第59節・昼下がりの軍議
兵糧のチェックをある程度終わらせるとダニエル子爵が「少し休みたまえ」と休憩を促してくれた。
お言葉に甘えてすこし砦を散歩することにするとすぐに賑やかな一角が目に入った。
メリナローズだ。
彼女が兵士たちの前で踊り、兵士たちは大盛り上がりになっている。
兵士たちの士気が上がることは良いことだがあまり羽目を外し過ぎないように後で釘を刺しておこう。
砦の厩の方に向かってみるとクロエが誰かと話しているのが見えた。
まるで熊のような後姿の大男。
あれはクルーべ侯爵の家臣、ゲルデロートだ。
小栗鼠のようなクロエと大熊のようなゲルデロートは近くに置いてあった樽を担ぐと突然スクワットを始める。
「……いったい何をしてるんだ?」
思わずそう呟くとゲルデロートが此方に気が付いた。
「おお!! そこにッ、おられるッ、はッ、副団長ッ、どのッ、かッ!」
「あ、ああ。エドガーです。何をしておられるので……?」
そう訊ねるとスクワットをしながらクロエが笑顔で答えた。
「鍛錬ッ、ですッ!! ゲルデロートさんにッ、どうやったらッ、もっと強くッ、なれるかッ、聞きましてッ! まずはッ、身体づくりからッ、だとッ!!」
「お、おう。そうか……」
二人が担いでるのは水が満タンに入った大きな樽だ。
それを担ぎながらスクワットできるならもう身体づくりをする必要は無いのではないだろうか……。
「あの時ッ、命をッ、助けていただいきッ! さらにッ、我が主ッ、も反大公軍に加わったッ、のでッ、ワシにできることはッ、なんでもやらせてもらうぞッ!!」
クルーべ侯爵が反大公軍に加わったのは数日前だ。
コーンゴルドの戦い以降クルーべ侯爵家は反大公軍との戦いに消極的になっていた。
そしてクリス王子が蜂起するとクルーべ侯爵は早々にレクター大公との決別を宣言。
クリス王子を連れて反大公軍に合流したのである。
「副団長もッ、ご一緒にッ、どうですかッ!!」
「いや、俺はいい。休憩しに来たのに疲れちゃ意味がない」
「そうですかッ!!」とクロエは言うとスクワットの速度を上げた。
それにゲルデロートは豪快に笑うと彼も速度を上げる。
暑苦しい。
冬だというのにここだけ夏のような感覚に陥る。
(そ、そっとしておこう……)
「それじゃあ」と言うと踵を返す。
背後から二人の「今度は一緒にやりましょう!!」と言う声が聞こえたが無視しよう。
あんな訓練、とてもじゃないが自分には無理だ。
というか本当にクロエはあの小さな体のどこにあれだけの力があるのやら……。
暑苦しい二人から逃げるように門の方に向かうと「こ、困ります!!」という声が聞こえてきた。
何事かと声の方に向かってみれば大きな木箱を担いだフランツ・ランスローが兵士に止められているところであった。
「ランスロー卿のような方がこのようなことをするなど!! わ、私たちが運びますので!!」
「いやいや!! 人助けに貴賤は無し!! どんと俺に任せておけ!!」
笑いながら兵士を押しのけて進もうとするフランツに「どうしたんだ?」と声を掛けるとフランツは「おお!」と此方に近づいてきた。
「エドガー殿か!! いやなに! 兵士たちが武具の運搬に苦労していたからなっ! 俺が手伝っているのだっ!! これも正義の行いだ!」
「そうなのか?」と先ほどの兵士に訊ねると彼は困ったように頷く。
フランツの父親、クリストフ・ランスローは将兵から崇拝されていた人だった。
その息子であるフランツに手伝いをさせるのは心苦しいのだろう。
「フランツ殿、確かに手伝いは良いことです。でも彼らの仕事を奪うのは如何なものでしょうか? 彼らはこの仕事を誇りと責任を持ってやっている。彼らから頼まれたのならともかく勝手に手伝うのは良くないのでは?」
「だよな?」と兵士に言うと兵士は慌てて頷いた。
「うーむ……。確かにそう言われるとそうだ。エドガー殿、感謝する!! 俺は正義では無いことをしようとしてたようだ!!」
