第34節・雪下の邂逅


 オースエン領北西にあるサルドアの町。

アルヴィリア四大交易都市の一つであり、もともとオースエン家の領土であったがベールン会戦後にガルグル大公家に譲渡された都市である。


 新年祭を三日後に控え、サルドアの町は昼夜お祭り騒ぎとなっており雪の降る寒い夜だというのに人々は通りに出て酒を飲み騒いでいた。


 そんな町にある高級酒場から二人の男女が出てきた。

一人は見るからに裕福そうな恰幅の良い中年の男であり、もう一人はその男と腕を組んだメリナローズだ。


 男の方は酒に酔い、顔を赤くしながら上機嫌に鼻歌を歌う。


「ふふ、おじ様。いいお酒でしたわ」


 メリナローズがそう笑みを浮かべて言うと男は「そうだろう!」と笑った。


「お前の為にあのボトルはキープしておったのだ。私もお前のような美女と上等な酒を飲めてとても良かったぞ!」


 男はそう言うとメリナローズの腰に手を伸ばしてくる。

それを軽くいなすと「さて、心寂しいけど今夜はここまで……」と男から少し離れる。


「おお! そんなことを言わんでおくれ! 宿を取ってあるのだ。普通じゃ泊まれない貴族向けの宿だぞ? どうだ、一緒に?」


 メリナローズは内心ため息を吐く。

酒場で酔わせてさっさと終わらせようと思っていたのだが結局こうなってしまった。

正直に言うとそういうことは嫌いじゃない。

私は快楽主義者だ。

ちゃんと楽しませてくれるなら一晩共にしてもいいがこの男、どうみても自分だけ満足してしまうタイプの人間だ。


「追加の金ならいくらでも払う! ほれ、どうだ!!」


 男に小さな袋を手渡され、中身を見てみると金貨がぎっしりと詰まっていた。


(わぁお……大金)


 ここ最近移動が多いため少々資金難になっていた。

この金貨を見ると少し心が揺れ動く。


(あんま気分じゃないけど……。ま、いいか)


 理由は良く分からないが最近あまり男に抱かれたいと思わなくなった。

シても面倒くささと虚しさが勝り楽しめないのだ。


(テキトーにしてあげてさっさと眠らせるかにゃあ……)


 営業スマイルを浮かべ「素敵な夜にしましょう」と言うと男は大喜びで「では宿に行こう!」と歩き始める。

やれやれ……雪空の中、女を置いて先に歩くのか。


「……ま、そんなもんよね」


 小声で呟くと男が「どうした?」と振り返った。

それに「なんでもないですわ」と言うと歩き始め、男と腕を組む。

それだけで男は鼻の下を伸ばしている。

まったくもって単純だ。

男なんて従順なふりをして少し色仕掛けをすれば簡単に堕とせる。

この手が効かないのは一部の朴念仁か堅物だけだ。


(朴念仁の堅物、か。エドガー君は今、どうしてるかなぁ……)


 シェードランは内戦で大変なことになっている。

コーンゴルドも結局巻き込まれつい先日大公軍の襲撃を受けたと聞いている。


(……まあ、この内戦自体アタシたちが裏でコソコソとやった結果なんだけど)


 ”蛇”の目的を果たすためには大きな戦が必要なる。


 ”大祭司”は本来の計画を繰り上げディヴァーンの侵攻に合わせて独断で動いたが結果はアレだ。

奴が消滅し、奴に従った”蛇”も姿を消したため残った者だけで計画を実行しなければいけない。

その為にこの二年近くアルヴィリア中を飛んだのだ。


(矛盾、ね)


 自分でも矛盾していると思う。

エドガーやルナミアには静かに暮らしていて欲しいと思っている。

しかし彼らを己の目的の為に強制的に巻き込んでいる。

アタシが本当に願っていることは……何だろうか?


