第64節・川沿いの退路
これは誰かの夢だ。
これは”私”の夢だ。
”私”は丘の上から燃え盛る村を見下ろしていた。
つい先日まで長閑であった村はあっと言う間に地獄と化し、人々の悲鳴が聞こえてくる。
この地獄を作り上げたのは━━”私”だ。
「ジーク、あまり見ないほうが良い。呑まれるぞ」
背後から声を掛けられ、振り返れば短いブロンドヘアーにエメラルドグリーンの瞳を持つ騎士が立っていた。
「オスロックか……。俺たちは正しいことをしているのだろうか?」
オスロックと呼ばれた騎士は”私”の横に立つと首を横に振る。
「分からない。何が正しいのか、正しくないのか。私もここ最近ずっと考えてきた」
オスロック・シェードランはそう言うとため息を吐き「一つだけ確かなことがある」と呟く。
「始めてしまった以上、私たちは歩みを止めることは許されない。どのような犠牲を払ってでも帝国を滅ぼし、大切なものを守り切る。そうだろう? わが友、ジーク・アルヴィリア」
オスロックの言う通りだ。
たとえどのような結末が待っていたとしても”私”は歩み続けなければいけないのだ。
数年前に帝国兵によって村が襲われ、妹以外の家族は全て殺された。
その復讐の為に……大切な妹を守るためにひたすら剣を振るった。
そして気がついたら”英雄”に祭り上げられていた。
一人の男の復讐が反乱へと繋がり、そして今や大戦を引き起こした。
もう後には退けないのだ。
「ジーク! オスロック! ここに居ましたか。済みません……私がついておきながらこのようなことに」
そう言いながらやってきたのはローブを身に纏った細身の男性だ。
茶色い長い髪を後ろで結った男は申し訳なさそうに頭を下げると”私”たちと共に並ぶ。
「まさかダスニアたちがこのような凶行に走るとは。彼とメフィルは帝国に対する憎悪が強すぎます。このような虐殺を繰り返せば我らの大義が失われる」
つい先日、この村の近くで帝国との大規模な戦いがあった。
その戦いには皇帝の弟も参加しており、反乱軍に敗北した彼はこの村に逃げ込んだという情報を得た。
この村はゼダ人の村であり、彼らは当然皇帝の弟を匿った。
”私”は村人たちをどうにか説得し、皇帝の弟を引き渡してもらうようにするつもりだったのだが痺れを切らしたダズニアとメフィルが村を襲撃したのだ。
「セリス……全てが終わったらあの二人を拘束しろ。罪状は……」
「独断専行で、ですね。ただ今彼らを処断するのは不味い。命令無視による暫くの投獄になるかと」
「構わない」と頷くとセリス・オースエンは「兵の準備をします」と去っていく。
まさか味方を拘束しろなんていう指示を出す日が来るとは……。
ダスニアもメフィルもこんなことをする人間では無かったはずだ。
この戦争が彼らを狂気に染めたか……。
いや、彼らだけでは無い。
”私”も狂気に染まり始めているのかもしれない。
「オスロック。お前はこの戦争が終わったらどうしたい?」
「どうした急に? そうだな。私は……お前に着いて行くさ。お前は戦では鬼神の如く強いがどうにも心配になる。お前が新しき世を創る時、私のような男が支えてやらんとな」
「俺は皇帝になりたくはない……と言うのは許されないのだろうな」
オスロックは頷く。
随分と……随分と遠くに来てしまった。
妹を守りたい。
ただそれだけの男が気がつけばいろんなものを背負わされ、そしてついに新しき世まで背負うことになっている。
「では逆に質問しよう。ジーク、お前はこの戦争が終わったらどんな世を作りたい?」
「……そうだな。俺がもし本当に新しき世を創る時が来たならば、その時は━━━━」
※※※
何か、夢を見ていたような気がする。
それが何だったのかは思い出せないがとても古い、体験したことが無いのに懐かしい夢だったような気がする。
目をゆっくりと開けると目の前に見覚えのある顔があった。
水色の派手な髪。
整った美しい顔。
それが微笑みながら「おはよ」と言ってくる。
「……おはよう。あれ? 貴女どうしてここに?」
「エドガー君の指示で文字通り飛んで来たのよねえ。でも美男子王子と一緒だったならこんなに急ぐ必要なかったかも」
エドガーと言う単語にハッとすると慌てて飛び起きた。
その時にメリナローズの額に頭突きをしてしまい、「石頭!?」と叫んで彼女はのたうち回る。
「エドガーたちは無事なの!?」
「う、うん。別れる前は無事だったにゃあ。そっから先は分からないけど多分大丈夫じゃないかな?」
「ルナミア様もそう思うでしょ?」とメリナローズに言われ、私はゆっくりと頷く。
そうだ。
彼らは無事だ。
主人である私がそう信じなくてどうする。
というか私はどのくらい眠っていたのだ!?