フランツは「すまなかった!!」と言うと兵士に木箱を渡す。
木箱は相当重いのか受け取った兵士は引きつった笑みで「あ、ありがとうございます」と言うとまるで生まれたての小鹿のような歩き方をしながら去っていく。
やっぱり手伝ってもらったほうが良かったのではないだろうか……。
「それにしてもフランツ殿。故郷に帰られなくても良かったのですか?」
そう訊ねるとフランツは「ん?」と首を傾げてから力強く頷いた。
「確かに故郷のことは心配であるが反大公軍に味方せず帰れば父上に申し訳が立たないからな!」
ランスロー家はガーンウィッツの直ぐ近くに屋敷と小さな村を持っていた。
だがクリストフ・ランスローがレクター大公らに討たれるとランスロー家の領地はブルーンズ家に支配され、ランスローの一族は半ば人質のような扱いとなっている。
フランツは明るく振舞っているが内心は家族が心配だろう。
「必ずご家族を助け出しましょう」
そう言うとフランツは「エドガー殿……」と目を大きく開き、それから感激したというように力強く頷いた。
「エドガー殿! いや! エドガー!! お前を友と呼ばせていただきたい!!」
「へ? ああ、その、構わないですが……」
唐突な提案だがフランツとは年齢が近い。
ランスロー家の若き当主と交友関係を持つのは悪くないだろう。
「ならば敬語を使う必要はないぞ!! 俺たちは同じ正義の下で戦う友なのだからな!!」
流石に辺境伯家の騎士がランスロー家の当主にため口は不味い気がするがフランツは言っても納得しなさそうなので「分かった」と頷くことにした。
「他の貴族が居ないところでだけだぞ」
「それはそうだな! 俺もルナミア殿に迷惑を掛けるつもりはない!」
「それと、声はもっと小さく頼む」
さっきから周りの人々が此方に注目している。
フランツはキョトンとすると大声で笑い、「承知した!!」と頷いた。
そんな彼にため息を吐くと軍議が行われている砦の方を見るのであった。
※※※
軍議の間には反大公軍の主要な将が集まっていた。
円卓の上座にはクリス王子が座り、その横にはバードン伯爵が居る。
私は先ほどと同じクリス王子と向かい合う席に座り、両隣にはダニエル子爵と老齢のクルーべ侯爵が座っている。
円卓の中央にはシェードラン領の地図が広げられており、その上に幾つかのチェスの駒が置かれていた。
「さて、皆も知っての通り我らの最終目的はガーンウィッツを攻略しレクター大公を捉えることだ。その為にはまずアーレムナ砦を攻略する必要がある」
アーレムナ砦はタールコン平原北部に存在しており平原の出口とも言える場所である。
砦は険しい山と山の間、谷のようになっている場所に建築されており正面からしか攻撃ができないため苦戦は必須だろう。
また砦自体も二重の城壁に覆われており、非常に堅牢である。
「アーレムナを攻め落とすのは難しい。迂回するという手もあるが?」
クルーべ侯爵の言葉にバードン伯爵は首を横に振る。
「砦を迂回するということはノスの山を迂回するということ。それでは行軍が大幅に遅れるであろう」
反大公軍は急いでガーンウィッツを攻める必要があった。
レクター大公と同盟を結んでいる王家やメフィル家は現在領内で起きている問題の対応に追われ、従兄に援軍を遅れない。
反大公軍がこの好機を逃せばベルファの町での戦いのように王家やメフィルが援軍を送り込み大公軍の戦力は増強されてしまう。
そうなればクリス王子の軍や離反した諸侯の軍と合流したお陰でようやく大公軍に拮抗する程度の戦力である反大公軍では勝ち目が無いだろう。
「ですが力押しは反対です。クルーべ侯爵が仰ったようにアーレムナ砦は堅牢。仮に正面から攻めて砦を落とせたとしても多くの将兵が失われることになる」
私がそう言うと諸侯は「ううむ」と唸った。
アーレムナ砦の戦いで大損害を被ればレクターが籠もるガーンウィッツを落とせなくなるだろう。
「地形から砦を包囲するのも難しい。かといって正面からの攻撃は危険すぎる。厄介な砦だな……」
