乱雲の章

 ~享楽の自由都市編~

第1節・自由都市の傭兵娘


 冬。


 木々は枯れ果て、草原は緑から茶に色を変えている。

肌を刺すような寒さの中、二つの集団が対峙していた。


 一つは青と赤の旗を掲げた集団で、その数は三千程。

彼らの装備はバラバラで士気もかなり低かった。


 もう一つの集団は金の旗を掲げており、相手の倍近い兵が布陣しており、装備も上等な物を配給されている。


 両者はしばらく睨み合いを続けていたが先に金の旗の集団が動いた。


 弓兵隊が矢を放ち始め、それに対して青と赤の旗の集団も応戦を開始し始める。

互いに暫く弓矢による射撃戦を繰り広げ、やがて青と赤の方が突撃を開始する。


 それに対して金の旗の集団も前進し始め、両者は激しい衝突を行い始めた。


 そんな両者の様子を少し離れたところから見ている男たちがいた。

彼らは武器の手入れをしながら戦況を見守っており、茶色い髪に痩せ細った男が寒さに身震いしながら隣にいる大男に話しかけた。


「それにしても、ドン・マルコもこんな冬に戦をしなくてもいいのに……。ボス、そう思いません?」


 そう言うと黒髪に口髭を生やした大男はため息を吐く。


「アルヴィリアが滅茶苦茶になっている間にことを済ませたいんだろうよ。現に反マルコ軍はシェードランに助けを求めているらしいしな。ドン・マルコに逆らう自由都市は司教区を除けばあとゲーテとウォルツァのみ。ゲーテも今日の戦で降伏するだろうよ」


 自由都市。

エスニア西部に存在する7つの都市国家。

かつてはアルヴィリア王国の傘下にあったが、第一次ディヴァーン侵攻により王国が窮地に追いやられると独立。

その後自由都市は同盟を結び、 自由都市同盟という勢力になった。


 自由都市同盟は軍事力ではアルヴィリアには劣るものの経済力で対抗し、ディヴァーンとの戦いで疲弊したアルヴィリアは自由都市同盟の独立を認めた。

その後自由都市同盟はアルヴィリアとも関係を改善し、エスニア西部の一大勢力になった。

自由都市同士は協力し合い、平和的に同盟を発展させようと誓い、エスニアで最も莫大な金が動く地帯となったのだ。


 しかし、今から数年前に状況は一変する。

自由都市同盟の中でも最も経済力が強い商業都市ファスローにある男が現れた。


 ドン・マルコ。

裏社会を牛耳っていた男がその勢力を表にも伸ばし始め、ファスローの都市長を殺害するとそのまま町を支配。

そしてファスローを中心に各自由都市にも勢力を伸ばし始め、ついに自由都市の武力制圧を開始し始めた。

それに対して他の自由都市は結束し、抵抗したがドン・マルコによる度重なる暗殺やその資金による圧倒的な兵力を前に一つ、また一つと自由都市は陥落していった。


 そして今やドン・マルコに歯向かっているのは港湾都市ゲーテと交易都市ウォルツァのみとなった。

この二都市はアルヴィリア王国に救援を求めたがそのアルヴィリア王国で内戦が始まってしまう。

ドン・マルコはこれを好機と一気に侵攻を始め、この冬の戦に至る。


「しっかしどうなるか分からないもんすねえ。アルヴィリア、王子が王を殺したっていうんでしょう? それを弟が糾弾して内戦になっちまうんだから……」


 やせ細った男に大男は「確かにな」と言うと戦場を見る。

自分たちは予備の戦力としてドン・マルコに雇われた傭兵だ。

この分なら今回の戦で仕事はなさそうだが……。


「ん……? おい、押されてやがるぞ」


 大男が指さし、そう言うと傭兵たちはその方向を見る。

そこでは優勢だったはずのファスロー軍がゲーテ軍の猛攻撃によって押され始めている。

まさに窮鼠猫を嚙むというやつだ。


「ありゃりゃ。こりゃヤバいんじゃないですかい?」


 やせ細った男がそう言うと大男は口元に笑みを浮かべる。


「味方のピンチは俺たちの稼ぎ時だ。おい! シア!! 戦況はどうなっている!!」


 大男は近くにある木の上に向かって大声を出すと、木の上から「んー……、左翼が伸びてるかも?」という少女の声がした。


 木の枝の上で、銀の髪が靡いていた。


 褐色の肌に銀の髪。

そして赤い瞳を持つ少女。

シアと呼ばれたゼダ人の娘は遠くの戦場を見つめながら「やっぱり行くなら左翼かな?」という。


※※※


 私は木の上から改めて戦場を見渡した。

ファスロー軍は確かに押されているがゲーテ軍も勢いに任せた突撃を行っているため隊列が伸びている。

特に左翼側が突出しており、逆に包囲されかねない状況だ。


 私は木から飛び降りると団長━━━━ゼーグの前に行き、「あの辺、叩いたら多分崩れるよ」と言う。

それに団長は満足そうに頷くと隣にいるやせ細った男━━━━ボリバルに「よし! 突撃の準備だ!」と言う。


 私はその場でストレッチをすると傭兵の仲間から武器を受け取り、点検をする。


 私の手にあるのは槍だ。

だが普通の槍ではなく両端に長い刃がある特殊な槍、双刃刀と呼ばれる武器だ。

扱いの難しい武器であるが私は何故か槍の扱いが得意で体幹も優れているらしいから使ってみている。

昔、槍を振って戦っていたことがあるのだろうか?


「よーし! てめえら!! 一番敵をぶっ倒した奴に特上の酒を奢ってやる!!」


「うっしゃあ! やるぜえ!!」


 傭兵たちが盛り上がり、私もとりあえず「おー」と言っておく。

ふむ、酒か。

私も何度か飲んでいるが凄く好きというわけではない。

だが団長が奢ってくれるというのであれば頑張ってみるか。


 団長が巨大な戦槌を手に持つと私の方を見る。


「で、どうする? いつものように斬りこむか?」


「ん。やるね。何人か来て欲しいけど……」


 そう言い、傭兵たちの方を見ると何人かの傭兵が挙手をした。


「我らが戦女神の頼みとあっちゃなあ!」


「姐さんについて行くのが一番儲かる!!」


 私は彼らに手を振ると双刃刀の柄をしっかりと握りしめ頷いた。


「うん。じゃあ、行くね」


 その言葉と同時に駆け出し、敵に向かって突撃を開始するのであった。


※※※


 ゲーテ軍の兵士たちは大いに高揚していた。


 戦が始まる前は倍近い相手に絶望に近い感情を持っていたがいざ戦が始まるといつの間にかに優勢になっていた。

もしかしたら勝てるかもしれない。

ついにあの暴虐なるファスロー軍を打ち破れるのかもしれない。

そう考えると気持ちが昂ぶり、仲間と共にどんどん敵を押し込んでいく。


 対するファスロー軍は楽に勝てる戦の筈が思わぬ苦戦を強いられ動揺していた。

もともとファスローの兵士たちは金で雇われた傭兵が殆どで士気はあまり高くない。

一度苦戦し始めると崩れ始めてしまうのだ。


「いけるぞ! いけるぞ! 押せ! 押すんだ!!」


 誰かが叫ぶ。

それに続いてゲーテの他の兵士たちも次々と叫び始め、敵を大きく押し込んでいく。

だが彼らは気が付いていなかった。

あまりの高揚感に側面への警戒を怠ってしまっていた。


「お、おい!? 横! 来るぞ!?」


 誰かがそう言った時、ゲーテ軍の左翼側で悲鳴が上がった。

兵士たちが次々と倒れていき、何かが左翼と中央の間に斬りこんでくる。


 それは少女だ。

銀の髪を光らせながら黒い皮と鎖の鎧を身に纏い、双刃刀を振るうゼダ人の少女。

彼女はゲーテの兵士たちが動く前に凄まじい速度で突き進んでいき、そこに彼女の仲間と思わしき男たちも突入していく。


「く!? 新手か!! 誰か、アイツらを止めろ!!」


  兵士の一人が慌ててそう言うが既に手遅れだった。

伸びきっていた隊列への横からの強襲は効果覿面であり、ゲーテ軍は分断される。


 その様子を見たファスロー軍が盛り返し、この戦いはゲーテ軍の敗走という形で幕を降すのであった。


※※※


 エスニア歴999年。

エスニア大陸は大いに揺れ動いていた。


 ディヴァーン朝ではベールン会戦の敗北以降各地で反乱が勃発。

ディヴァーンは反乱鎮圧に専念することになる。

また、この反乱に乗じてザドアの地にてザイード・ヴェルガか新ヴェルガ帝国を名乗り周辺の反ディヴァーン勢力と合流・救出を繰り返し、急速に勢力を拡大した。


 一方、アルヴィリア王国でも大事件が発生した。


 アルヴィリア王ゲオルグ・アルヴィリアが急逝したのだ。

突然の王の死に王国は動揺するも第一継承者のエリウッド・アルヴィリアがすぐに国をまとめ上げ、国の混乱は収まるかのように思われた。


 しかし突如として弟のクリス・アルヴィリアがゲオルグ王を弑逆したのは兄であると告発。

アルヴィリア王家が簒奪によって生まれたことなどを次々と公表し、アルヴィリア王国は大混乱に陥る。


 これに対してエリウッド王子はクリス王子を拘束しようとするが、クリス王子は間一髪のところでオースエン大公のもとへ駆け込んだ。


 こうして王国はエリウッド王子派とクリス王子派に分かれ、対立を深める。

両者は睨み合いのまま数ヶ月が過ぎるが、エリウッド王子の貴族たちがオースエン大公を強襲し、殺害したことにより一気に戦いの炎が王国中に広がった。


 オースエン傘下の諸侯らは激怒し、シェードラン大公と共に挙兵。

それに対してエリウッド王子側にメフィル・ガルグル大公が味方しアルヴィリアは二つに分かれ、内戦に突入したのであった。


※※※


「今日の勝利にー! カンパーイ!!」


 ファスローの町にある酒場にてゼーグ率いる傭兵たちは祝杯を挙げていた。


 ゲーテ軍との戦いにおいて傭兵団の突撃が決め手となった。

あの突撃により敵は敗走し、ファスロー軍も損害が大きかったため一時後退。

そして傭兵団はドン・マルコよりたっぷりと褒賞を貰ったというわけだ。


 金の匂いを嗅ぎつけた商売女たちも集まり、傭兵たちは右手に酒、左手に女のお祭り騒ぎだ。

手に入れた金の半分をその日のうちに浪費してしまうその生き方は刹那的だが理想的にも思える。


 私はそんな彼らを少し離れたカウンター席から眺めるとエールの入ったジョッキに口をつける。


 彼らとは一年くらいの付き合いになる。

皆、粗暴で女癖が悪いが悪漢というわけではない。

私のような身元不明、記憶喪失のゼダ人に対しても普通に接してくれる。


「ったく、気持ちは分かるが騒ぎすぎだぜ」


 エールを飲んでいると団長が私の横に座り「女将! 俺にもエール一つ!」と注文する。


「あいつらもお前みたいにもっとつつましくなって欲しいもんだぜ」


「そう? 私は嫌いじゃないよ?」


 団長が女将からエールを受け取ると「乾杯」とジョッキを私の方に突き出してきたため、私は団長と乾杯する。


「で? お前は今回も孤児院に全部渡すのか?」


「うん。生活に最低限なお金さえあればいいから」


 と言ったものの今回の報酬は少し使おうと思っている。

着ている鎧がそろそろ痛んできたため、修繕するか新調しようと思っていたのだ。

鎧が無くては仕事ができない。

仕事が無くては生きていくことはできない。

世の中お金に支配されていると思う。


「例のおチビちゃんは相変わらず目を覚まさないのか?」


「……うん。お医者さんとかにもいろいろ見てもらっているけど原因不明だって」


 孤児院にはずっと眠り続けている少女がいる。

私と共に院長に拾われた少女であったが酷い怪我が治ったあとも目を覚まさないでいるのだ。


「私たち、本当にどこから来たんだろうね? 院長に拾ってもらった時は傷だらけだったらしいし、目を覚ましたら記憶がないし。あと、なんか戦う技術は覚えていたし……」


 院長曰く、私たちは森の中で倒れていたらしい。

小さな少女が大怪我を負いながらも私を守るように覆いかぶさっており、院長は最初私たちを野盗に殺されたのだと思ったらしい。


 私たちに息があると分かると院長は応急手当をした後、町の男たちを呼んで私を孤児院に運び込んだ。

そしてそれから数十日私は眠り続け、目を覚ましたと思ったら過去のことを全て忘れていたのだ。


 私の”シア”と言うのは院長がつけてくれた名前だ。

小さな少女が一度だけ寝言でシアと言ったのを聞いたため、私の名前にしたらしい。


「やっぱ、過去を知りたいか?」


 団長に言われ、私は少し考えると頷く。

傷だらけで倒れていたことを考えると酷い目にあっていたのかもしれないが、やはり自分のことは知りたい。

私はどこから来たのか? どうして大怪我を負っていたのか? あの少女は誰なのか……。


「まあ、分からないものを焦ってもしょうがないって思っているから。のんびり思い出す」


「なんつーか、相変わらずマイペースというか肝っ玉がデカいというか……。案外と昔も傭兵だったのかもな」


 それはあり得る。

槍を扱えることや戦いにおける知識を体が覚えていた。

記憶を失う前から戦場に居たのかもしれない。


「おー! おー! お二人さん、なんだぁ、真面目な顔しちゃって!」


 腕に女を抱きながら酔っぱらったボリバルがやってきた。

彼がしゃべる度に口から物凄い酒の匂いがする。


(相当呑んでいるね、これ)


 ボリバルは私のことをいやらしい目で見てくるとしゃっくりをし、にやける。


「どうよ、シアちゃん。俺様といいこと、しない? 金なら払うぜぇ……!」


「ちょっと! あたしはどうなるんだい!」


 腕の中の女がそう言うとボリバルは「じゃあ、三人で!」と下品な笑いをする。

この男、昔から苦手だ。

ずる賢く、大の女好き。

まさに快楽主義者といった感じの人物だ。


「……そういう冗談は嫌いかな?」


 私がそう言うとボリバルは「あーん?」と眉を顰めた。


「なんでい、せっかく俺様が誘ってやってるっていうのに。お前みたいなゼダ人の女とあそんでやるのは寛大な俺様ぐらいだぜ?」


 流石に不愉快だ。

私はボリバルを睨みつけると彼は少し怯む。

それから彼は舌打ちをすると「あーあ、しらけた」と元の席に戻っていく。


「……すまんな。何かとあいつはお前に絡んでるみたいだが……」


「まあ、出会いが出会いだからね。恨まれてるかも」


 ボリバルとの出会いははっきり言って最悪だった。


 院長に拾われてから私は自分で稼ごうと思い、町で仕事を探していた。

しかし女、それもゼダ人が普通の仕事を見つけるのは難しく、アレな仕事ばっかり紹介された。

流石に自分の身を売るつもりは無いので全て断り困り果てていたらあの男が声を掛けてきたのだ。


 あの時もボリバルは酔っぱらっており、私を商売女と勘違いして絡んできたのだ。

私はそう言う仕事はしてないと何度も断ったがボリバルはしつこく、ついに強引に掴みかかってきたので思わずボコボコにしてしまった。


 その後、ボリバルが私に張り倒されたことを知り団長がやってきて彼は私に傭兵団に入らないかと誘ってきた。

身体を売る仕事より数倍マシだと思ったため私は傭兵団に加わり、そして今に至るというわけだ。


「あとできつく叱っておく」


 そう団長が言うと私は頷き、エールを飲み干した。

そして席から立つと足元に置いてあった自分の荷物を持ち上げる。


「私、帰るね。また仕事があったら誘って」


「おう! まあ、当分は戦はなさそうだがな。稼げそうな仕事があったら紹介してやる」


「ん、ありがと」


 そう言い酒場の出口に向かうと途中で傭兵たちが私に気が付き「シア! またよろしくな!!」と手を振ってきた。

それに手を振り返すと私は酒場を出るのであった。


※※※


 商業都市ファスロー。

自由都市の中でも最も強大な経済力を持つ都市であり巨大な城壁の中に限界まで建物が敷き詰められた城塞都市でもある。


 自由都市同盟が崩壊する前から同盟の中心的都市であり、アルヴィリアとも繋がりが深かった。


 だが大いなる繁栄には影もあり、華やかな表通りから少しでも外れると犯罪組織などが跋扈する裏社会に入ってしまう。


 ドン・マルコはその裏社会の出身であり、もとは奴隷商であったがライバルなどを次々と殺し裏社会を掌握していくとそのまま表社会までをも飲み込んだ。


 今では町の表でも白昼堂々と怪しげな薬が売られ、広場に行けば毎日のように奴隷が檻に入れられて競売が行われている。

非常に危険な都市だが町中にある歓楽街などが人を惹きつけ多くの旅人が訪れ人で溢れかえっている。


 私は町の中央にある広場に足を踏み入れると奴隷商の競売を横目で見た。

そこには檻に入れられたゼダ人の少女がおり、彼女はボロ布のような服を着せられ全てを諦めたように立っている。


「…………」


 足が止まった。

あの光景、私は知っているような気がする。

妙な胸騒ぎがし、頭が少し痛くなる。


 すると奴隷商の一人が私に目をつけ、「あんた」と近づいてくる。


「あんた、ゼダ人だがその身なり、傭兵だろう? てことは金を持っているよな! どうだい? 奴隷を買ってみないか? 男がいいか? 年齢は? ガキから大人までそろえているよ? あ、もしかして女のほうがいいか? さっきあのガキを見ていたよな! そういう趣味ならもっといい娘を紹介するぜ? 殴っても良し、調教しても良し、あんたの好きなようにできる奴隷だ」


「……消えて」


 奴隷商を押し退け歩き出すと「なんだよ! ちょっと紹介しただけじゃないか!」と後ろから憤る声が聞こえてくるが無視だ。

本当に、酷い街だ。

皆目先の快楽に囚われ堕落して生きている。

この町では善悪の境界が曖昧だ。

誰もが簡単に悪事に手を染め、それを悪いこととも思わない。

本当なら出て行きたいが……。


「それはできない、よね」


 私はそう呟くと大通りを逸れ、路地に入っていく。


※※※


 路地を何度も曲がっていくと開けた場所に出た。


 大都会の隙間にポツンと建っている建物。

この町に昔からある孤児院だ。


 孤児院は二階建てで”私たち”の部屋は二階の隅っこにある。


 孤児院に近づくと外で遊んでいた子供たちが「あ! シアだ!」と言い、此方に向かって駆け出してくる。


「シア! 今日はどんな仕事だったの!? 悪党を倒したの!?」


「シアお姉ちゃん、なんかお酒のにおいするよ?」


「シアねーちゃん! 槍! 槍の練習に付き合ってよ!!」


 子供たちは私を囲み一斉にしゃべり始めるので私は笑いながらしゃがんで「ちょっと、休んでからね」と言う。


 すると孤児院の中から初老の女性が現れた。

彼女は私を見ると微笑み、子供たちに「ほらほら、シアが困っていますよ」と言う。


 子供たちは「ちぇー」と解散していき、私はそんな子供たちに手を小さく振ると女性の方に行った。


「マザー、ただいま帰りした」


「ええお帰りなさい」


 女性━━━━孤児院の院長であるマザー・カルラはそう言うと私が背中に背負っている荷物を見て僅かに眉を顰めた。


「また、戦に言っていたのですか?」


「う、うん。ほら、お金が必要だったし……」


 私は慌てて金貨の入った袋をマザー・カルラに手渡す。


「貴女が孤児院のためにお金を稼いでくれているのには感謝します。でも、やっぱり探せばもっと安全な仕事があるのではないかしら? 貴女が何時も誰かを殺し、殺されそうになる場所にいると思うと心配でならないわ」


 マザー・カルラは戦争で夫と子供を失ったという。

彼女は悲しみに明け暮れたがやがて戦争などで行き場を失った子供たちを引き受け、孤児院を立ち上げた。


 そんなマザー・カルラからしてみれば私の仕事は到底認められないだろう。

実際、傭兵に加わった時は彼女は激怒し、孤児院に入れてもらえなかった。


 今はどうにか認めてもらえたがマザー・カルラとしては私に傭兵を辞めて欲しいのだろう。


「……一応、他の仕事は探しているよ。でも今より良い仕事が無くて……」


 私が歯切れ悪くそう言うとマザー・カルラはため息を吐き、それから微笑んだ。


「まあ、いいでしょう。とりあえずは貴女が無事に帰ってきたことを喜びましょう」


 そう言うとマザー・カルラは「中に入りましょう」と言い、私は彼女と共に孤児院に入るのであった。


※※※


 私は自分の部屋に入ると荷物を床に下ろした。


 私の部屋は孤児院の小さな角部屋でもとは物置として使われていた場所だ。


 マザー・カルラは私にもっと大きい部屋をと言ってくれたが私はそれは子供たちに分け与えてくれると断った。


 部屋には最低限の家具が置かれており、二段ベッドのそばに行くと私はそこで眠る人物に声を掛けた。


「ただいま」


 二段ベッドの下で眠っているのは少女だ。


 金の長い髪を持ち、一年以上目覚めない眠り姫。

不思議なことに彼女は飲まず食わずでも平気であり、寝たきりだと言うのに体が衰えていない。

定期的に見に来てくれる医者も彼女の特異な体には首を傾げており、以前彼は「この子は人じゃ無いのかもしれない」と言っていた。


 私は少女の額に軽く指で触れると頷き離れる。


 そして鎧を脱いで裸になると、鏡の前に立った。

背中にある大きな傷痕。

これがいつできたものなのかは分からない。

だがなんとなくこの傷は忘れてはならない、大切な思い出であるように感じられた。


 私はタオルで汗を拭うと体の正面を隠し、こう訊ねた。


「貴女は誰?」



 その問いに答えるものは誰も居なかった。


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