 足が止まった。

男が「どうした?」と首を傾げるが、アタシは前方を見たまま動けないでいた。


 殺気だ。

殺気の塊のような男が大通りに立っていた。


 銀の短い髪を逆立出せ、人とは思えない白い肌を持った男。

男は雪が降っているというのに上半身裸で引き締まった肉体から放たれる強烈な、獣のような殺気を全方向に振り撒いている。


「なんだぁ……? あの男は?」


「……おじ様、下がったほうが良いかも」


「おいおい、どうした? 確かに変人だが怖がる必要はない。いざとなったら私が……」


 直後、白い男が指から何かを放ち、アタシは直ぐに隣にいる男を蹴飛ばして吹き飛ばす。

すると男の頭があった場所を石が通過し、後方にいた別の人間の腕に当たり腕が爆ぜた。

腕が突然爆ぜた男は悲鳴を上げのたうち回った後死んだ。

その光景に人々は一瞬静まり返り、それから悲鳴を上げて逃げ出し始める。


「指弾……。とんでもない速さね」


 白い男を睨みつける。

すると男は野蛮な笑みを浮かべて「よお」と声を掛けてきた。


「テメェ、アレだろう? ”蛇”、”大淫婦”だっけか? なるほど、文字通り男を誑かしてるってわけかよ」


「えー? 違いますぅ! ひとちが……ッ!?」


 危険を感じ、咄嗟に後ろに跳ぶ。

すると先ほどまで立っていた地面を白い男が殴打し、地面を砕いた。


「ちょっと! 人違いだって言ってる最中でしょうが!!」


「ああン? 馬鹿かテメェ? 普通の人間がそんな動き出来るわけねェだろうが!! それに、オレの目にははっきりと映っているんだよ。テメェの本性が」


 不気味な金の瞳が此方を睨んでくる。

それは全てを見透かし、そして今にもあふれ出そうな破壊衝動を抑えている目だ。


「……アンタ誰よ?」


「オレか? オレは……ツヴァイって呼ばれている。まあ、名前何てどうでもいいだがな? オヤジが名前が無いと呼ぶときメンドクセーってウルセエんだよ」


 面倒くさそうにツヴァイと名乗った男は頭を掻くと「で?」と首を傾げた。


「さっさとヤろうぜ? テメエ、”使徒”なんだろう? 今まで狩ってきた連中は雑魚過ぎてまったく満足できなかったが……オレを失望させてくれるなよ?」


 ツヴァイから凄まじい闘気があふれ出る。

これは……ヤバイかもしれない。

もう、体中のあらゆる場所が警鐘を鳴らしている。

お前、死ぬぞって。


「お前らはもう用済みなんだってよ。だから一人残らず狩る。で、狩られるんだったらオレを楽しませろよ。滾るような戦いをできたら、死んだ後にお前を使ってやってもいいぜ」


「……うわ、最低発言。アンタ、ネクロフィリア?」


 左足を一歩下げながらそう言うとツヴァイは「気持ちよけりゃあ、殺し合うのも、死んだ奴を犯すのも別にいいだろうが」と言った。

うん、こいつ快楽主義者だ。

頭イッちゃっている系のヤバい奴。

こっちは節度を守って快楽主義やっているってのに……。


「そんなに気持ち良くなりたければ……一人でシてろ!!」


 話している間に物陰から回り込ませていた魔力の鎖を放つ。

背後。

相手の死角からの完全な奇襲。

敵がヤバいのなら不意を突いて速攻でやるしかない。


「アん? なんのつもりだ?」


 鎖を掴まれた。

背中から心臓を狙った鎖を見もせずに素手で掴んだのだ。

ツヴァイは手に力を籠めると彼の拳が赤熱化し、魔力の鎖が砕かれる。


(うっそ!? 普通素手で壊す!?)


 あの鎖は自分の魔力を込めたものだ。

鋼なんかよりも遥かに強靭で、鞭よりも柔軟に動く。

それを容易く素手で壊すなんて信じられない光景だ。


「おいおいおいおい、つまらねェことするなよ? 正々堂々、楽しもうぜェ!!」


 ツヴァイが地面を蹴った。

その衝撃で地面が割れ、一瞬で目の前に踏み込んでくる。

放たれた正拳突きに対して咄嗟に右腕から鎖を伸ばし、近くの建物の柱に巻き付けて建物の方に移動する。

敵は正拳突きを外すとすぐに追って来るが左腕から鎖を伸ばし、近くにあった樽を掴むと投げつける。


 ツヴァイは片手で樽を粉砕し、そのまま突っ込んでくるがその僅かな隙にもう一度鎖を別の建物の柱に巻き付けて移動した。


(逃げよう!! さっさと逃げよう!! あんな奴と戦ってられないっての!!)


 敵との力の差は歴然だ。

ならばさっさと逃げてしまうのが一番。

近くの家屋の窓を突き破り部屋の中に飛び込むとすぐに窓の外を見る。


「……うっそ」


 敵が右手に巨大な火球を作り出していた。

そして此方が逃げ込んだ家屋目掛けて放ってくる。


(こんな町中でそういう技使う!?)


 咄嗟に近くのテーブルを倒しその陰に隠れる。

火球は家屋に直撃し、凄まじい熱と衝撃で壁を粉砕した。

テーブルの裏で体を丸め、頭を抑える。

テーブルに幾つもの壁の破片が刺さるがどうにか凌いだ。


「あんにゃろぉ……。好き勝手やってくれるじゃない」


 ゆっくりとテーブルから体を出すと様子を伺った。

崩れた壁の近くには焼け焦げた女性の死体と建物の残骸に押しつぶされた男の死体が見える。

この家の住人だろうか?

申し訳ないことをしたが運が悪かったと思って欲しい。

飛び込める家がちょうどここだったのだ。


(後は……煙が蔓延している間に逃げ……!!)


 部屋の中から物音がした。

すぐに鎖を生み出し身構えると部屋の隅に幼い少女と少年が居た。

少女は少年を庇いながらも怯えた表情をしており、その姿を見て思わず息を呑む。


「君たち、ここの子……?」


 そう訊ねると少女が無言で頷いた。


 恐らくこの子供たちはそこに転がっている死体たちの子供だろう。

親と共に死ねず運が悪いのか、良かったのか。

兎も角この子たちは生き残ってしまった。


(……って、さっさと逃げるのよ)


 外にはまだツヴァイの気配がする。

敵は此方の出方を伺っているようで向こうから動くつもりは無いらしい。

この状況では家屋から飛び出したらすぐに攻撃を受けるかもしれない。

どうやって逃げ出す隙を作るか……。


「…………」


 ふと怯え、泣いている子供たちを見る。

この子たちを囮に使えば隙を作れるだろうか?

そうだ、使え、使ってしまえ。

お前はいつもそうやって逃げてきただろう。

誰かを犠牲にして、意地汚く生きるのがアタシの美学だろうが。


「ねぇ……君たち」


 子供たちはアタシの声に怯える。

可哀そうに。

立ち向かう力も、逃げる力もないから怯えているしかない。

だったらアタシが━━。


「━━外に怖いオジサンがいるから、アタシが飛び出したら直ぐに家から逃げ出しなさい」


 何を言っているんだアタシは?

その子たちを囮に使うんじゃなかったのか?

なんでそんな善人ぶったことをするんだ。

メリナローズ、お前の手はとっくに汚れ切っているだろう?


「家を出たら兎に角離れるの。振り向いちゃ駄目。怖くても走り続けて。二人とも、できるかにゃ?」


 優しく微笑むと姉の方が必死に動いた。

アタシは姉の頭を「よしよし」と撫でると外の方を睨みつける。


「さあて、いっちょカッコいいことしてみますか!!」


※※※


 幾つもの鎖を召喚して、家のあらゆる家具に巻き付けると一斉に敵に向かって投げつける。

それと同時に飛び出し、突撃を敢行した。


 ツヴァイは投げつけた家具を炎を纏った左手で焼き払うと怪訝そうな顔で此方を見た。


(困惑してる、困惑してる!!)


 そりゃ困惑する。

さっきまで逃げてきた奴がいきなり真正面から向かって来るのだもの。

何か罠があるのかと警戒するはずだ。


(そんなもの無いけどね!!)


 無数の鎖をあらゆる方向から時間差で放つ。

一本一本のタイミングが異なり、背後以外の全方向からの攻撃だ。

このすべては躱しきれまい。


「……なんの真似だ?」


「!!」


 危険を感じた。

突撃する足を止め、後ろに跳ぼうとする。

それよりも速くツヴァイはその場で叩きつけるに地面を足で踏み、業火と共に凄まじい衝撃を生じさせる。


 展開していた鎖で壁を作り攻撃を防ごうとするが吹き飛ばされ壁に叩きつけられる。

そしてそれと同時に一気に接近してきたツヴァイに片手で首を絞められ持ち上げられる。


「……っかっはぁ!?」


 息が出来ない。

必死に足をばたつかせツヴァイの腹を蹴るが彼は歯牙にもかけず、失望したような眼で此方を見てくる。

そしてそのタイミングで家から子供たちが飛び出してしまった。


(うわぁ……タイミング最悪!!)


 姉弟は約束通り一気に逃げ出そうとするがそれを見たツヴァイが「止まれやッ!!」と怒鳴り、姉弟の足が止まってしまう。

二人が怯えた表情で振り返るとツヴァイはアタシの首を絞めたまま一気に姉弟の前に移動し、姉の方の頭を開いている方の手で鷲掴みにする。


「おい、まさか……この餓鬼どもを逃がすためにあんな阿呆みたいなことをしたんじゃねぇだろうな?」


「……その……子……たちは、かんけい……ないでしょう!!」


「マジかよ……。マジでこんな餓鬼の為にサメたことしやがったのか……」


 首を絞める手の力が強まる。

マズい、窒息よりも先に首の骨を折られそうだ。

必死にもがくがどうにもなりそうにない。


「餓鬼ども。テメエらもテメエらだ。折角の戦いに水を差しやがって。雑魚は雑魚らしく隅っこでくたばってろがっ!!」


 姉弟は完全に怯えてしまい、ただ立ち尽くすしかなかった。

ツヴァイは姉の方に強烈な殺意を向ける。

マズい。

このままではあの子が殺されてしまう。


「あん……た、のあい……ては……アタ……っぐあ!?」


「黙ってろよ売女。もうテメエにゃ価値がねえんだ」


 価値が無い。

アタシが?

そうだ。

アタシは何時だって価値が無い。

何もできない。

ただ人のいいなりになるだけの人間。

無価値で、誰かの為にいいように使われるだけ。


「ち、く……しょう……」


 それが嫌だったから、アタシに価値があると言ってくれる人に出会えたから変わったのに。

変わろうとしたのに。

"あの子"と契約し、願いを果たそうとしたのだ。

でも結局アタシは無価値で、何もできないっていうことか……!? 


 悔しさのあまり涙が出てくる。

これがアタシの終わり?

"あの子"との誓いも、"あの人"が望んだ世界を創れずに死ぬ?


 ふと脳裏に”彼”の姿が浮かんだ。

”あの人”に似ていて異なる青年。

馬鹿みたいに正義に憧れ、不器用な男。

まったく、確かにアタシは”大淫婦”だ。

最期の時に二人の男を思い浮かべるなんて……。


 覚悟を決め目を閉じた瞬間、ツヴァイが首から手を離した。

地面に転がり、咳込みながら呼吸を必死でする。

どうして殺さない?


「……テメエは?」


『随分とやりたい放題をしてくれたな』


 声が聞こえた。

くぐもった声。

知っている。

この声と、この神聖さすら感じる鋭い闘志は……。


「━━”殉教者”!?」


 ツヴァイが顔を向けている方。

そこには漆黒の鎧を纏った騎士が立っているのであった。


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