第56節・闇夜の船出


 波止場は火事が起きた倉庫や氷漬けになった酒場とは違い静まり返っていた。

波止場にもバードン伯爵の兵士たちが居たが彼らは今、物陰で縛られて放置されている。


「ほい! 最後の一人!!」


 メリナローズが魔力の鎖で巻き取った兵士を無造作に地面に降ろすと私たちが隠れている物陰に向かって手招きをする。

私たちはローブについているフードを深く被りなおすと辺りを警戒しながら物陰から出て地面に倒れている兵士を確認した。

なんともまあ幸せそうに気絶している。


「ちょーっと誘惑したら油断するんだからちょろいにゃあ」


 メリナローズが胸元の服を摘まんで伸ばしたらロイが慌てて目を逸らす。

そしてミリが「巨乳が……」と忌まわしそうに呟いたことには気が付かなかったふりをしておこう。


 とにかくこれでインターセプタ―号の周辺にいた兵士は全て無力化した。

あとは反大公軍に異変を察知される前に出航してしまうとしよう。


「ガルシア船長たちは?」


「既に船の中に。また沖までは”海賊船”がエスコートしてくれる手はずになっております」


 今回の夜逃げは私たちと、反大公軍に参加していない人間だけで行う。

まず最初に沖にいた”海賊船”から”海賊”がひっそりと港の倉庫に侵入し火事を起こす。

そして反大公軍が火事に気を取られている内に私たちは”海鳥の住処”からこっそりと逃げ出し、フェリアセンシアが店を氷の壁で覆うことによって立て籠もったかのように見せかける。

最後に火事と氷漬けになった店に反大公軍の注意が向かっている間に船でベルファの町から脱出するという算段だ。


「しっかしルナミア様も大胆なことをするにゃあ。いくら辺境伯軍が関わっていないって言ってもバードン伯爵に詰問されるでしょうに」


「だから貴女を使っているんじゃないですか? いざって時に差し出せるように」


 ユキノの言葉にメリナローズは「マジ?」と固まった。

いくらルナでもメリナローズを差し出すようなことをは……するかもしれない。

というか彼女には聞きたいことがあったのだ。


「どうしてメリナローズはルナの手助けをするの?」


 私の言葉にこの場にいた誰もがメリナローズに注目した。

すると彼女は困ったように笑うと「全部は言えないけど」と口を開く。


「アタシにはアタシなりの目的がある。それを叶えるためにはルナミア様には勝ち残って貰わなきゃならないってことかなぁ」


 少なくとも今すぐに敵になるということは無いと彼女は言った。

だがその先は?

もし、彼女の目的が叶いそうになった時、その時は?