バードン伯爵が顎鬚を摩りながら眉を顰めるとクリス王子が手を上げ、地図を指さした。
「ノスの山を越えて砦の背後に出るのはどうでしょうか?」
「王子、ノスは険しい山。行軍には適しませぬ。何か山道のようなものがあるのならば別ですが……」
「その山道があるとしたら?」
クリス王子の提案にバードン伯爵は「ふむ?」と首を傾げた。
「ノスの山には地元の人間しか知らない山道が存在します。それを使えば敵に気付かれずに砦の背後に回り込めます」
「そのようなことをどうして王子がご存じなので?」
訝しむバードン伯爵に対してクリス王子は自信ありげな笑みを浮かべると「僕が今までどのようにして生き残ってこれたと思いますか?」と言う。
「僕は父や兄のように戦場で戦えるような強さは無い。むしろ生まれつき体が弱い虚弱な男です。でもそんな僕でも屈強な敵と戦う術がある。それは情報です」
クリス王子は”情報”こそが弱者が強者に勝つ手段だと言った。
剣で勝てないのならば敵が剣を抜けないようにすればいい。
敵が圧倒的な兵力で攻めて来るながら敵の軍容を、策を知り、少数でも勝てる条件を整えればいい。
「まあ、これは全てセルファースからの受け売りですが……。とにかく、僕は事前にアーレムナ砦周辺を配下の者に調べさせ、ノスの山の麓にある村を見つけました。そしてその村人から山道のことを知ったのです」
暴政を敷くレクター大公は民から嫌われている。
レクターを倒すと言ったら村人たちは快く協力してくれたそうだ。
「とはいえ問題はあります。まず山道は細く、大軍が移動することができません。それに正面から攻めて来るはずの反大公軍が消えたら敵将のヴォルフラム・ブルーンズは警戒するでしょう」
それは間違いない。
ヴォルフラムは賢い男だ。
此方の動きに妙なところがあればすぐに探ってくるだろう。
もし反大公軍の動きを察知し、山道で奇襲を受けたらひとたまりもない。
「……なにか此方の動きを見られない方法があればいいのですがな」
軍議に参加していたクルギス伯爵がそう呟くと私は今朝のことを思い出す。
この時期のタールコン平原は朝に濃霧が発生する。
この霧を上手く利用できないだろうか……。
「それに砦を挟撃出来たとしても二重の城壁が厄介ですな。一つでも壁を越えて内側に入り込めれば勝機もありますが……」
(……内側、か)
ダニエル子爵の言葉に一つ策が思いついた。
先ほどの濃霧を利用すればもしかしたら内側からアーレムナ砦を攻撃できるかもしれない。
「一つ、策が思いつきました」
私が立ち上がるとバードン伯爵が頷く。
それに頷きを返すと地図の上に置いてある白いチェスの駒たちをアーレムナ砦の前に置き、そのあと別の駒をアーレムナ砦西のレムの山の麓に置いた。
「まず軍を二つに分けます。一つは砦に正面から圧を掛けるための本隊。もう一つは山を越え砦の背後に回り込む別動隊です。山を越え、砦の反対側に出た後に大公軍を扮して砦に近づく」
私の言葉にバードン伯爵は目を細め、諸侯は騒めく。
「大公家の旗を掲げ、霧の中ならば間近でなければ敵か味方かは分からない。更に本体が砦に攻撃を仕掛けていれば……」
「敵は援軍を慌てて砦に引き入れると」
そして砦の中に入った後は内側から攻撃を行い、本隊を砦に引き入れる。
「……確かに上手くいけば有効な作戦だ。だがあまりにも危険すぎる。もし敵に正体を見破られた場合孤立している別動隊は殲滅される危険性がある。誰がそんな別動隊を率いるのか━━」
「当然私がやります」
そう言うと軍議の間は静まり返った。
危険なのは重々承知だ。
だがやらねばあの砦は落とせない。
「他にやりたい方が居るのであれば譲りますが?」
私が軍議の間にいる諸侯を見渡すと皆目を逸らす。
当然だ。
こんなことやりたがる奴は居ない。
というか自分で提案していておいてなんだが私も兵を危険に晒すことはしたくない。
「……ならば僕も同行しましょう」
