ」
「……心中お察ししますわ」
「偽善ね。戦で人を散々斬っておいて死刑にすると言ったら心を痛めるなんて」
「…………」
ルナミアはやや疲れたように首を横に振ると「さて」と壁から離れる。
「エル、お手柄よ。これで私たちは反撃の糸口を掴んだ。ここからが本番。忙しくなるわよ」
そう言うとルナミアも去っていく。
その背中を見送ると空を見上げため息を吐く。
「コーンゴルドに戻れたらウェルナー卿に相談した方がいいかもしれませんわね」
ルナミアは相当追い込まれているように見える。
何もかもを一人で背負い込んでしまい、またそれを自分の力で今のところ解決できてしまっているため余計に人を頼らなくなる。
このままでは彼女は重責に押しつぶされてしまうだろう。
せめて彼女と対等の立場で苦しみを共有できる者が居ればいいのだが……。
そう思いながら私もルナミアの後を追って広場の方へと向かうのであった。
※※※
大公軍の兵士たちは逃げる反大公軍を追い立てていた。
そこに理性などすでに無い。
逃げる獲物を追いかける獣の群れ。
背中に斧を叩き込み、胸を貫き、奴らの返り血を浴びることを何よりもの至福とする。
さあ逃げろ、逃げろ!
もっと追わせろ!
もっと狩らせろ!!
貴様らは獲物だ、羊だ。
我らは狩人だ、狼だ。
一人残らず我らが刃で切り裂き、この地を血で染め上げてやろう。
誰かが空を見上げた。
すると空に多数の火矢が飛んでいるのが見える。
アレが放たれたのは後方からではない。
反大公軍が逃げている前方から。
それはつまり━━。
「━━猪口才な!!」
大公軍の兵士たちは盾を頭上に構え、矢に備えながら敵を追う。
今更そのような攻撃で我らを停められると思うな!
待ち伏せていた弓兵ごと叩き潰してくれる!!
そう思った瞬間、気がついた。
草原に描かれた一本の線。
草を濡らす鈍い色の液体。
この匂い、この色……それを理解した瞬間には。
「し、しまった!?」
火矢が平原に次々と落着し、液体の線は瞬く間に炎の壁と化して兵士たちを飲み込むのであった。
※※※
(これが貴様の策か……!!)
ヴォルフラムは急いで馬を止め、突撃する兵士たちに停止の指示を出した。
敵は戦が始まる前に油を撒いていたのだ。
火矢が放たれあっと言う間に炎の壁が出来上がると大公軍は見事に分断されてしまった。
此方を惹き付けるための撤退。
分断するための火計。
ならば次にすることは一つ。
「て、敵襲!! 両翼より敵が出現しました!!」
騎士が指さす方。
両翼より撤退したはずの反大公軍が現れ、此方に向かって突撃をしてきている。
何ということか。
此方が行おうとしていた包囲を敵の方が達成してしまったのだ!!。
「ヴォルフラム!! これはどういうことだ!? おい、何か言え!!」
レクターが顔を青くして騒いでいるがそんなことはどうでもいい。
さてどうするか?
どうやってここを切り抜けるか?
「……貴様、笑っているのか?」
信じられないものを見たというレクターの言葉に自分が笑っていたことに気がつく。
ああ成程。
私は今、愉しいのだ。
謀将などと持て囃されていたが所詮自分も只の人。
負けるときはあっさりと負けるものだ。
だが負け方というものがある。
最悪の状況から最善の手を選び、良い負け方をしなければならないだろう。
「閣下、今すぐお逃げを。我らが敵を足止めします故」
「逃げろだと!? ここまで追い詰めたのにか!!」
「ええ、追い詰められたのです。この場で潔く果てたいというのであればお止めはしませんが……。いかがいたしましょうか?」
そう言うとレクターは憎悪の視線を炎の向こう側に送る。
そして手綱を引くと馬を反転させこう怒鳴りつけてきた。
「ルナミアを討て!! 死ぬのならば討って死ね!!」
そしてレクターが護衛の騎士を引き連れて撤退を開始するとやれやれとため息を吐く。
「如何いたしますか?」
隣にいた騎士がそう訊ねてきたため鞘から剣を引き抜き剣先を前方に向ける。
「生憎と死ぬ気はない。だがこのまま退いても包囲され逃げきれぬだろう。ならば……死中に活を求める。最も敵の攻撃が激しい箇所こそ敵の弱点なり」
「やれやれ、敵中突破ですか……。生きて帰れたら兵たちに褒章を与えてやってください」
騎士や兵士たちは覚悟を決め動き出す。
此方も兜のバイザーを降ろし馬を駆り出すと炎の壁を迂回しながら前進を開始するのであった。
※※※
「全軍━━反転せよっ!!」
敵の分断に成功したのを見ると私は直ぐにそう叫んだ。
策は成った!!
