第60節・雨中の山越え


「山越え、ですの?」


 軍議が終わった後、ルナミアから召集を受けて辺境伯軍の主だった将は砦のすぐ隣に設営された辺境伯軍の本陣にある大きなテントに集まっていた。


「ええ、ノスの山を越えるわ。そして霧を利用し大公軍のフリをして砦に入り込む」


 それはまた大胆な策だ。

無事に山を越えられたとしても退路の無い戦いをすることになる。


「登山! やって見たかったんですよ!!」


 クロエははしゃいでいるが自分は気が重い。

ルナミアの話では明日の早朝から山を登り、翌日の夜明けまでには山越えを完了させる。

ノスの山は険しく、そして早朝に砦を攻めるとなると夜の山道を行軍する可能性もあるだろう。


「奇襲ということならば夜行軍する際の灯りも最低限。山道で脱落者が多数でるかもしれませんわね」


 私がそう言うとルナミアは「承知の上だ」と頷いた。


「エルの言う通り無傷で山越えは出来ないでしょう。でも無策でアーレムナ砦に攻め寄ったら甚大な被害がでるわ」


 より犠牲が少なく、そして勝算が高い策を選ぶ。

頭では理解しているがやはりリスクを考えると気が乗らない。

夜の山道も当然危険だが敵に待ち伏せを受けていた時、逃げ場が無く殲滅される恐れがあるのだ。


「先鋒はアタシたちが担当するわ」


 アーダルベルトがそう言うとルナミアは「危険よ?」と心配そうな表情を浮かべる。


「当然理解しているわ。だから変えのきく傭兵であるアタシたちが先鋒を受け持つ。合理的でしょ?」


「……私はアーちゃんさん達を変えのきく駒だとは思っていません。でも……頼みます」


 頭を下げるルナミアに対してアーダルベルトは「ほら、暗い顔しないの!」と笑顔で励ました瞬間、「ならば俺も先鋒に加えてくれ!!」と若い男が大股でテントに入って来る。


「ラ、ランスロー卿? どうしてここに?」


「いやすまぬ! 立ち聞きをするつもりは無かったのだがそこの御人の話が聞こえ感激した! 共に正義の為に戦おうではないか!」


(やかましい……)


 人の二倍くらいの声で喋っているため長い耳がピクピクと動いてしまう。

フランツから少し距離を取っているとルナミアが困ったような表情を浮かべる。


「もともと別動隊に加わるつもりだったのだ! 既にバードン伯爵の許可も得ている!!」


 「そういうことなら……」とルナミアは頷き、先ほどからテントの隅で本を読んでいるフェリアセンシアの方を見る。


「フェリアセンシア。貴女、私たちの中ではランスロー卿と付き合いが一番長いから彼の補佐をお願いね」


「え?」


「さて、次の議題だけれども山越えにあたって重装歩兵隊をどうするかね」


 表情で猛抗議しているフェリアセンシアを無視しながらルナミアがそう言うとクロエが首を傾げた。


「重装歩兵隊ですかあ? なにか問題ありましたっけ?」


「あんな重装備で山道を進むのは無理がある。脱いで運ぶのも苦労するでしょうし今回はみんな普通の鎧を着てもらうわ」


「えー? 鎧来てもたぶん大丈夫ですよ? ウチは」


「いや、そりゃ貴女は大丈夫ですわね」


 だが他は山で脱落するか山を越えられても疲弊して使い物にならなくなるだろう。

クロエはまだ納得していないようだがルナミアが「とにかくクロエ以外は普通の鎧を着せること」と指示を出す。

というかクロエはあの鎧でいいのか……。


「さて、副団長さん。他に何か言っておくことはあるかしら?」


 ルナミアがそう言うとエドガーがノスの山の地図を見ながら「そうですね……」と顎に指を添える。


「迅速に且つ安全に山を越えるため物資は最低限にすべきでしょう。兵糧も短期決戦のため三日……いえ、四日分あればいいかと」


 一日で山を越え、翌日にはアーレムナ砦を攻略する。

戦いは恐らく短期決戦になるため身軽でいるべきだというのがエドガーの考えだ。

自分もエドガーに賛同するとルナミアは頷きガンツ兵士長に「すぐに準備を始めてちょうだい」と言う。


「さて、話は終わりよ。明日の夜明け前に出陣する。厳しい行軍になるでしょうけれども気を引き締め無事に乗り越えましょう」


 ルナミアの言葉に私たちは頷き、一斉に動き始めるのであった。


※※※


 テントから出ると何となく空を一羽の鳩が飛び去っていくのが目に留まった。

どこか近くの木に止まっていたのだろうか?

