~アルヴィリア内戦・二つのシェードラン編~
第58節・砦の王子
冬から春へと移り変わろうとしている頃。
アルヴィリア王国では内戦に大きな動きが生じていた。
一月程前に発生したベルファの町を巡る反大公軍とシェードラン・メフィル連合軍の戦いの最中に長らく姿を消していた王位第二継承者クリス・アルヴィリアがシェードラン領で再蜂起。
それに呼応してオースエン家残党も挙兵した。
更にメフィル領では迫害されていた亜人種やゼダ人が武装し、メフィル領とシェードラン領の領境にあるアーレムナ砦を占領。
後にアーレムナの蜂起と呼ばれる反乱を引き起こした。
これによりシェードラン大公軍に味方していた王家とメフィル家は自領に撤退し、更にクルギス家が反大公軍に加わったことで幾つかの貴族が大公側から離反。
これを好機と見た反大公軍はクリス王子の軍と合流し、攻勢へと転じて大公の居城であるガーンウィッツを目指した。
一方、大公軍は反大公軍の進路上にあるモーレナ砦にレクター大公の腹心であるヴォルフラム・ブルーンズが入城。
タールコン平原を北上して来る反大公軍を迎え撃とうとしているのであった。
※※※
豪雨の山道を必死に駆けていた。
ぬかるんだ地面のせいで何度も転びそうになりながらも必死に走り続ける。
自分が今どこを走っているのかは分からない。
だが立ち止まって自分の居場所を確認する余裕は無かった。
「この先に行けば味方がいるはずです!!」
先頭を走っていた騎士がそう言う。
味方。
私の兵士たちは、辺境伯軍は今いったいどうなっている?
皆、無事に切り抜けられただろうか?
「いたぞぉ!! ルナミア・シェードランだ!!」
前方から武装した何人もの兵士たちが現れた。
先頭を走っていた騎士は舌打ちをすると他の騎士や兵士たちに命令して私を庇うように前に出る。
「ここは我らが!! どうかお逃げください!!」
「私も━━!!」
「貴女が討たれれば総崩れです!!」
騎士の言葉に私は拳を強く握りしめ堪えた。
ここまで来るまでにも何人もの兵士たちが私の為に死んだ。
ならばこんなところで死ぬわけにはいかないのだ。
「━━感謝します」
「では此方へ!!」
兵士二人に先導され私は再び走り出す。
そして一瞬だけ振り返ると私を守っていた騎士たちが敵に向かって突撃を開始したのが見えた。
多勢に無勢だ。
彼らが生き残ることは無いだろう。
(……どうして、こうなったの!!)
そう、どうしてこうなったのか。
何故私は雨に体を震わせ、泥まみれになりながら無様に逃げ回っているのか。
それは全て数日前から始まったことであった。
※※※
数日前。
ベルファの町で勝利した反大公軍は攻勢に転じ、レクター大公の居るガーンウィッツを目指して進軍を開始した。
その途中でクリス王子の軍と合流すべく私たちはタールコン平原南部にあるイサの砦に入った。
バードン伯爵は既に砦に入っていたクリス王子に我先にと拝謁し、私は彼が放り出した仕事を引き受けることになった。
砦に入らなかった部隊をどこに陣を設営させるのか、兵糧の状況や矢などの数の確認。
それをエドガーやダニエル子爵、そしてクルギス伯爵にも手伝ってもらいながらどうにかこなす。
「それにしても全部ルナミア様に押し付けるなんてどうかと思いますよ!」
エドガーが砦の中庭で兵糧の帳簿を確認しながらそう愚痴を言うと彼の手伝いをしてくれていたダニエル子爵が肩を竦めた。
「反大公軍の盟主としてクリス王子とは懇意にしたいのさ。あの男は勝った後のことを考えて行動しているのだろう」
「勝ったあと、ですか」
エドガーの言葉にダニエル子爵は頷く。
「この戦に勝つということはシェードラン領から大公が”消える”ということ。だが諸侯を、民を纏める者が居なくては領土は荒れる」
「それは……でも、レクター大公が居なくなったら……」
エドガーが横目で私を見てきたため私は首を横に振った。
「私は従兄の後を継ぐつもりは無いわよ。大公なんてもの、やりたい奴にやらせればいいのよ」
私の望みは父より受け継いだコーンゴルドを守ることだ。
大公なんて大層な地位はいらない。
というか分不相応だ。
