第40節・冬空の反旗
辺境伯軍が反大公軍と合流したのは日が暮れ始めたころであった。
既にバードン伯爵らは町の北側に陣を敷き、東には大公軍とメフィル軍の旗が見える。
私はエドガーに辺境伯軍も陣を設営する様に指示するとバードン伯爵の陣に向かう。
バードン伯爵の陣には多くの将兵が出入りしており彼らは私に気が付くと軽く会釈をして通り過ぎていく。
私もそれに会釈を返して挨拶をすると「おお! ルナミア嬢! よくぞ参られた!!」という野太い声が聞こえてくる。
「バードン伯爵、只今参りました」
「うむ。ルナミア嬢が居れば我らの士気も高まろう」
そう言うと「さあ、こっちへ」と陣の中にある大きなテントへ案内された。
そこは軍議を行うための本陣となっており、机の上にベルファの町一帯の地図が広げられている。
町には小さな黄色い駒が一つ。
北には白い駒。
東には黒い駒と紫の駒だ。
「知っての通りレクターは仇敵メフィルと手を組みおった。敵軍を率いるのは大公の軍師と称されるヴォルフラム・ブルーンズ。そしてメフィル大公の一人息子であるミクローシュ・メフィルだ」
ヴォルフラム・ブルーンズ。
従兄の右腕的存在であり、頭の切れる知恵者だ。
コーンゴルドの戦いにも参陣しており、その後も何度か彼の軍と小競り合いをしたことがある。
大公軍の中でも最も警戒すべき男だろう。
「メフィル大公の息子というのはどのような人物ですか? お会いしてことは無いですね」
バードン伯爵にそう訊ねると彼は少し困ったように眉を顰めた。
「……一言で言うならば変人だ。傲慢不遜で大の派手好き、戦では非情だが冷静な男。ブルーンズ家の小僧同様油断ならない男だ」
つまり敵はかなり手強いということだ。
ふと地図の駒を見てみると大公軍の駒が少ないように見えた。
私の視線に気が付いたバードンん伯爵は頷き、「大公軍はヴォルフラム以外参戦していない」と言った。
「従兄上……レクターは来ていないのですか?」
「ああ。どうやらガーンウィッツの城に篭っているらしい。奴め、裏切りを警戒しているのだ」
「裏切り? メフィルの?」
「いや、クルーべ侯爵のだ」
クルーべ侯爵と言えば大公軍側の貴族の一人だ。
コーンゴルドの戦いでは先陣を切った軍であり、彼の家臣であるゲルデロートとエドガー達が激しい戦いを行った。
結果としてゲルデロートは辺境伯家の捕虜となったが後日クルーべ家から使者が来て身代金を受け取る代わりに釈放したのだ。
その後はあまり反大公軍との戦には参加しなくなったと聞いていたが……。
「クルギス伯爵の裏切りでレクター大公は傘下の諸侯に対して疑心暗鬼になっている。その上である噂を流したからな」
「噂、ですか?」
「”クルーべ家はゲルデロート釈放の際に辺境伯家と同盟を結ぶ密約をした”とな」
私は思わずバードン伯爵を睨む。
そんな密約は結んでいないし、そんなことを流布するということは聞いていない。
知らぬ間に利用されたことに不快感を感じるとバードン伯爵は「そう睨むな」と笑った。
「戦に勝つならば流言も必要。敵を内側から崩すのは常套手段だ」
「確かにそうかもしれませんが一言言って欲しかった。私たちは信用できませんか?」
「そんなことは無い。私はルナミア嬢を心の底から信用している。だがどこから情報が漏れるか分からぬ故黙っていたのだ。許されよ」
バードン伯爵はそう言うと私に頭を下げた。
私もこれ以上彼を咎めても場の空気を悪くするだけだと判断し、話を変えることにした。
「町での戦はしないのですよね? クルギス家からそういう使者が来たと聞きましたが」
クルギス伯爵は町に手を出さず、大公軍を追い払ったら此方に味方すると言っている。
クルギス伯爵の真意はどうであれ町を戦場にしないのは賛成だ。
まだあそこには逃げ遅れた人々が多くいる。
彼らを戦に巻き込むわけにはいかない。
「ふむ、それなんだがな……」
バードン伯爵がテント内にいた部下に目配せをすると皆テントから退出し、入り口の幕が下された。