鳩は平和の象徴である。

それが戦の前に目に留まったのは吉兆かそれとも凶兆か。


「軍議終わったのかにゃあ?」


 テントの近くに置いてあった木箱の上に座っていたメリナローズがエールが入ったジョッキを片手に声を掛けてきたため「ええ、終わりましたわ」と頷く。


「貴女、もしかしてずっと飲んでいましたの?」


「だってー、エドガー君が軍議に参加させてくれないし暇だからルナミア様の兵士たちと飲んで踊っていたら変な連中に絡まれたしー」


 「変な連中?」と首を傾げると「たぶん他の貴族の兵士だにゃあ」とメリナローズが苦笑する。


「こっちに来て俺たちに酒を注げだの、体を勝手に触ってくるだのでムカついたから逃げてきたのよねぇ。確かにアタシはそういう仕事をしている女よ? でも許可の無いお触りは厳禁。エドガー君にアイツら叱ってって言ったら『そう言う隙を見せているお前が悪い』って冷たくあしらわれたにゃあ。グスン」


 嘘無きをするメリナローズに呆れていると彼女は「あ、飲む?」とジョッキを差し出してくる。

非常に魅力的な誘いだが流石にこれから出陣なので遠慮した。

メリナローズは「それじゃあ」と一気にエールを飲み干し、「ぷっはあ!」と笑みを浮かべる。

ううむ……飲みたくなってくる……。


「出陣前に酔っぱらっても介抱しませんわよ」


「大丈夫大丈夫。この程度では酔わないにゃあ。エルちゃんもお酒強そうだし今度飲み比べしようよ」


「……ちゃん。ええ、まあ飲み比べは良いですけれどもまずは次の戦を生き残らないといけませんわね」


「それはご安心。ルナミア様は次も勝つから。いや、勝ってもらわなきゃ困る」


 「それはどういう意味だ」と言うとメリナローズは「さて、どういう意味でしょう?」と口元に笑みを浮かべる。


 この女、本当に考えていることが分からない。

気を許すべき相手では無い筈だが今のところ敵でもない。

彼女に対してどう対応すればいいのか、きっと他の連中も悩んでいることだろう。


「……貴女、面倒くさい女ですわね」


「女は面倒な方が魅力的だにゃ。そしてミステリアスな女も男を惹き付ける」


「惹き付けられていない男もいるようですけれども?」


 「耳がイタタタ」とメリナローズは苦笑すると私は肩を竦める。

まあ何にせよ今のところ味方をしてくれているのなら次の戦いでも活躍してもらうとしよう。

今は猫の手も借りたいくらいなのだから。


 メリナローズにあまり飲み過ぎないように注意すると弓兵隊が控えている場所に向かおうと歩き始める。

「また後でねー」という暢気な声を聞きながら次の戦を無事乗り越えられるよう気持ちを引き締めなおすのであった。

 

※※※


 タールコン平原北部。

ノスの山とヴォイの山に挟まれた平原の出口とも言える場所にアーレムナ砦は存在していた。

エスニア大戦時に建築されたこの砦は反帝国軍の拠点となり、幾たびも戦場となった。

圧倒的な戦力を所有するヴェルガ帝国の軍に対してアルヴィリア建国の祖の一人であるルクムンド・シェードランはこの砦の堅牢さと将兵の勇猛さによって奮戦し、何度も撃退していたという。


 そんな砦の胸壁からタールコン平原を眺めている男が居た。


 ヴォルフラム・ブルーンズ。

小領主から今やレクター大公の参謀にまで登り詰めた男。

そんなヴォルフラムは遠く、反大公軍が居るであろう方角を見つめる。


 つい数日前までは大公軍が反大公軍に対して優勢であった。

だがベルファの町で敗北してから一気に立場が逆転した。

もう間もなく数万の反大公軍がこの砦に押し寄せてくるだろう。

それに対して此方の戦力は五千程だ。

この砦が堅牢であったとしてもこのままでは苦戦は免れないだろう。


(戦とは実に面白いものだな)