敵をこの場所まで引き込み、分断する。
それと同時に”撤退”した味方が両翼より敵に襲い掛かり包囲するのだ。
辺境伯軍の兵士たちはこれまでの仕返しだと言わんばかりに喊声を上げて動揺している敵軍に突撃を開始する。
「エドガー!! 騎兵を率いて中央を突破!! 更に分断しなさい!!」
「かしこまりました!!」
「アーダルベルト団長!! 分断された敵左翼を攻撃!! 敵に反撃の機会を与えないで!!」
「任せておいて!!」
「残りは私に続け!! 敵右翼を粉砕する!!」
「応!!」
既に両翼より現れた味方が分断された敵に対して騎兵突撃を敢行している。
さらに炎の壁の向こう側にも攻撃を開始しておりこのままならば完全に敵を包囲できる筈だ。
私が兵を率いて突撃を開始するのと同時にフェリアセンシア率いる魔術師隊が味方を巻き込まない位置にいる敵軍に向かって攻撃を開始する。
戦場は怒声が入り交じり、敵味方が陣形を崩して激しく激突を行っていた。
私は地面に突き刺さっていた槍を突撃の最中に拾うと構える。
そして必死に兵を落ち着かせようとしていた指揮官らしき貴族の横から襲い掛かり彼の胸に槍を突き刺して討ち取る。
「止まるなぁ!! 将を討て!! 敵を冷静にさせるな!!」
狂気だ。
狂気で戦場を支配しろ。
敵が何が起きているのか分からない内に致命的な損害を与えよ。
一切の容赦など不要。
ここで全てを終わらせるため根切りにするのだ。
敵軍に切り込みながら無我夢中で剣を振るう。
鎧に、顔に返り血を浴びながら敵兵を斬り捨て、必死に突き進む。
「敵の一部が此方に向かって来ます!!」
護衛の騎士が指差す方を見れば分断した後続の敵軍が真っ直ぐに向かって来ているのが見えた。
(この状況で突撃!?)
此方に包囲されつつあるのを分かっていての突撃。
予想外のことに驚くが向かって来る敵軍の旗印を見て理解した。
敵はヴォルフラム・ブルーンズ。
奴の狙いは包囲が完成する前に最も此方の脆弱な部分を突き、突破することだ。
囮となっていた中央の軍は策が成功後、強引に反転させたため陣形が崩れきっている。
ヴォルフラムはそのことを理解し、一点突破をしようとしているのだ。
「迎え打つわ!!」
向かって来る敵軍を正面に捉え、此方も突撃をする。
両軍が激しく激突しあい、兵が吹き飛び、馬は潰しあって大地に倒れる。
敵味方入り乱れる中、私は黒い鎧を身に纏った騎士を見つけた。
向こうも同時に此方を捕捉し私たちは正面から突撃し合う。
すれ違い様に互いの剣がぶつかり、火花が散った。
横目で敵と睨み合い、すれ違うと反転する。
ヴォルフラムは既に味方を突破しており、彼と共に少数の敵兵が包囲を突破しつつあった。
「つ、追撃を!!」
突破する敵を追撃しようと一部の兵士たちが動きを止めるが「追撃は不要よ!!」と彼らを止める。
「逃げた敵は捨ておきなさい!! それよりも包囲を続け、残った敵を殲滅するのよ!!」
ヴォルフラムは出来ればここで討ちたかった。
だが今重要なことは大公軍に致命的損害を与えること。
この戦いで徹底的に敵軍を粉砕し、レクターに反撃の機会を与えないことだ。
「さあ! ここで大公軍を滅ぼすのよ!!」
そう叫ぶと再び味方と共に敵軍に突撃を敢行し、敵を轢き潰して行くのであった。
※※※
反大公軍と大公軍の戦いは夕刻まで続いた。
大地は空と同じ朱に染まり、タールコン平原には夥しい数の死体が積み重なっていた。
地平線の先までにも斃れた兵士たちが見え、燃えるような紅い空と相まってまるで地獄のような景色と化している。
辺境伯軍の兵士であるマイクは胡坐をかいて俯きながら座っていた。
恐ろしく疲れた。
様々な戦に参加してきたがこれほどまでに壮絶な殲滅戦は初めてだ。
敵兵が死に絶えるまで武器を振るい、自分の身体は敵と味方の血で真っ赤に染まってしまっている。
「……戦争は、疲れるなぁ」
勝たねばならない戦いだった。
やらねばならない虐殺であった。
逃げる敵の背中に手斧を叩き込んだ感触が、命乞いをしてきた敵の首を刎ねた感触が今でも手に残っている。
歴史に残るような大勝利をしたのだ。
もっと喜ぶべきではないだろうか?
だが感じるのは妙な虚しさだけ。
「………」
ゆっくりと顔を上げると殆どの兵士たちは自分と同じように疲れ切って休んでいる。
時折槍を持った騎士が平原をうろつき、まだ息のある敵兵にとどめを刺しているのが見えた。
惨いとは思う。
しかし仕方のないことだ。
この惨状で死に切れていないほうがもっと辛いだろう。
(地獄だ。やっぱりここは地獄だ)
そんな地獄の中、一人の少女が佇んでいた。
彼女はぼーっと紅い空を見上げ、それから剣を地面に突き刺した。
その姿は英雄というよりもまるで死神だ。
これは彼女が望んだ結果なのだろうか?
それとも━━。
「━━だとしても俺たちゃあ支えなきゃいけねえ」
まだ若き当主を。
若き英雄の卵を自分たち大人が支え、導いてやらねばならない。
脚に力を入れ、ゆっくりと立ち上がると拳を振り上げた。
「……ォ」
最初は小さく。
「オォ!!」
徐々に声を大きくし、力一杯拳を振り上げる。
「勝利だ!! 鬨の声を上げるぞ!!」
此方の言葉に頷き、次々と兵士たちが立ち上がり拳を振り上げて鬨の声を上げる。
平原は瞬く間に兵士たちの鬨によるコーラスで包まれ、ずっと遠くのガーンウィッツにまで届きそうなくらいの勢いで叫び続ける。
ルナミアはそんな兵士たちを一望すると頷き、地面に突き刺した剣を天に向かって振り上げた。
「我らの勝利だ!! 皆、力の限り叫びなさい!! 今日、私たちは歴史に名を残す勝者となった!!」
叫ぶ。
叫ぶ。
叫ぶ。
この地獄を生み出した意味はあったのだと。
我らは未来を切り拓いたのだと。
声かかれるまでひたすらに叫び続け、勝利に湧き上がったのであった。
※※※
エスニア歴千年。
タールコン平原での戦いは反大公軍の勝利に終わった。
この戦いで大公軍側は参加した将兵の殆どが討ち死にするという大損害を被り、レクター・シェードラン大公はアーレムナ砦を放棄して居城であるガーンウィッツに退いた。
また彼の腹心であったヴォルフラム・ブルーンズは反大公軍の追撃を振り切り自領に撤退。
大公救援を諦め守りを固めた。
一方勝利した反大公軍も大きな損害を受けたがこの機を逃してはならないと北進。
無人となったアーレムナ砦を接収し、軍を再編するとレクターの籠城するガーンウィッツに軍を進めるのであった。
ラウレンツ・シェードランの死から始まった二つのシェードランの争いは終わりを迎えようとしているのであった。
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