「その時は……。その時次第かな。アタシは自分の目的の為なら簡単に裏切る女よ」


 ロイたちがスッと構えたため私はそれを止める。

そして無言でメリナローズと見つめ合うとインターセプタ―号の甲板からガルシア船長が「おい! そろそろ出すぞ!!」と声を掛けてきた。

それに皆頷くと動き出す。

ヴィクトリアがまず最初に乗り込み、それからユキノ、ミリ、ヘンリーおじ様、そしてロイと続く。

私は船の搭乗橋に足を乗せると波止場に残ったメリナローズの方を向く。


「もしルナの敵になるなら私はきっと貴女と戦う。でも、もし少しでもルナの味方で居続けてもいいと思ってくれるのなら━━私の大切な姉をお願い」


 そう言うと私は船に乗り込んだ。

そして搭乗橋が外されると私たちは船から港の方を見る。


 港から波止場に向けて幾つもの松明の灯りが迫ってきているのが見える。

此方の出航に気が付いた反大公軍の兵士たちが慌てて近づいてきているのだ。

既にメリナローズの姿は無く、私はガルシア船長の方を見ると彼は力強く頷いた。


「よおし!! 出航だ!! 夜の闇に惑わされるなよ!! 朝になったら自由都市の方角だったなんて笑えねえからな!!」


「おうさ! 船長!!」


 船の帆が広げられ、インターセプタ―号が出航を始める。

波止場には反大公軍の兵士たちが集まっていたがもう出航してしまえば此方のものだ。


「まったく、慌ただしい旅立ちだな」


 私の隣にロイが来てそう言うと私は笑う。

確かに、慌ただしい。

折角ルナと再会できたのに碌に会話もできなかった。

でも━━。


「━━旅立つ前にルナに会えて良かった」


 旅に出たらルナに会えるのはずっと先のことになる。

そんな予感がしていた。

だから僅かとは言え顔を合わせ、言葉を交わせたのはとても嬉しいことだった。


「そうか。そうだな。俺もまあ、相変わらず苦労してそうなエドガーが見れて良かった」


「あれ? ロイは苦労してないのかな?」


 悪戯っぽくそう言うとロイは「そりゃあ」と何かを言いかけてから慌てて目を逸らす。


「え? なに? どうして目を逸らしたの?」


「い、いや。何でもない。というか俺だって苦労しているぞ? どこかのお姫様がいっつも危ない場所に首を突っ込んでいるからな」


「首を突っ込んでいるというか危険の方から来るというか……。まあロイには今後も苦労を掛けるかな?」


 私の言葉にロイは肩を竦めると「お前の騎士は俺にしかできないな」と苦笑する。

そこでふと思った。

彼は自由騎士だ。

騎士になったのだ。

ということは誰かに叙任してもらったということで、まあ誰にやってもらったのかは分かるのだが……。


「なんだよ、その顔」


「いや、なんか複雑」


 「は?」とロイが首を傾げると私は「なんでもない」と笑った。

 そんな会話をしている間にベルファの町はずっと遠くになっていた。

小さな灯りが幾つも見え、そして消えて行く。


 小さい頃はこんな風に船に乗って旅に出るなんて思ってもいなかった。

故郷が遠のくのを見て寂しさを感じつつも私は満天の夜空を見上げるのであった。


※※※


「……やってくれたな」


 私の隣に立ち、旅立っていく船を見ながらバードン伯爵はそう呟いた。


「私も驚きました。まさか妹がここまで大胆なことをするとは」


「そうでしょうな。私も、こんな大胆なことをするとは思ってもいなかった。こういった”悪戯”はもう最後にして欲しいですな」


 「ええ勿論」とバードン伯爵に笑顔を送ると彼は僅かに眉を顰めた後に後方で集結していた兵士たちに解散するように伝えた。

そしてバードン伯爵も港から去っていくと私はほっと胸を撫でおろす。

正直もっと詰問されると思っていた。

だがバードン伯爵も反大公軍内での対立を表面させるべきではないと判断したのか卿のところは穏便に済んでくれた。


(とはいえこれで完全に亀裂が走ったわね)


 恐らく今後バードン伯爵は更に反大公軍の中で権力を己に集中させ、私や他の反抗的な諸侯をねじ伏せていこうとするであろう。

なら私はどうする?

反大公軍のことを考えればバードン伯爵と争うべきではない。

だが今回のように対立が避けられないのであれば……。


(……味方作り、かしらね?)


 私は権力争いというのが苦手だ。

人間の薄汚いところが前面に押し出された世界。

出来ればそんなところに関わりたくは無かった。

だが大切な人たちを守るために止む負えないのであれば私は自ら進んで手を汚してみせる。

それがあの日、多くの人間を業火で焼き払った私の誓いである。


「行っちゃったわね。もっと放したかったんじゃないの?」


 背後から声を掛けられ振り返るとアーダルベルトが腕を組んで立っていた。


「そっちこそ。ミリと全然話せなかったんじゃないかしら?」


「そうね。でも元気そうな顔を見れただけでも良かったわ」


 私も同じだ。

リーシェとは殆ど会話ができなかった。

だが彼女が無事で、そして己の道をしっかりと進もうとしているのが分かって良かった。


「そう言えばアーちゃん団長はこれからどうするのかしら?」


「ん? そうねえ……。今は雇い主もいないし、手ごろな仕事場を探しているのだけれども」


 アーちゃんが私にウィンクをした。

それに私は笑みを浮かべ、手を差し出す。


「ならシェードラン辺境伯家が貴方達を雇うわ。契約金に関しては後日正式に話し合いましょう」


「フフ、キオウでディヴァーンと戦ったと思ったら次は反大公軍に加わる。傭兵として腕が鳴るってものね」


 アーちゃんと握手を交わすと私は海の方を見た。

リーシェたちを乗せた船は既に夜の闇の中に消えた。

次に会えるのはいつだろうか?

彼女が旅を終え、コーンゴルドに帰ってくるまで私たちの故郷を文字通り死ぬ気で守り通さなければ。

そしてその為には━━。


「━━全ての脅威を打ち払う」


 次の戦はきっと大きなものになるだろう。

子供のころから続いた因縁に決着をつける。

それが例えどんな形であってもだ。


 そう決意をしながら私はアーちゃんと共に辺境伯軍の陣地へと戻る。

その途中一瞬だけ突風が吹いた。

それはまるで大きな嵐が近づいていると知らせるかのようであった。


※※※


 船の甲板から夜の海を眺めているとミリがやってきた。

彼女は此方を見ると一瞬気まずそうに目を逸らし、それから大きく息を吸うと隣にやってくる。


「ユキノ、随分とやられたわね。相手はあの男?」


「はい。我が師匠、そして━━父と言える男でした」


 そう言うとミリは「そう」と呟き、暫く沈黙する。


「倒したの?」


「どうにか。でも……」


「でも?」


「……殺せませんでした」


 禍根を残さないため、殺すべきだった。

戦っているときは本気で殺すつもりだった。

だがいざその時になると私の手は震え、刀を彼の首に振り下ろせなかったのだ。


「私は、卑怯者ですね。散々人の命を奪ってきたのに……人の家族を殺してきたのにいざ自分の師となると殺せなかった。そんな弱い自分が嫌になります」


 そう自分はやはり弱くなったのだ。

誰かの命を奪うことを躊躇うようになり、そしていつでも捨てられると思っていた自分の命すら捨てられなくなった。

師が欠陥品と呼ぶのも良く理解できる。


「私は逆に安心したわ」


「え?」


 予想外の言葉にミリの方を向くと彼女は横目で此方を見てくる。


「アンタが誰かを殺すことに躊躇うこと。自分の親を殺せなかったこと。死にたくないってこと。それはさ、普通のことだもの。アンタが普通の人間で安心した」


「私が……普通?」


「ええ普通よ。私と同じ普通の”ヒト”。同じ心を持っていて、同じ苦悩を持っている。逆にアンタが今でも機械みたいに人を殺せたら絶対に許せなかったと思う。……まあ、今も許していないけれども」


 普通。

そんなことを言われたのは初めてであった。

私は他人とは違う。

決定的に何かが欠落し、人を傷つけることしかできない殺人人形。

そう思っていたのだ。

だがそんな私をミリは普通の”ヒト”と呼んでくれた。

それがたまらなく嬉しかった。

そして同時にたまらなく辛かった。


「ちょ、ちょっと!? なんで泣きそうになっているのよ!? アンタ、涙とか流すタイプのキャラじゃなかったでしょうに!?」


「い、いえ。ちょっと色々と感情に整理がつかないと言いますか。すみません。少し落ち着かせます」


 目を閉じて溢れ出しそうな感情を押し込めた。

流石にこの年で、しかも人前で泣くのは恥ずかしい。


「不思議ですね。最初は感情なんて煩わしい、不要なものだと思っていました。でも辺境伯家に来て旦那様と出会い、ルナミア様やリーシェ様と出会い、そして皆さんと出会って色々な感情を知った。それが嬉しいと感じました。そして同時に自分の罪の重さにどんどん苦しめられるようになりました」


「ねえ? 今でも私に殺されたいとか、死にたいとか思っている?」


 ミリが私の方を向いた。

彼女の色の違う瞳は真っ直ぐに、私の本心を見抜こうとしている。

だから私は自分の本当の気持ちを一つ一つ心の中で確かめ、そしてゆっくりと口を開いた。


「私は━━━━まだ死にたくありません」


「…………」


「我が儘です。他者の命を散々奪っておいて何を言っているのかと自分でも思います。でも、私は。それでも私はリーシェ様をお守りしたい。皆さんと共に生きたい。そして生きたうえで自分に贖罪として何ができるのかを見つけたい」


 答えが見つかるかは分からない。

もしかしたら一生見つからないかもしれない。

それでも私は前に進み続けてみたいのだ。


 ミリは暫く無言でいるとふっと表情を崩し、それからため息を吐いた。


「ようやくアンタの本心を聞けたわね」


 そう言うとミリは笑みを浮かべ、それから腰に手を当てて「よし、殴れ!」と言ってきた。


「……は? 今なんと?」


「だから、殴れっていってるの! ほら、町でアンタのこと思いっきり殴ったでしょう? だから一発私に殴り返せってこと」


「いえ、本気で意味が分からないのですが。ミリ様が私を殴ったことには正当性がありますが、私がミリ様を殴るのは……」


「いいから! やれ!」


 せっかくいい感じの雰囲気で話が終わりそうだったのにこのエルフは訳の分からないことを言い始めた。

まあ、本人が殴れと言っているのならば仕方ないか。


「では殴ります」


「ええ、来なさい!!」


 ミリが目を閉じて歯を食いしばる。

私はスッと拳を構えると腰を落とし、そして思いっきり殴った。


「へぶぉ!?」


 なんだが変な鳴き声と、ドゴっという鈍い音と共に顔面を殴打されたミリが吹き飛ぶ。

甲板にいた船乗りやリーシェたちが「何事!?」と驚くとミリがふら付きながらゆっくりと立ち上がった。

そして真っ赤になった頬を手で抑えながら「普通全力で殴る!?」と怒鳴って来る。


「いや、殴れって言ったので……」


「言ったけど! 言ったけど普通、もうちょっと手加減するわよね!?」


 「はあ」と困ったように首を傾げるとミリは恨めしそうに此方を見た後、「ああもう!」と頭を掻いた。


「兎に角、これで私もある程度踏ん切りが着いたわ。だからもう、寝る!  というか痛い!! ヴィクトリア―! ヴィクトリア助けてー!!」


 ミリが騒ぎながら去っていった。

何というか、相変わらず騒がしい人だ。

だがそんな彼女だからこそ私は共に道を進みたいと思っている。


 ふとリーシェと目が合った。

彼女は「もう大丈夫そうだね」と優しい笑みを浮かべると頷き、ミリの後を追う。


「もう大丈夫、ですか」


 そうもう大丈夫だ。

もう私は過去に囚われない。

父と友と誓った”死なず”を胸に生きていこう。


 空を見上げると流れ星が見えた。

それは私の決意を、私たちの旅立ちを天が祝ってくれたかのように思えるのであった。

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