そしてバードン伯爵は私の横に来ると小声で話し始める。
「町の兵士に内通者がいる。明朝、北門を開けさせ一気に町を制圧するつもりだ」
「……クルギス伯爵との約束を違えるつもりですか?」
「敵の数は此方よりも多い。精強なメフィル兵もいるとなれば平地での野戦は避けるべきだ。極力町に被害は与えないようにはする」
「ですが」と抗議をしようとするとバードン伯爵は私の肩にポンと手を乗せ、「我らが負ければ町は酷いことになる」と言った。
それは理解している。
相手はあのメフィルだ。
奴らが町を支配したら町にいる亜人種やゼダ人が虐殺されるだろう。
彼を守る為にはまず勝たなければいけない。
「……私個人としては不服だということは覚えておいてください」
「覚えておこう。兎に角、明日には動く。ルナミア嬢も今のうちに休んでおくといい」
バードン伯爵はそう言うともう話は終わりだというように私に背を向けた。
私も踵を返し、テントから出ようとすると「ルナミア嬢。この内戦で勝ち残りたいのならば搦手を覚えたまえ」と言われる。
それに対して私は無言という返事をし、テントから出るのであった。
※※※
バードン伯爵はルナミアが出て行くとやれやれとため息を吐いた。
あの様子では内心で相当ご立腹といったところだろう。
ルナミアは賢い娘だがまだまだ青い。
清廉潔白であろうとするのは良いことであろうが戦ではその志が足を引っ張る。
敗軍に正義無し。
正義とは勝ったものが履行できる特権なのだ。
(まあ、あの性格だからこそ旗印としては使える)
反大公軍が今まで大公軍相手に劣勢続きだったのは纏まりが無かったからだ。
反大公軍はレクター大公に対する反発で蜂起した軍だ。
シェードラン家の伝統を守ろうとする者。
既得権益を死守せんとする者。
己の領土を拡張しようとする者。
皆、バラバラの思想で取り敢えず同盟を結んでいる。
これでは将兵の士気が低いのも仕方あるまい。
だがそこに大義が現れた。
ルナミア・シェードラン。
もう一つのシェードランにしてアルヴィリアの正統なる後継者。
彼女を担ぎあげれば我らは”シェードラン大公家を守り、更にはアルヴィリア王国に新たな風を吹き込む”という強烈な大義ができるのだ。
「……だがあまりにも勝手にされるのも困りもの、か」
強烈な大義だからこそ勝手に行動されると此方の計画が崩れる。
上手くあの娘の手綱を握らなくては……。
「暴れ馬には調教、という手もあるが」
此方に対して逆らえないようにする。
いい様に動く人形になってくれれば大変助かるがそれは最後の手段だろう。
なにはともあれ今は━━。
「━━この戦に勝たねばならぬな」
ベルファの町を手に入れることは大公軍に対する反撃の第一歩だ。
そしてそのついでにクルギス家の娘を手に入れれば戦も多少は楽になるかもしれない。
そう考えながら髭を指で摩り、広げられた地図をまじまじと見つめるのであった。
※※※
テントから出ると私は思わず大きなため息を吐いた。
勝手に物事を進めるバードン伯爵には腹が立つがあの男の言っていることは正しい。
正道だけで戦には勝てない。
それは重々承知している。
だがそれでも誰かを、何かを犠牲にした勝利は認めたくない。
「甘すぎる、かしらね?」
今更何を言っているのだろうか。
私はコーンゴルドの戦いで”どのようなことをしても皆を守る”と覚悟したはずだ。
空を見上げればすっかり夜空になっていた。
昔もこうやってベルファで夜空を見上げたことがある。
あの時はリーシェと一緒で、二人でコーンゴルドを守ろうと誓いあった。
だが今は……。
「空を見るのがお好きで?」
声を掛けられ、その方を見てみると明るい茶色い髪に口ひげを生やした貴族━━ダニエル子爵が居た。
彼は反大公軍の初期メンバーの一人であり、ラウレンツ叔父様に対して忠誠を誓っていた男だ。
「ええ、まあ。空を見るのは好きです。こうやって見上げれば何処か遠くにいる人と同じものを見ているという気がして」