「ああ、起きられたのですね。もう日も昇り始めましたし、そろそろ移動しましょうか」
外にいたクリス王子が小屋に入って来てそう言うと私は目を丸くした。
もしかして一晩寝ていたのか!?
「て、敵は?」
そう訊ねるとクリス王子は首を横に振る。
運良く敵に見つからなかったのか?
それとも別の何かがあったのか……。
「偵察隊の報告では近くに敵は一兵も居なかったそうです。あれ程までに執拗に追撃してきた敵が居ないのは気になりますが山を降りるならば今が好機でしょう」
クリス王子の言う通りだ。
敵が周りに居ないうちにこの場を離れ、撤退すべきだ。
どうして敵が居なかったのかは生き残ってから考えれば良い。
クリス王子が「では撤退の指示を出してきます」と小屋を出ていくと私はメリナローズをじっと見つめる。
あの傭兵の男が言っていたことが気になるのだ。
奴は仮面を着けた人物に私の逃げ込む場所を教えられたと言っていた。
「メリナローズ、貴女は……」
「今回のことはアタシも想定外よ。まあ信じてくれなくてもいいけどにゃ」
困ったようにメリナローズは肩を竦めると私は沈黙する。
彼女の言葉を信用していいのかは分からない。
「もし裏切っていたら……分かるわよね」
そう静かに言うとメリナローズは頷いた。
それから口元に笑みを浮かべ、愉快そうに「怖いにゃあ」と言う。
「怖い?」
「ええ、怖い。ルナミア様、自分じゃ気がついていないんでしょうけれども今、とっても怖い顔をしているわよ。そんな顔、リーシェ様に見せられないわねえ」
メリナローズの言葉に私は彼女から顔を逸らした。
一瞬割れた窓に反射して映った私の顔は自分でも驚くくらい冷酷な顔をしていた。
これが……私?
私はいつからこんな顔をするようになってしまった?
「と、とにかく! 裏切っていないのならこれから先、潔白を証明して頂戴」
「難しいことを言うにゃあ」
「みんなを守るために文字通り死ぬ気で戦うこと」
「みんなって、どの”みんな”?」
メリナローズが試すように言ってきたため、私は「私の守りたい”みんな”よ」よ即答した。
するとメリナローズは「りょーかい」と手を軽く振りながら小屋から出ていく。
一人残された私はもう一度割れた窓に映っている自分の顔を見た。
この一日で酷くやつれたような気がする。
このままずっとこんなことが続いたら私はどうなってしまうのだろうか?
「でも歩み続けなければいけない……」
夢の中で誰かがそう言っていたような気がした。
その人物もこうやって己が変わっていくことに恐怖を感じたりしたのだろうか?
「いいえ、私は何も変わっていないわ」
頭を横に振り、余計な考えを追い払う。
そうだ。
私は何も変わっていないしこれからも変わらない。
辺境伯家のルナミアとして私の手で守れる範囲の人々を守り続けて生きていくのだ。
それが父の後を継ぐということでもある。
気合を入れるために己の頬を叩くと「よし!」と頷く。
さあ、撤退だ。
敵が来る前にこの山を降り、必ず無事だと信じている仲間たちと合流しよう。
そう決意しながら私は山小屋から出るのであった。
※※※
ヴォルフラムは味方の受けた損害に眉を顰めざるおえなかった。
突如魔獣が現れ襲撃された。
どうにか倒したものの多くの兵士が死に、辺境伯軍の追撃が不可能になってしまったのだ。
(魔獣の出現。まぐれではあるまい)
あまりにもタイミングが良すぎる。
まるで辺境伯軍を守るかのようにこの化け物は現れたのだ。
「この戦、我々だけの戦では無いということか」
例の”蛇”とやらが裏で暗躍している可能性が高い。
奴らが何を企んでいるのかは分からないが最大限の警戒をすべきだろう。
人の戦は、人の歴史は人の手によって作られなければならない。
女神に与する人外どもの好きにはさせてはならないのだ。
「兎に角、この戦はここまでだ。ルナミア・シェードランを捕らえられなかったのは惜しいが……」
振り返り、整列していた兵士たちを見渡すと鞘から剣を引き抜き天に向かって掲げる。
「勝鬨を上げよ!! この戦、我らの勝利だ!!」
「おおー!!」
兵士たちは拳や武器を振り上げ勝鬨を上げる。
この戦で辺境伯軍は痛手を負った。
別動隊の作戦が失敗したため陽動のため砦に攻撃を仕掛けているであろう反大公軍の本隊も敗走することだろう。
「あともう一押し、か」
一晩で状況は一変した。
攻勢に出ていた敵の動きは止まり、恐らく態勢を立て直すために一時撤退するだろう。
この好機を逃してはならない。
「閣下にこの勝利を伝えろ。そして是が非でも出陣していただくのだ」
伝令にそう伝えると伝令が馬に跨って駆け去っていく。
この敗戦で敵の士気が低下している間に決戦に持ち込む。
次の戦こそがシェードランの運命を決める戦となるだろう。
すっかりと晴れた空を見上げるとこの山から撤退しているルナミア・シェードランの事を思い浮かべる。
(聞こえるか? この勝鬨が。この敗北で貴様はどう動く?)