私の反応にダニエル子爵はやれやれとため息を吐くと確認し終わった帳簿をエドガーに渡す。
「やりたい奴にやらせた結果が今なのですがね。いや、レクター大公も本当に大公になりたかったのか……」
レクターは昔から何かに怯えていた。
その怯えを隠すために虚勢を張る弱い男なのだと思ったいた。
だがそんな男が己の父を、私の叔父を殺した。
私やラウレンツ叔父様が彼を追い詰めたのか。
それは分からない。
(それはそれとして私はアイツを許さない)
叔父様を殺し、私の大切なものを傷つけようとしてきたあの従兄に容赦はしない。
そう、何があってもだ。
「誰が大公になるかなんて勝った後に考えればいいわ。今はまずこの戦に勝つことに集中しなきゃ」
「それはそうだ」とエドガーとダニエル子爵が頷くとメリナローズがやってきた。
彼女は「やっほ」と軽く挨拶をするとエドガーに近づく。
「それ、兵糧の帳簿でしょ? お酒とか今晩出せないかにゃあ?」
「はあ? 酒? なんでだ?」
「ほら、ベルファの町の戦いからすぐ行軍。そして明後日くらいには北上でしょう? ここいらでパアッと一度宴会して兵隊さんたちを労ったほうが良いとおもうにゃあ」
「……お前が飲みたいだけだろう」
「ばれたか」とメリナローズは舌をチロリと出して笑う。
まあだが彼女の言っていることも一理ある。
私たちはガーンウィッツに向かう途中でモーレナ砦を攻略することになる。
あの砦は堅牢なことで有名だ。
恐らく激しい攻城戦になるだろう。
その前に一度兵士たちを休ませるべきだ。
「バードン伯爵が戻って来たら提案してみるわ。でもあまり期待はしないように」
そう言うとメリナローズは「よしゃ!」とガッツポーズをする。
その姿に思わず笑みが浮かぶが彼女は”使徒”だ。
何を企んでいるのかは分からないが私たちに同行し、協力してくれている。
だが何時裏切るか分からない以上、常に警戒しておかなければいけない。
そう考えていると砦の方から騎士がやってきた。
反大公軍の騎士ではない。
騎士が肩にかけているマントの紋様。
あれは王家のものだ。
「ルナミア様。クリス王子がお呼びです。軍議の間までいらしてください」
「え? あ、はい。分かりました」
クリス王子が私に何の用だろうか?
というか彼と会うのは久しぶりである。
前に彼と会ったのは……確か、川で水浴びをしていたら……。
「…………」
忘れよう!
あれは事故だった。
それに向こうももうあんな昔のことは覚えていないだろう。
そう思いながら邪念を振り払うように首を横に振り、私はクリス王子の待つ軍議の間に向かうのであった。
※※※
軍議の間の前まで来るとちょうどバードン伯爵が部屋から出てくるところであった。
彼は此方を見ると一瞬だけ動きを止め、それから社交辞令的な笑みを浮かべる。
「王子が中でお待ちだ。二人で話したいそうだ」
「二人で、ですか」
ますます何の話か気になって来た。
私はバードン伯爵に小さく会釈をすると彼は「では」と去って行く。
すれ違う際に「くれぐれも"失礼"がないようにな」と釘を刺されたため、笑顔で「承知していますわ」と答えた。
そしてバードン伯爵が廊下の角を曲がり見えなくなると私はため息を吐く。
ようは”自分に不利な事を言いうな”という脅しだ。
勿論今のところそんなことをするつもりは無い。
ドアの前で一度姿勢を正し、身だしなみを整えるとノックする。
するとドアの向こう側から優しそうな青年の「どうぞ」という声が聞こえてきた。
「失礼します」
軍議の間に入るとまず円卓の上座に座る線の細い青年━━クリス・アルヴィリアが目に入った。
彼の背後には背の高い屈強なゼダ人の男性が控えており、顔に大きな傷を負っている男性は私のことを観察するように見てくる。
クリス王子は私の顔を見るなり笑顔を浮かべて「お久しぶりですね!」と言うと向かい側の席に座る様に勧めてくれた。
私はクリス王子に一礼をしてから椅子に座り、「お久しぶりです」と言う。
「最後にお会いしたのはベールン会戦の時でしたね。あの時のルナミアさんのお姿は決して忘れ……あ!? あの!? 川でのことでは無くて、戦場でのことで!!」
「ああ! はい! いいです、言わなくて!! 分かってますから!」