「ふむ。ルナミア様は中々ロマンチストのようで」
思わず笑ってしまった。
残念ながら私はロマンチストとは程遠い。
詩を読めばユキノに真顔で「おやめください。殺す気ですか」と言われたほどだ。
「歩きながら少々お話しても? ここではいささか問題がありますので」
「いいですけれども……?」
取り敢えず二人で私の陣がある方に歩き始める。
そして周りからバードン伯爵の兵の姿が見えなくなるとダニエル子爵は小声で話し始めた。
「先ほどのご様子。恐らくバードン伯爵と揉めたのですね」
「……ええ。町の件でちょっと」
私の言葉にダニエル子爵は「やはり」と頷く。
「私も町を占領することには反対でした。いくら勝つためとはいえ町を戦場にし民を巻き込むのは……。だが伯爵は己の取り巻きと共に強引にことを押し進めようとしている」
ダニエル子爵は足を止めバードン伯爵の陣の方に振り返った。
「最近のバードン伯爵の専横は少々目に余るところがある。まるで己が大公かのように振る舞い、我らを顎で使っている。挙兵時、我らは対等の立場であったはずなのに」
反乱当初は何をするにも必ず諸侯を招いた軍議を行っていたという。
だが戦いが長引くにつれてバードン伯爵は己の権限を強めていき、今では自分と親しい者たちとのみ軍議を開き戦を進めてしまっている。
そのことにダニエル子爵や何人かの貴族は反感を抱いているという。
「この反乱はレクター大公の暴政によりシェードランが滅ぶのを防ぐというものだったはず。ラウレンツ様が無くなった今、我らはルナミア様、貴女にお仕えすべきだと私は考えているのだ」
「それは……。私はまだまだ青二才ですし、ただシェードランという名があるだけの田舎貴族。そのような……」
「その名こそが大事なのです。今やシェードランは二人のみ。そして我らが守るべきシェードランは貴女だけの筈だ」
ダニエル子爵は私の目をしっかりと見てきた。
私も彼の視線から目を逸らさずにしっかりと見つめ返すと首を横に振る。
「私は大公になるつもりはありません。従兄を倒し、大公に成り代わればただの簒奪者になります」
「ではレクター大公排除後、シェードラン家をどうするおつもりか?」
私は沈黙する。
そうだ、レクターを排除したらシェードラン大公家を率いる者が居なくなる。
私は今まで自分の領地と民だけを守れればいいと考えていた。
だが本当にそれだけでいいのだろうか?
同じシェードランとして私がすべきことは……なんだろうか?
「……どうやら困らせてしまったようだ。申し訳ない。だが先ほど言ったことは考えておいてください。内戦勝利後、貴女は大きな決断を下さなければいけない」
「…………」
「さて、では私はそろそろ。ああ、そうだ。一つ覚えておいてください。貴女が”決断”したとき、ついて行こうと思っている者は決して少なくないと」
そう言うとダニエル子爵は去っていった。
私はその背中を見送るとまた夜空を見上げる。
そして思わずこう呟くのであった。
「みんな、私に何かをさせた過ぎよ……」
※※※
辺境伯軍の陣でエルは自分の大弓の手入れをしながらビンに入った酒を飲んでいた。
コーンゴルドから持ってきた強い酒だが冬の夜にはちょうどいい。
喉から胃にかけて熱くなり体が温まる。
これで何か食べるものがあれば最高なのだがまあそれは我が儘だろう。
「それにしても……海の匂いは慣れませんわね」
森育ちには海の生臭さは強烈だ。
海から結構離れた此処でも鼻の奥を刺激されているような感じがする。
森といえば先日妹から手紙が届いた。
森にリーシェ・シェードラン一向がやって来たこと。
"聖域"が襲撃されたこと。
そしていつ帰って来るのかという話だ。
妹には悪いがまだ森に帰る気は無い。
外の世界は退屈な森と違い刺激的だし友人も多くできた。
いつか妹にも外の世界を知って欲しいと心から思っている。
ふと右の方を見ると見慣れた鉄塊が此方に向かって来ていた。