このまま凡俗の将のように消え去るかそれとも……。
「全軍! 砦に帰還するぞ!!」
そう号令を出すとブルーンズ軍は勝利に高揚しながらアーレムナ砦へと帰還を開始するのであった。
※※※
山を下りながら何かが遠くから聞こえて来たような気がした。
(……勝鬨、かしら)
なぜかそう思った。
きっとヴォルフラム・ブルーンズの軍が私たちに勝利して勝鬨を上げているのだろう。
腹の奥底から沸いてくるこの怒りは敵に対するものかそれとも自分の無力さに対するものか。
とにかくこのまま終わるつもりはない。
私が味わった敗北の数倍を敵に返してやる。
そう決意しながら私はクリス王子の軍と共に川に沿って進み、下山をしようとしていた。
捕虜にした傭兵の話ならばこのまま進み続ければあの村の近くまでたどり着けるはずだ。
後ろを振り返ると捕虜にした傭兵は縄に繋が騎士たちに連行されている。
「彼のことが気になりますか?」
そう隣を歩いているクリス王子に訊かれ頷く。
「ええ、まあ、昨日のことを考えたら気にはなります。主に悪い意味でですけれども」
「辺境伯を襲った彼らの罪は重い。本隊に合流した後、改めて裁きにかけますが恐らく死罪となるでしょう」
「そう、ですか……」
私を襲ったクソ野郎だが死罪になると聞いても嬉しくは思えない。
かと言って悲しかったり不快感を感じているわけではなく、なんだろうか、この感覚は……。
「深くは考えないことです。罪人が罰せられる。ただそれだけ」
クリス王子のなんとも言えない表情に私は頷きを返した。
上に立つものは人の命をどう扱うのかも決断しなければいけない。
嘗てラウレンツ叔父様は指導者とは清濁併せ呑むものだと言っていた。
あの時の私は彼の言葉に反発したが、今ならば少し分かるかもしれない。
(……仕方ないという言葉がこんなにも重いものなんてね)
いずれ私も”仕方ない”という言葉で大切なものを切る捨てる日が来てしまうのだろうか?