「な!?」
クリス王子だ。
クリス王子が微笑みながら挙手をするとその場にいた全員が驚愕した。
私も慌てて首を横に振った。
「自分の立場のことはちゃんと理解しています。僕と共に行動する兵は数こそ少ないですが皆精鋭。別動隊は優れた兵士たちで構成すべきでしょう」
「な、ならば王子だけでも本隊に残ってください。王子の身に何かあれば……」
クリス王子は私の説得を遮って首を横に振った。
そして真剣な眼差しで此方を見つめてくる。
「この戦いに勝てなければきっと僕はもう絶対に兄上に勝てない。ルナミアさん、バードン伯爵。アーレムナ砦を巡る戦いはこの内戦の未来を決める重要な一戦。必勝の覚悟で挑まなけれならないと僕は思っています」
長い沈黙が訪れた。
皆、この戦いが重要であることは口には出さないが理解していた。
これまでの小競り合いとはわけが違う。
シェードラン大公家の喉元に刃を突き立てるか、逆に絶望的な状況に追い込まれるかを決める岐路だ。
「……分かりました。王子の仰ることはごもっともだ。この一戦、必ず勝たなければならない。王子が覚悟を決められているのであれば我らもそれに従いましょう」
「ルナミア嬢もそれで良いか?」とバードン伯爵が訪ねてきたため、私はやや躊躇ってから頷いた。
「では別動隊はクリス王子の軍に辺境伯軍、それから……」
「我らが行こう」
クルーべ侯爵が挙手をし、私とクリス王子を交互に見る。
「我らクルーべ家は辺境伯家にちょっとした恩がある。それに報いるとしよう」
「ふむ。クルーべ家の兵も精強と名高い。ならば別動隊はこの三軍にて編成し、残りは本隊としてアーレムナ砦の正面から攻め込む。各々、それでよろしいか?」
バードン伯爵の言葉に諸侯は頷く。
そしてその後、私たちは更に綿密な打ち合わせを行うのであった。
※※※
軍議が終わり諸侯が軍議の間から退室すると一人残っていたバードン伯爵は深いため息を吐いた。
なかなかに手綱を握り難い。
クリス王子は兄エリウッド王子に比べ温厚で押しの弱い青年だと聞いていた。
だが先ほどの王子はそのイメージを改めさせられるものであった。
優し気な顔の裏に見える強い意志と冷静さ。
己の弱さを知り、長所を活かしている。
「流石は王族、というところか……」
クリス王子が軟弱者であったのならば己の傀儡にしようと思っていた。
だが下手なことをすればかえって自分の立場を危うくするだろう。
ならば傀儡にするのではなく取り入るとしよう。
王子の信頼を得て、後々のことを有利に運べるようにすべきだ。
そう、この戦の後のことも考えなければいけない。
戦は勝って終わりではない。
戦に勝ち、その後の政争でも勝利することで真の勝者となれるのだ。
そして現状その最大の障害は━━。
「━━ルナミア・シェードラン」
生まれ持っての素質かあの娘はどうやら”人に好かれやすい”ようだ。
反大公軍の中でもあの娘を次期大公にと考えている者も多くこのままではこの戦の真の勝利者は彼女となるであろう。
そしてそれは自分にとって、いや、この国にとって避けねばならぬ未来だ。
「”人に好かれる”だけの覚悟無き者が上に立つことは新たな悲劇を引き起こす。為政者とは善と悪を、光と影を併せ持つものでなければならないのだ」
あの娘は善人だ。
それは間違いない。
だがいざという時にあの娘に己の手を汚す勇気があるか?
(……見極めるか)
レクター大公に勝利したとき、ルナミアがどのような決断をするのか。
そしてその決断によっては此方が”決断”を下すことになるだろう。
「まあ、まずは砦をどうにかしなければな」
先ほど王子が言ったようにここで負ければ全てが終わる。
ルナミアの策が上手くいくことを信じ、全力を尽くしてアーレムナ砦を攻略するとしよう。
そう思いながら席を立ち、軍議の間をあとにするのであった。
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