鉄塊は兜のバイザーを上げると「お疲れさまですぅー」と手を振って来る。
「そちらこそ。こんな時間まで打ち合わせですの?」
「はぃー。ついに明日がウチらの初陣になりそうですからぁ」
「大変そうですわね。でも部隊を任されるなんて大出世じゃありませんの」
クロエが私の飲んでいた酒瓶を見ていたので「飲みます?」と手渡すと彼女は一口酒を飲んだ。
そして「つよっ!?」と咽せると慌てて此方に酒瓶を返して来た。
「エルさん、相変わらず強いお酒を飲んでいるなぁ」
「体が温まりますから」
私が酒を一気に飲むとクロエは感心したような表情を浮かべた後私の隣に座った。
「……なにか悩みごとでも? 部隊の指揮が上手くいっていませんの? このちんちくりんがーとかどう見ても人の皮を被ったリスにしか見えないとか」
「エルさんウチのことなんだと思っているの?」
「大事な仲間ですわ」と言うとクロエに半目で睨まれた。
まあまあと彼女を宥めると「で? 相談なら乗りますわよ?」という。
「んー……。悩みごとは特にないなぁ。皆とっても優しいし、なんか良く食べ物貰えるし」
「それ、餌付けされてません?」
大人たちに囲まれお菓子を頬張るクロエを想像した。
うん、やはりリスだ。
「まあちょっと気になることがあるとしたらみんな少し非力かもってことかなぁ」
「非力……。非力? いや、まあ貴女に比べたらみんな非力でしょうけれども……」
クロエの部隊は辺境伯軍でも力自慢の屈強な男たちが集まった部隊だ。
見た目からして非力から程遠い連中だがこの小リスはこう見えて辺境伯一の馬鹿力だ。
彼女からしたらトロールすら赤子のように見えるだろう。
「やっぱり緊張するなぁって。ウチ、ついこの間まで平民だったんですよぉ? それが気がついたら部下が出来ててもう何が何だか……」
「兵の指揮をしたくない?」
「うーん、どうだろぉ。緊張してるけどルナミア様の期待に応えたいなぁ。でも失敗したら怖いなぁって。エルさんはこういう時どうしてるぅ?」
ふむ。
私も何回か兵を率いたことがある。
今ではもう慣れてしまったが初めての時はどうしていただろうか?
「そうですわね……。わたくしも最初は緊張しましたわ」
「エルさんも緊張するんだねぇ。年中頭にアルコール回ってそうだけどぉ」
「たまに口が悪くなりますわね、このリストロール……」
「それって誉め言葉?」
「ええ、褒めてます」
「そうかぁ」とクロエは笑う。
まったくこの子は不思議な子だ。
暢気に見えて結構物事を考えている。
私はこの子が嫌いではない。
話しているとなんだか癒される。
「わたくしはいつも緊張した時は……」
「……した時は?」
「これを使いますわ」
酒の入った瓶を手に取るとクロエが「やっぱりお酒かぁ」と笑った。
人生はほろ酔い気分で謳歌したほうが良い。
私はそう思い常に酒を片手に生きているのだ。
「まあ敢えて言うならば変に肩肘張らずにいつも通りにやればいいだけですわ」
「それが難しいんだけどなぁ」
「確かに」と頷くとクロエが私から瓶を引っ手繰ってゴクリと酒を飲んだ。
そしてすぐに咽るが笑い、「ま、頑張る!」とガッツポーズをする。
私もそれに頷きを返すと我らが主であるルナミアが陣に戻ってきたのが見えた。
エドガーがすぐに彼女と何かを話し合い始めており、その様子を見た私たちは立ち上がる。
「さて、わたくしたちも行きますか」
「そうだねぇ。あ、少し酔った」
「……大丈夫ですの?」
クロエは「大丈夫、大丈夫ー」と言い歩き始めるがなんだか少しふらついているような気がする。
明日、戦があるのに大丈夫だろうか。
そしてあんな状態のクロエがルナミアに見つかったら私が叱られる気がする。
まあ今更遅い。
素直に叱られに行こうと思い、私もクロエの後を追ってルナミア達の方に向かうのであった。
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