第48節・屋根上の弓兵たち
子供の頃。
私は父親に憧れていた。
父は優しく聡明で、そして弓の名手であった。
平民でありながら貴族にも一目置かれる人で、あのオースエン大公にも懇意にされていた。
そんな父は私にとって正しく英雄であり、尊敬の念を抱くのと同時に劣等感を抱いていた。
私は父に比べて賢くはなく、弓の腕も酷いものであった。
そしてハーフエルフということもあり、私は年の近い子供たちから"異物"と見られていたのだ。
だから私は家族以外の人間とは距離を取るようになり、一人で森を彷徨いたりして木々や妖精と仲良くなった。
私にとって友人とは自然のことであり、それでいいと納得していた。
ある日のことだ。
私は父にどうやったら父のように強く、一人でも生きていける立派な大人になれるのかと聞いた。
すると父は「うーん」と困ったような顔で笑うと「私は強くないよ」と首を横に振った。
そんなはずはない。
父様はいつも正しくて、とても強い人だと反論すると父は私の頭を撫でてくれた。
「私は私のことを正しいとも強いとも思ったことは無いよ。私はお前が知らないところで悪いことをしたことがあるし、お前が私を強く見えるのは家族を守りたいと強がっているからさ」
子供だった私は父の言っていることに納得ができなかった。
すると父は微笑み、「お前は本当の強さというのはなんだと思う?」と質問をしてきた。
本当の強さ。
それはきっと何者にも負けない強い力と意志を持つことだろう。
そう言うと父は「それも一つの強さの形だ」と頷く。
「だが父さんはこう思うんだ。本当の強さってのは腕っぷしの強さじゃない。誰かの為に笑って、泣いて、怒ってやれる心。人を許し、しかし公正に裁く。そんな度量と判断を持つことこそ本当の強さなんじゃないかと思う」
「だからミリ」と父はもう一度私の頭を撫でた。
「お前は友が困っていたら友の為に悩み。友が誤ったことをしたのなら友の為に怒り。前を向いて一緒に歩いていける、そんな大人になりなさい」
※※※
「いっつ……」
意識が戻った。
なにやら随分と昔のことを思い出していたようだがきっとあのメイドのせいだろう。
私は父の願ったような”強い大人”になれただろうか?
いや、きっとまだなれていない。
だって私はまだ彼女と同じ方を向いて歩けていないから。
辺りを見渡すとどうやら屋根を突き破って民家の中に落下したようだ。
敵が放った爆発矢を寸前のところで風の障壁によって防げたのだ。
身体は大きく吹き飛ばされたものの丸焼きにならずに済んだのは運が良かった。
左腕に鋭い痛みを感じ、見てみると木片が深く突き刺さっていた。
ため息を吐き、歯を食いしばると木片を腕から引き抜く。
激しい痛みに涙が少し浮かぶがどうにか堪え、近くにあった布を引き裂くと腕に巻いて止血する。
そしてゆっくりと立ち上がると天井に空いた穴を睨んだ。
「よくもまあ、やってくれたものだわ」
敵は恐らくエルフ。
どんな奴かは知らないが私にこんだけ痛い思いをさせたのだ。
塔から引きずり出してぶん殴ってやる。
「とはいえ無策で出るのは危険すぎる、か」
悔しいが弓の腕は恐らく敵の方が上。
更に地の利までも敵に味方しているとなれば不用意に外に飛び出すのは自殺行為だ。
だが敵を確実に仕留めるならばもっと接近しなければいけない。
何か囮になるものでもあればいいが……。
「……ここならあの子を呼べるわね」
”あの子”はコーンゴルドから南を縄張りにしている。
ならば呼びかければきっと応じてくれるはずだ。
「よし……行くか」
弓をしっかりと握りしめ、痛む左腕を少し回して覚悟を決める。
さあ塔の上のエルフ。
地を這うハーフエルフが叩き落してやるわ。
口元に笑みを浮かべると”あの子”を呼び出し、崩れた民家の中から反撃を開始するのであった。
※※※
エルは大弓を構えたまま警戒をしていた。
接近してきていたエルフは魔力を込めた矢によって吹き飛ばした。
だが手応えが無いのだ。
己の勘が告げている。
あの少女はまだ生きていると。
ならば必ず反撃に転じてくるはずだ。
来るなら来い。
姿を現した瞬間、この大弓で射抜いてくれる。
(……久しぶりですわね、この感覚)
かつて深緑の樹海でドラゴン族と戦っていた時のことを思い出す。
エルフよりも遥かに強大な力を持つドラゴンとの戦いは一瞬でも隙を見せれば食い殺されてしまう危険な戦いだ。
森に隠れ、息を顰めて敵が現れるのを待つ。
そして一矢一殺で敵を仕留めるのだ。
あの少女はドラゴンのように巨大で強大では無いが此方に大きなプレッシャーを掛けていた。
その感覚が懐かしく、そして同時に楽しいとも思ってしまったのだ。
そう、私はきっと根っからの狩人なのだろう。
危険な獲物を狩ることに喜びを感じる変人。
樹海にいるガイならばきっとそう言うだろう。
『ふーんふんふーん』
鼻歌が聞こえた。
陽気で楽し気な鼻歌だ。
戦場に似つかわしくない音に思わず笑みを浮かべてしまい、それから……。
「え? 鼻歌?」
驚き、鼻歌の方を見ればいつの間にかに妖精が近くにいた。
妖精は私の方を見ると『あら? 貴女も妖精と話せるのだわ!』と嬉しそうに羽根をパタパタと動かす。
「え、ええ。妖精語を習いましたから……」
妖精がこんな町中。
しかも戦場に現れるなんて珍しい。
仲間とはぐれたのだろうか?