いや、それは無い。
それはあってはならない筈だ。
得体のしれない不安に胸が少し苦しくなる。
こんな事を考えてしまうのは全て逸れてしまった別働隊の安否がわからないからだ。
早く彼らが無事であることをこの目で見たい。
そう思っていると近くの木の枝が揺れたような気がした。
「王子!!」
警戒し身構えた瞬間、森の中から矢が放たれた。
矢は捕虜だった傭兵の首に命中し、傭兵は口から血を吹き出しながら倒れる。
護衛の騎士たちが即座に私とクリス王子を守るように陣形を組み、警戒するが敵に動きは無かった。
騎士たちは目配せをし合うと何人かが森の中に入っていく。
そして暫く待つと森に入った騎士たちが戻ってきた。
「……逃げたようです」
私はその言葉に頷くと撃たれた傭兵を見る。
傭兵の近くにいた騎士が首を横に振り、傭兵が死んだことを知るとクリス王子は「口封じ……ですか」と眉を顰める。
「とりあえずアタシは疑いが晴れるまで拘束された方が良い?」
メリナローズが自分の手に魔力の鎖を巻き付けたため私は首を横に振る。
今は兎に角この場を離れるべきだ。
先ほど矢を撃ってきたのがもしブルーンズ家の兵士ならば援軍を呼ばれた可能性もある。
クリス王子と頷き合い、「行きましょう」と言うと私たちは死んだ傭兵を置いて歩き始める。
そして私たちは三時間程進み続け、山の麓までどうにか撤退することに成功したのであった。
※※※
山の麓の村に到着したクルーべ侯爵はすぐに村人たちの拘束を始めた。
村人全員が裏切っているとは思ってはいない。
だが万が一を考え、彼らがこれ以上裏切るつもりがないと分かるまでは捕らえるしかないのだ。
「村に敵兵の伏兵などは居ませんでした。現在、偵察隊が周囲の状況を確認しています。またご指示の通り伝令を本隊に向けて出しました」
騎士の言葉にクルーべ侯爵は頷くと村の広場に集められた村人たちを見る。
皆、怯え切った表情をしている。
兵士たちには絶対に村人に手を出すなと厳命しているが多くのものは裏切った彼らに対して怒りを感じているだろう。
「辺境伯軍は?」
「撤退を終えた兵士たちは休んでおります。殿は……まだですが……」
殿は敵の激しい追撃を受け続けたはずだ。
少しでも多くの兵士が生き延びてくれていればいいが……。
敵の襲撃を受け、逸れたクリス王子も心配だ。
もしこの戦いでルナミア・シェードランとクリス・アルヴィリアを失えば反大公軍は一気に瓦解してしまう可能性が高い。
「殿だあ!! 殿が帰ってきたぞお!!」
山の方から殿の部隊が現れたのが見えた。
兵士たちは歓声を上げ、殿を出迎える。
殿の兵士たちは皆疲れ切っていたが味方を見ると歓喜し、互いの肩を抱きながら手を振っている。
(……よくぞ生き残った!)
戦には負けたが多くの兵が撤退に成功したのは不幸中の幸いである。
あとは……。
「山に偵察隊を出せ! 必ずルナミア殿とクリス王子を見つけ出すのだ!!」
指示を出すと軽装の兵士たちが一斉に動き出す。
ルナミアとクリス王子が戻れば反大公軍は立て直せる。
二人の無事を祈り、歓迎の抱擁を受けている殿の部隊の方へと向かうのであった。
※※※
「ぐわっはっはっは! 迷った!!」
森の中、先頭を歩いていたゲルデロートが腰に手を当てて大笑いするとエルは思わずその場にしゃがみ込んでしまった。
昨日一晩ルナミア達を探すために歩き続けた。
ゲルデロートが自信ありげに進み続けていたため不安を感じつつもついて行っていたのだが……。
「なんかもう一歩も歩けなくなりそうですわ」
「そう落ち込むな! こういう時は冷静に、諦めなければどうにかなるというものよ」
いや、まあそうかもしれないが無暗に歩き続けていたら更に遭難するのでは無いだろうか?
最初は味方の死体を追って歩いていたがここ数時間、味方の死体を全く見ない。
ルナミアたちと違う方向に来てしまったのかそれとも彼女たちが無事に逃げ切ったのか……。
(後者だと信じてはいますが……)
ふと耳を澄ませば何かが聞こえた。
この音、水の流れる音だろうか?
立ち上がり、道を逸れて茂みに入ると川が見えた。
もしかして川の流れに従って歩けば麓まで行けるのではないだろうか?
「あら? これは?」
近くの木の枝に何かが引っ掛かっているのが見えた。
これは……布だろうか?
青く染められた布だ。
騎士のマントの一部のようにも見えるが味方か敵か、どちらかの騎士がここに居たのだろうか?
もう一度川の方を見てみると誰かが倒れているのが見えた。
ゲルデロートたちを呼ぶと川の方まで移動し、倒れていた人物に近づく。
装備からして傭兵のようだ。
首に矢が突き刺さり、絶命している。
また手は縄で縛られておりどうやら連行中に殺されたようだ。
「ほう? 足跡が多くあるな。これは味方のものか、それとも敵か……。行ってみるか?」
ゲルデロートの言葉に頷く。
足跡は川の流れに沿って続いている。
この足跡を残した一団も下山しようとしているのだろう。
だとするとルナミア達の可能性が高い。
「冷静に、諦めなければどうにかなりそうですわね」
「うむ。そう言うものなのだ」
ゲルデロートと共に笑うと歩き出す。
早く皆の顔を見たい。
きっとエドガー副団長たちならば生き延びて麓で待ってくれているだろう。
そう希望を抱きながら棒のようになった脚に気合を入れ、味方と共に進み続けるのであった。
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