 綿密に練り、万全に備えたとしても一つ歯車が狂っただけで全てが崩れ去る。

”絶対”というものが無いのが戦なのだ。

そしてそれは反大公軍にも言えること。

この戦い、大公軍が勝つか反大公軍が勝つかは女神のみぞ知る。

だが死力を尽くさなかったものに女神は微笑まない。


「それにしても閣下は動かぬ、か」


 アーレムナ砦を巡る戦いは大公家の未来を決める重要な一戦になる。

だというのにレクター・シェードラン大公はガーンウィッツから動かないのだ。

いや、動けないと言うべきか。


 クリス王子の再蜂起は予想外であった。

そしてそれに大公側の幾つもの貴族が呼応した。

レクター大公はこれ以上の裏切りを恐れているのだ。

自分が居城から離れた隙に誰かが背後から襲って来るのではないか。

ガーンウィッツを奪われるのではないかと怯えている。


(……実に惜しい)


 正直に言うと自分はレクター・シェードランという男を嫌ってはいない。

頭はそこそこ切れるし古い体制を壊すことに躊躇いがない。

レクターが大公になってから税制などを改革し大公家の財政をある程度立て直すことに成功している。


 だがあの男は歪み過ぎていた。

劣等感と周囲への恐れ。

そしてそれを隠すための凶暴さ。

あの男は自分自身を含めたあらゆるものへの敵意で動いている。

いずれはその敵意で己の身を亡ぼすであろう。


 さてではもう一方のシェードランはどうであろうか?

ルナミア・シェードランは非凡な存在である。

正当なるアルヴィリアの子孫であり、シェードランでもある。

ベールン会戦で見せた姿はまさしく”英雄”であった。

だが彼女の望みは父より受け継いだ故郷を守るということだけ。

この国を”新しくする”などということは当然考えていないであろう。

今はまだ。


 レクターとルナミア。

同じシェードランでありながら正反対の存在。

歴史はどちらを選ぶのか。

そしてそれを知るまで自分は生き残っているか。


「それを今考えても仕方のないことだな」


 まずは敵を迎え撃ち、勝利する。

此方の兵力は敵に劣るが一か月以上は敵の攻撃に耐えられるであろう。

その間にどうにかレクター大公に出陣してもらい、反大公軍と決戦を行う。

此方が優勢だという使者を毎日送り続ければレクターも重い腰を上げるだろう。


「ヴォルフラム様」


 後ろから声を掛けれら、振り返ると頭からフードを被った男が立っていた。

この男はブルーンズ家に仕える間者だ。

間者はしわがれた声で「”鳩”よりご報告が」と小さな紙を此方に手渡す。


「…………」


 紙に書かれていたことを読むと口元に笑みが浮かぶ。

奴らめ、なかなか面白い策を考えていたようだ。

これをやられていたら窮地に追い込まれていたかもしれない。


「これは確かか?」


 そう訊ねると間者は無言で頷く。

この者らが嘘をつくことは無い。

ならば━━。


(まさしく歯車が狂った、だ)


 上手くいけばレクター大公が出陣せずとも反大公軍を崩壊させられるかもしれない。


「誰かいるか!!」


「は!」


 胸壁にいた騎士が駆けつけてくるとすぐに出陣の準備をするように伝える。

騎士は籠城しないのかと戸惑うが「勝機を得た」と紙を見せる。


「!!」


 紙の内容を見た騎士はハッとし慌てて頭を下げると駆け去って行く。

騎士が見えなくなるともう一度南の方角を見つめ、次の策のことを考える始めるのであった。


※※※


 翌日。

日が昇る前に反大公軍はイサの砦から出陣した。

シェードラン領で最も広い平原を進み続け、日が昇り始めた頃には辺りは深い霧で覆われていた。

数メートル先も見えないほどの深い霧の中、反大公軍は迅速に進軍しアーレムナ砦まで中程で別動隊は本隊と別れる。


 霧が晴れる前にノスの山の麓にある村まで辿り着くと村人たちから歓迎を受けた。

村長が歓迎の宴を開きたいと申し出てきたが急ぎ山を越えなければいけないことを説明し、村で少し休んだ後に山に詳しい村人を案内人として加え別動隊は登山を開始した。


 山道は狭いため隊列は細長くなり先頭を辺境伯軍が、その後ろにクルーべ侯爵軍、そして最後尾にクリス王子の軍が進むことになる。


 案内人の話ではノスの山には大きな山道の他にも細い脇道が多くあり、地元の人間以外がこの山に足を踏み入れたらたちまち遭難してしまうだろうと言う。

実際山道を進んでみると辺りは深い森に覆われ自分たちの位置などすぐに分からなくなる。

これでは目的の道から一度でもそれたらもう二度と目的地に辿り着けなくなるだろう。


 暫く行軍していると崖沿いを進むようになり、崖下を見ると暗い森に吸い込まれそうになる。


「うぉ!?」


 近くを歩いていた兵士が足を踏み外しかけ、慌てて道の真ん中に移動する。


「気を抜いていると転げ落ちるわよ」


 馬の上から兵士にそう言うと「す、すいません」と兵士は頭を下げる。

今はまだ明るいからいいが夜になったら本当に滑落する者が続出するだろう。

どうにか日が昇っている内に山の反対側に抜けたいが……。


「……?」


 頭に何かが当たった。


 雨だ。

雨がポツリポツリと降り始め、どんどん強くなっていく。


「マジかよ……」


 空はすっかり暗くなり、雨脚が強くなったため外套を羽織る。

登山をして早々雨に降られてしまった。

兵士たちが動揺するのも無理はない。

非常に幸先が悪いと言えるだろう。


「足元に注意して行軍しなさい! なるべく崖の端には寄らず地面の固いところを歩くように!」


 私の指示を受け兵士たちが崖の反対側に寄りながら慎重に行軍を続ける。

その様子を確認してから後方を見た。

クリス王子は大丈夫だろうか?

彼はあまり体が強くないはずだ。

雨の中の行軍で体調を崩さなければいいが……。


(人の心配をしている場合じゃないわね)


 余計なことを考えていると自分が馬ごと足を踏み外すかもしれない。

気を引き締め手綱を強く握りなおすと前方を向いて進み続けるのであった。


※※※


 昼を過ぎた頃、別動隊はどうにか山の反対側まで辿り着くことができた。

今のところ脱落者は出ておらず、このペースならば夜までに麓に降りられるかもしれない。


(なんて油断してはいけませんわね)


 エルは外套のフードを被り直し地面の感触を確かめながら歩き続ける。

山は下山の方が危険だとも聞く。

雨のせいで地面はすっかりぬかるんでおり、時折足を滑らせそうになる。

それに体が濡れることにより寒さで体力も奪われているのが分かる。


「あー、もう、下着までビショビショ。早く服を乾かしたいにゃあ……」


 前方を歩いているメリナローズがそう言い、少し外套を指で摘まんで広げると肌にぴったりと張り付いた服が見える。

それに何人かの兵士が鼻の下を伸ばしてメリナローズを見ていたため、「こほん」とわざと咳をして注意する。


「そういう悪戯をするのは止めなさいな。誰か足を滑らせたらどうしますの」


「その時はちゃんとメリナちゃんが鎖でフォローするからだいじょ……うわ!?」


 メリナローズが滑った。

前のめりになりぬかるんだ地面に突っ伏しそうになるとエドガ―が馬の上から彼女の腕を掴む。


「前見て歩け」


「う、うん。ごめん」


 エドガーが腕を離すとメリナローズは困ったような笑みを浮かべて頭を掻く。


(どうなんでしょうかね……?)


 メリナローズは度々エドガーに”好意”を向けているような言動をする。

それが演技なのか本心なのか?

それとも演技をしているつもりが本心となっているのか?

気になるところではあるがまさか面と向かって『エドガー副団長のことどう思っていますの?』なんて訊けない。

仮に訊いたとしてもメリナローズのことだ上手くはぐらかすだろう。


「でももし本当にそうならば……彼女は……」


「ん? エルちゃん何か言った?」


「いいえ、なんでもありませんわ」


 首を横に振り前を向いて歩く。

崖のような地点を抜けたため滑落することは無くなったが先ほどのメリナローズのように足を滑らせて転ぶ危険性がある。

泥に突っ伏すなんて無様なことをしたくないので集中して歩いて……。


「?」


 何か、聞こえた気がした。

雨が地面や木の葉を打つのとは違う音。

小さく、ギリギリという何かを引くような音。

この音は……知っている。

良く聞く音。

自分が背中に背負っている大弓と同じ━━。


「━━まさか!! クロエ!!」


 そう叫んだ瞬間、木の影からルナミア目掛け矢が放たれるのであった。

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