『それは素晴らしいことなのだわ! お話ができるのならお友達になりたいところだけど、もう先約があるのだわ!』
「……先約?」
そこでハッとする。
慌ててエルフの少女が吹き飛んだ方を見れば再び屋根を駆けて此方に向かってきているではないか!!
(やられた……!!)
この妖精は此方の注意を逸らすための囮だ!
直ぐに大弓を構え、少女を狙うが妖精が『お姉さん、アソビましょ?』と眼前を飛ぶ。
「こ、この! 邪魔ですわ!!」
妖精を手で払おうとするが『鬼さんこーちら!』と躱されてしまう。
ええい、こうなったらこの妖精のことは無視して矢を放つしかない。
舌打ちながら弦を引くと妖精が『えい! 抱き着き作戦!!』と顔に張り付いてきた。
「ああもう!! 噛み殺しますわよ!!」
口を大きく開け、妖精を噛もうとすると『きゃー』と妖精は逃げていく。
そしてもう一度大弓を構えた瞬間、塔に向かってきている少女と目が合った。
彼女は弓を構えており、此方を狙っていた。
(あっちの方が早い……!!)
ならばと決断した。
敵が矢を放つのよりも早く塔から飛び降りる。
敵は此方の行動に驚くがすぐに矢を放ってきたため、空中で強引に体勢を変えてどうにか矢を躱した。
そしてそのまま大弓を構えると敵目掛けて矢を放ち返す。
狙わずに放った矢のため敵には命中しなかったが敵の動きを止めることには成功した。
あとは……。
「……水よ!!」
敵のいる建物とは通りを挟んで反対側にある建物の屋根に魔術による水のクッションを召喚する。
それにより落下のダメージを抑えるとそのまま屋根の上を転がり、すぐに立ち上がった。
既に敵は此方の建物に向かって跳躍しようとしており、急いで矢を放つと躱されてしまう。
そして風の魔術を使い、此方の屋根に飛び移ってくると弓を構えながら突撃してくるのであった。
※※※
ミリは敵の姿を間近で見た。
長い尖った耳に、金の長い髪を持ったエルフの女。
己の身長並の大弓を構え、私を狙っている。
そして何よりも目に入るのが……。
(デカい……!! こいつは私の敵だぁ!!)
どいつもこいつも発育が良すぎる!
私はいつかは育つと信じていたのに全然大きくならないんだぞ!!
世の中不公平だ!!
だからこの無念さと怒りを乗せて、あの乳もぎ取ってくれる!!
再び放たれた大弓からの矢を上体を少し逸らして回避すると弓を構えなおした。
そして矢を放とうとした瞬間━━弓を横に投げ捨てる。
此方の予想外の行動に敵は一瞬戸惑い、その隙に一気に踏み込んだ。
射撃戦では分が悪い。
だが格闘戦では━━。
「━━コッチの方が有利!!」
拳を構え、正拳突きを放つと敵は舌打ちし後ろへ跳ぶ。
それを逃がすまいと更に踏み込むと敵も大弓を手放す。
そして此方が放った拳を避け、腕を掴んで来るとそのまま背負い投げをされてしまった。
「弓兵が接近戦をできないとでも!!」
背中から地面に叩きつけられ、衝撃で息が詰まる。
霞む視界の中、敵が此方の頭を踏みつぶそうと足を振り上げているのを見るとすぐに横に転がり回避した。
そして足払いをするように立ち上がると敵は後方へ跳躍し、距離を取る。
互いに弓を捨て、拳を構え合う。
敵は狙撃手のため格闘戦は不得手だと思っていた。
だがこいつ、かなり出来る……!!