互いに顔を紅くして首を振ると思わず笑ってしまう。
クリス王子の顔を見てみると彼は前に会った時よりもやつれているように感じた。
実の兄と対立し、命を狙われた。
ここに至るまでいったいどれだけの苦労をしたのだろうか……。
「お互い、苦労しましたね。ラウレンツのことは残念です。彼はとても高潔な人でした。あのような最期を遂げてしまったとは残念でならない。いや、彼を死なせたのも僕が力不足故です」
「そんなことは……」
クリス王子は力なく笑みを浮かべて首を横に振った。
「この内戦は全て僕の浅慮のせいです。兄が父を暗殺し、僕は兄を糾弾した。正義は我にあり。そう根拠のない自信に突き動かされ、結果は逆に兄の反撃にあい王都を追われました。僕は正しきことをすれば皆が味方してくれると甘い考えを持っていたのです」
クリス王子がエリウッド王子を糾弾したとき彼に味方したのはオースエン大公だけであった。
エリウッド王子は直ぐにガルグル家とメフィル家を味方につけクリス王子を襲撃。
苦境に立たされたクリス王子とオースエン家を見て、メフィル家がこれ以上増長するのを阻止するためにシェードラン家はクリス王子側に付いたのだ。
「僕のせいで国は二つに割れ、セルファースやラウレンツが亡くなった。そして今もなお各地で多くの命が失われている」
そう言うとクリス王子は立ち上がり、窓の方に移動した。
窓から外の様子を眺めながら彼は目を細め、そして私の方を見る。
「僕は兄と戦うことを望んではいない。それは今も同じ気持ちです。例え父を殺したとしても血を分けた兄弟なんです。どうにか上手い形でこの内戦を治めたい。いや、治めなければいけない」
クリス王子の横顔は決意に固まった一人の青年のものであった。
自分の兄弟と戦う。
その言葉に何となく自分の境遇と重ねてしまった。
「……エリウッド王子が陛下を暗殺したというのは本当なのですか?」
私の言葉にクリス王子は頷いた。
そして壁にもたれ掛かると天井を見上げる。
「父はある告白をしようとしてた。それは王家を、この国を根底から覆す重大な告白です」
「それは……まさか……」
「貴女の思っている通りです。父はアルヴィリア王家が簒奪者の血筋であること。真のアルヴィリアの血統はルナミア・シェードランであると告白しようとしていたのです」
息が詰まった。
それはとんでもない告白だ。
何百年も国を統治していた王家がアルヴィリアの者ではなく本当のアルヴィリアは辺境伯の娘として生きているなんて告白しようものなら王国は大混乱に陥る。
下手をしたら今と同じ、いや、今以上の血が流れた可能性だってある。
「父は王家が隠してきた罪の歴史を全て打ち明け、”真に正しく国を導ける者”に譲位するつもりだったのです」
「そんな!! そんなことを言われても私は!!」
思わず勢いよく立ち上がってしまうとゼダ人の男性が一瞬身構えた。
それをクリス王子が止めると私に向かって頷く。
「僕も父のやり方は急すぎると思っていました。だが同時に貴女に国を導いて欲しいと思った。あの日、ベールン会戦で精霊王たちを降臨させ旗を振るいながら敵に立ち向かった貴女の姿はまさしく建国の祖アルヴィリア、いえ、女神アルテミシアと言っても相違ないものでした。東方のディヴァーンや”蛇”といった脅威から国を守るには絶対的なカリスマ性を持った君主が必要だと父は考えたのでしょう」
カリスマ性なんて私には無い。
あの時もただ必死に、がむしゃらに戦っていただけだ。
だいたい一領主の身分でも四苦八苦しているのに君主になるなんて絶対に無理だ。
ストレスで十回くらい死ぬ自信がある。
「勿論急に国王……いえ、この場合は女王ですね。ルナミアさんに女王になれと押し付けるのは無理がありすぎる。えっとだからその……」
クリス王子は困ったように眉を顰めると何度か口ごもった後に肩を竦めた。
「父は一族をかつての名であるダスニアを名乗らせ、それから……僕が貴女の婿になって支えるようにと……」
「はい!?」
「も、もちろん父が勝手に言ったことですよ!? 僕は別に貴女と結婚したいとか思っていませんし!」
いや、それはそれで女として傷つくというものでは無いだろうか?
