二章 仮初めの契り
鈴子が契約
結婚の形態にも色々あるが、上流貴族同士の
三日間連続で花嫁の家を訪問し、三日目には盛大な
だが中将は
「左大臣家に決定権のある契約結婚なのだから、わざわざ
「何を言ってるんですか。これも全部、中将殿のお
明かりの下で中将からの
初夏の花が
(といっても、私たちが本当の意味で夫婦になることはないわ)
白の
(私がすべきことは決まっている。中将殿のご負担にならないよう、決められたとおりのことだけをすればいい)
左大臣家の命令に従う
もうじき、中将がやってくる。
(あと、私のすることといったら……あ、そうだ)
「きり、中将殿がいらっしゃるまでまだ時間はありそう?」
「半刻くらいなら
「ええ。
ぎしり、と
「ようこそいらっしゃいました。
「待たせた。……その、
「あ、いえ、これは香ではなくて、墨を
「……そうか。ああ、顔を上げてくれ。あなたの顔が見たい」
「かしこまりました」
中将に命じられた鈴子は顔を上げ──数
灯台の明かりに横顔を照らされた男が、鈴子の正面に座っている。
だが鈴子を驚かせたのは、中将の
そんな中将の顔には、見覚えがある。確か、二年ほど前。いつものように
(そうだわ、中将殿のお声に聞き覚えがあると思っていた。もしかして、以前立ち寄ってくださった貴公子なのかも……)
確かあのとき彼は、「自分は
(中将殿は、覚えてらっしゃるかしら……)
ごくっと
「あの、差し出がましいとは思いますが……一つ、お
「ああ、もちろん。一つと言わず、奮発して五つくらい聞いてくれ」
「あ、いえ、今は一つで十分です。中将殿は二年前の秋ぐらいに我が家にいらっしゃったことはございませんか」
「ああ、なんだ。あなたも覚えていてくれたのか」
「あら……ということは?」
「そのとおり、俺は二年前の秋に初めてここに立ち寄った。そのときにあなたの琴の音を聴いたから、俺は父上が碧子の
実章の説明に、そういうことだったのかと鈴子も
(だから、
鈴子は
「あなたと出会えた幸運に、喜びを感じております。……中将
「こちらこそ、よろしく
「ありがとう存じます。……ではですね、
「もちろんだ」
中将が
きりが持ってきてくれたのは、文台だ。その上には料紙と
中将は硯箱を見、首を
「本当に墨を磨っていたのだな。何か書くのか?」
「はい。中将殿と
鈴子は言いながら、料紙を広げた。安いものでいいと
三日の通いを終えると、鈴子は中将の
最初は不思議そうに料紙を
「確かに、後になってもめるよりは先にあなたと相談しておいた方がよいだろう」
「ですよね? それじゃあ寝る前ですが、さくっと決めてしまいましょうか。たとえば……『相手のことは
言いながら鈴子は、我ながら的確な提案ができたものだと満足していた。
(契約の
中将を見上げた鈴子は、彼が
その音で我に返ったのか、
「そのような提案をされるとは思っていなかったので、少し
「お、お
「俺があなたに対して
妙に歯切れは悪いが、ひとまず鈴子の不用意な発言で
「そ、それならいいのですが……あ、それじゃあ何か思いつかれましたら、中将殿もお書きになってください」
「それは……いや、字はあなたが書いてくれ」
筆を
「申し訳ありません。別の筆を持ってこさせますね」
「いや、そうではなくて……俺は、あまり筆を持ちたくない」
中将は腕を組んで、つと視線を
「……すまない。俺は力が強いから、このような
「まあ……そういうことですか。あら? では
「特注の
自分の大きな手の平を
「そうなのですね。あ、でしたら、『困ったときには、相談する』というのはいかがですか?」
「ああ、それならいいな」
そうして鈴子と実章は料紙の前に並んで座り、あれやこれや意見を出し合いながら決まりごとの案を固めていった。
──しばらくして。
「よし、できました!」
「見事な手だ。やはり、橘の
鈴子が置いた筆をきりが回収し、背の高い中将が立ち上がって料紙を
一、契約結婚のことは、部外者に気づかれぬようにすべし
一、
一、
一、困ったことがあれば、必ず相手に相談すべし
一、
一、左大臣には逆らうべからず(重要)
一、どれほど
一、どれほど多忙でも、三日に一度は
一、
一、相手のことを、恋愛対象として見るべからず
誤字がないのを確認し、料紙を
「では、これは
「ええ、そうするつもりです。……あの、
「少しと言わず、いくらでも付き合う」
料紙を掛けた中将がきりっとして言ったので、彼を
「その、殿が私を呼んでくださる名なのですが……橘の姫、とおっしゃいますね」
「ああ、橘家の
「嫌ではありません。ただ、殿には私の名を呼んでいただきたくて」
おずおずと申し出ると、中将は
「……それは、なぜ?」
「そちらの方が仲がよさそうな印象がありまして。私の父も、
「…………そういうことなら、
「はい、なんなりと」
鈴子、と本名で呼んでくれたことにこそばゆさを感じつつ鈴子が
「俺があなたのことを鈴子と呼ぶように、あなたにも俺のことを名で呼んでもらいたい」
「……し、しかし、それは無礼にあたらないでしょうか?」
申し出を嬉しく思いつつ、鈴子は念を押した。
夫が妻を呼び捨てにするのと妻が夫を呼び捨てにするのでは、話が
だが中将は鈴子の
「別に、よその者がいない場所でなら構わないだろう? 俺たちにも
中将に真っ
二人きりのときだけ、中将のことを名で呼ぶ。呼ぶことが許される。
本当は今も
中将のことを、名で呼ぶ。それは彼が、
鈴子は顔を上げ、ふわっと
「……はい。実章様、どうかよろしくお願いします」
「……ああ、こちらこそ。よろしくな、鈴子」
平安仮そめ恋契り 鬼の中将と琴音の姫 藤咲実佳/角川ビーンズ文庫 @beans
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