そうなると身長の高い敵の方が有利かもしれない。
(圧倒的不利が少し不利になったのよ! 前向きに考えろ!)
敵を牽制するように足を小刻みに前に出し、タイミングを計る。
相手の構えからして敵は受け身からの投げ技を得意としているようだ。
とことんインファイトをする自分にとっては厄介な相手だ。
(退くことができないんだから……やるしかない!!)
こうなれば此方の得意を徹底的に押し付け、敵の得意を潰すしかない。
投げなど出来ないくらい踏み込んでボッコボコにしてやろう。
そう決断し、敵と視線を合わせる。
敵は糸目をうっすらと開け、僅かに見える瞳から静かな闘気を放っている。
敵が一歩下がり、此方が一歩前に出る。
そして風が吹いた瞬間━━踏み込んだ。
姿勢を低くし、敵の胸元に潜り込むかのような踏み込み。
そのまま相手のみぞおちを抉る様に殴打しようとするが……。
「!!」
敵が左足を軸に回転した。
それにより踏み込んだ此方の側面に回り込んでくる。
(クソッ……読まれた……!!)
敵は一瞬で此方の首に腕を回し、羽交い絞めをしてくる。
「っく……!!」
力強く喉に腕を押し込まれ息ができない。
このままでは首をへし折られると判断し、即座に後ろ蹴りを放とうとする。
だがそれよりも早く敵は此方の身体を完全に固定したため、動くことが出来なくなってしまった。
「惜しかったですわね。ですが経験の差でわたくしの勝ちですわ」
「ま……だ……よ!」
必死にもがくが敵の拘束から逃れることができない。
マズい。
息ができなく、意識が遠のいてきた。
「同族を殺すつもりはありませんわ。今はお眠りなさい。目が覚めたらわたくしたちの主に……」
「リー……シェや、ユキ……ノのた……に…………負けられ、ない!!」
「え……? リーシェ?」
拘束している腕の力が弱まった。
その隙にもう一度後ろ蹴りを放ち、敵が慌てて此方を解放して離れる。
喉に押し込まれていた敵の腕が無くなったことにより呼吸ができるようになりその場で片膝を着きながら咽る。
そして目尻に涙を浮かばせながらどうにか立ち上がり、「やってくれたわね……!!」と拳を構えなおす。
すると敵は動揺したような雰囲気で「ま、待ちなさい!!」と言ってきた。
「誰が待つか!! 十倍で仕返ししてやるわ!!」
そう言い放ち、再び踏み込むと敵も舌打ちしながら構えなおした。
そして互いに拳が届く間合いに入った瞬間━━。
「━━はい! そこまでぇ!!」
突如上空より木箱が飛来し、慌てて後ろへと跳ぶ。
「な、なんですの!?」
敵の驚愕の声と共に私たちの間に誰かが着地した。
水色の髪に露出が多い派手な服。
間違いない。
彼女は……。
「メ、メリナローズ!?」
メリナローズが突如として私たちの前に現れたのであった。
※※※
予想外の人物の登場に私は呆気に取られたがすぐに身構える。
こいつはこんな見た目だが私たちの敵である”蛇”の幹部の一人、”大淫婦”なのだ。
この女が現れたということはきっと何かまた企んでいるに違いない。
そう考えているとメリナローズが苦笑して腰に手を当てた。
「エドガー君に続いてミリやんにもそういう反応されると流石に傷つくにゃあ……」
「そりゃそうでしょうよ。アンタ、胡散臭いから。……って、今、エドガーって言った?」
「うん言った。ここに来たのもエドガー君の使いでねぇ。二人とも戦いをやめて欲しいってわけ」
そう言うと先ほどまで戦っていたエルフの女が「エドガー副団長が?」と首を傾げた。
ん?
副団長?
「……一応聞くけど所属は?」
「シェードラン辺境伯家ですわ」
思わずその場に座り込んでしまった。
なんだろ、どっと疲れが出てきた。
メリナローズの反応を見るにこの女の言っていることは本当だろう。
ということは私はずっと味方にしなければいけない辺境伯軍と戦っていたというわけだ。
「ついさっきまで殺し合っていた相手に自己紹介するのは変な感じですが……わたくしはエル・エ・エレ。貴方はミリ・ミ・ミジェさんですわね?」
「私のこと知ってるの?」
驚き、そう訊ねるとエルは頷いた。
「ルナミア様から何度かお話を聞いておりますから。あと妹からも」
妹?
私の知り合いにこの女の妹など居ただろうか……?
いや、待てよ?
さっき、エ・エレと言ったか?
まさか……。
「もしかして妹さんってエリ・エ・エレ?」
「ええ。エリはわたくしの妹ですわ」
深緑の樹海で出会った女王の従者。
あの不愛想なメイドの姉がこのグラマラス狙撃手ということか。
なんというか、世間は広いようで狭い。
「どうやら大きなすれ違いがあったようで。まずは休戦、といきませんか?」
エルが手を差し伸べてきたため私はため息を吐くとその手を取る。
「そうね。相手がルナミア様の部下じゃ殺すわけにもいかないわ」
「あら? わたくしの方が勝っていましたけれども?」
「いーや、私だから! あの後華麗に逆転する予定だったから!」
正直なところ厳しかっただろう。
悔しいがこの女の方が一枚上手だった。
だがもし次があるなら遅れは取らない。
今度は絶対に勝ってやるつもりだ。
まあ、もう戦うことなど無いだろうが……。
「で? そちらの方はミリさんのお知り合いで? 辺境伯軍にあのように派手な方はいらっしゃいませんでしたが」
エルがやや警戒を含んだ視線をメリナローズに向ける。
先ほどメリナローズはエドガーの使いだと言っていたがエルは彼女とは面識がない。
つまり何かまた面倒なことが起きている可能性があるのだろう。
「あー……。そいつは敵だったり味方だったり分からない奴。信用はしない方がいいわよ」
「いやいやいや、メリナちゃんほど頼れる女は居ないって!」
エルがますます警戒するとメリナローズは苦笑する。
「じゃあ自己紹介。あたしはメリナローズ。世の男にひと時の夢を見せる仕事をしておりますわ。エドガー君との関係はぁ……いやん、ここでは言えない!」
「この人、馬鹿ですの?」
否定はしない。
というかエドガーがここに居たら今頃彼女の頭を叩いていただろう。
「まあそれは表の顔。もう一つの顔は……」
メリナローズは袖から蛇の面を取り出し、顔に被せる。
『この世の裏で暗躍する秘密組織━━だった”蛇”の幹部━━だった”使徒”の一人、”大淫婦”で御座いますにゃあ』
「……なんか”だった”が多くない?」
そう訊ねるとメリナローズは仮面を外し、苦笑した。
「まあねえ。”大祭司”が勝手なことをしてくれたおかげで”蛇”は絶賛崩壊中。”鴉”や”戦車”は行方不明。更にさらにぃ、変な白い連中に襲われてにっちもさっちもいかなくなってるって感じ」
白い連中?
その言葉にある連中が思い浮かんだ。
深緑の樹海で襲撃してきた謎の敵。
奴らは肌も髪も白く、人よりも遥かに強大な力を持っていた。
「ミリやんが考えている通り。奴ら何者かは知らないけれども”蛇”も襲われていてねえ。ただでさえベールン会戦で数が減って困っているってのにどんどん組織の人員が殺されてるよの」
「……奴らの目的は?」
そう訊ねるとメリナローズは「さあ?」と肩を竦めた。
奴らについて何か知っていそうな気はするがこれ以上訊ねてもこの女ははぐらかすだろう。
ただ一つ、分かったことがあるとすれば……。
「つまり貴女方”蛇”とリーシェ様たち、そしてわたくしたち辺境伯軍には共通の敵がいると?」
エルの言葉に「その通り!」とメリナローズがウィンクをする。
「別にあたしを信用しろとは言わなけど、共通のやばーい敵がいるなら一時的に共闘しましょう? ってわけ」
エルが横目で『信用していいのか?』と見てきたが私は肩を竦めるしかない。
「それじゃあ、取り敢えず一時休戦ってことね」
「ルナミア様やエドガー副団長が共闘を判断したのならばわたくしはそれに従いますわ」
「おっけーおっけ! それじゃあさっさとエドガー君に合流しようか。どうやらルナミア様とリーシェ様も再会できたようだし、港に皆で向かうみたいよん」
それは朗報だ。
リーシェがルナミア様と会えたのならきっと味方してくれているはず。
辺境伯軍が味方になってくれればきっと港を守り切れるだろう。
そう希望を抱きながら私たちはエドガーたちと合流するために歩き始めるのであった。
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