複雑な気分でため息を吐くと自分の席に座りなおす。
「ま、まあ兎に角そういう話がありました。父が考えていたのは真なるアルヴィリアを頂点にしその補佐としてオースエン家と旧王家となるダスニア家が就く。そして残りの四大公家を置き、アルヴィリア王国を盤石なものとする。でもこれは兄にとって到底受け居られる者では無かった」
エリウッド王子は次期国王だった。
そんな彼が父から次の国王はお前ではなく王家とは何の関係もない辺境伯の娘だと聞かされたらどう思うだろうか?
そんなのは明白だ。
「父は僕たち兄弟に打ち明けてから急激に衰弱し、死去しました。あまりも急な事だったため僕はセルファースと共に父の死を調査し、兄の従者が父の食事に毒を盛っていたのを突き止めたのです」
オースエン大公がエリウッド王子の従者を捕らえ、全てを吐かせた。
エリウッド王子はゲオルグ王に激怒し、彼が告白をする前に殺害することを決意。
己の父親に毒を持って殺したのだという。
彼は王家の秘密を隠し通し、そして最も脅威になるアルヴィリアの血を排除しようと画策していた。
そう、かつてのゲオルグ王が私の母や祖母にしたように。
「兄の気持ちは……正直に言って理解できます。でも、それでも親殺しは到底許される行いではない」
クリス王子が悲痛な表情で呟き、軍議の間は重苦しい雰囲気に包まれる。
すると彼は慌てて表情を明るくし、「そうだ!」と先ほどから沈黙しているゼダ人の男性の方を見る。
「紹介が遅くなりましたね。彼の名はレゾ。僕の護衛役です」
レゾと紹介された男は「う゛」と唸ると頷く。
「ああ、彼はちょっと喋れなくて……」
クリス王子がレゾの反応を伺うとレゾが再び頷き、王子は言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「レゾは昔拷問を受け舌を抜かれたのです。顔の傷もその時に……」
「……酷いわね」
誰がやったのかは知らないが非道な行いだ。
決して許される行為では無い。
そう思っているとレゾは「気にするな」と言うように首を横に振った。
「レゾは喋れませんが誠実で勇敢な男です。仲良くしてあげてください」
「ええ、勿論です」と言うとクリス王子は笑顔になり自分の席に戻った。
そしてそれから暫くの間、私たちは雑談に花を咲かせるのであった。
※※※
「さて、名残惜しいですが……」
互いの近況などを一通り話し終えるとクリス王子が立ち上がり、私も立ち上がる。
「このあとの軍議、ルナミアさんも参加されますよね」
「はい。そのつもりです」
ガーンウィッツに向かうにはモーレナ砦を攻略しなければならない。
相手はあのヴォルフラムだ。
綿密に策を練る必要があるだろう。
クリス王子が「ではまた軍議で」と言い、私は彼に一礼をし退室しようとする。
ドアノブに手を掛け、ドアを開けかけると背後から声を掛けられた。
「━━バードン伯爵をどう思いですか?」
クリス王子の言葉に私は動きを止め、一度深呼吸をしてから振り返った。
本心を悟られぬように笑みを浮かべて「頼りになる方ですわ」と答える。
「そう、ですね。僕も同意見です。ですが彼には野心があり過ぎる。もし貴女が大公となり、彼を危険と判断するならば━━」
「私は大公になるつもりはありませんよ。私にとってこの戦いは故郷を守るための戦いですから」
クリス王子は何かを言おうとしたがそれを止め、「分かりました」と頷いた。
「でも覚えておいでください。人は時に望まぬ事をせざるおえなくなることがあると」
私は彼に返事はせず深く頭を下げた。
そして"望まぬ事をせざるおえない"という言葉の重みを感じながら軍議の間から退室するのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます