114 近江路中山道攻略戦(3)


 まず稲葉良通の軍が和田山城に先制攻撃をしかけた。続いて、柴田勝家と森可成の軍が観音寺城を包囲する。


 満を持して、木下藤吉郎と丹羽長秀の軍が箕作城を包囲する。

 箕作城は標高三百メートル余りの小山で、城に通じる道が急斜面で一路しかなく、周りは大樹で覆われた要害であった。


 木下軍は北の口から攻め上る。丹羽軍は東の口から攻め上がる。

 昼過ぎになって、箕作城の門が開き、一斉に攻めかかって来た。激しい戦いになった。血みどろの戦いが数時間続く。上方からの攻撃に晒され、足場の悪い木下、丹羽両軍が徐々に崩されていく。城に続く一路の上り道は死体で埋まった。夕暮れになる頃には、木下、丹羽両軍はおびただしい戦死者を出して、麓まで追い返されてしまった。


 ぼくは陣屋を箕作城の北の口下に移した。

 次から次と、負傷者が運ばれてくる。


「殿、このままでは、戦死者が五百を越えます」前田利家が顔を真っ赤にして言った。「援軍を差し向けますか」

「いや、戦場いくさばは急坂の一本道だ。ここで必要なのは兵の数ではない。知恵だ、戦術だ。サルと長秀に伝えよ。兵を一旦休ませ、食事を摂らせ、軍備を整えよ、と」

「はっ」

 利家が陣屋を出ていく。


 代わって、帰蝶と小六が入ってきた。

「チョウよ、腹ごしらえを頼む。腹が減っては戦はできぬ」

「はい。ただちに」

 帰蝶は笑顔を浮かべて答える。


「殿、風が吹くかもしれませぬ」

 小六が空を見上げて言った。

「うん……。雲行きはどうだ」

「雲の流れからして、琵琶湖からの風が吹くかもしれません」

「そうか」


 ぼくは床几に腰を落として粥を啜り、猪の干し肉をしゃぶった。

「ハチよ、サルと長秀を呼んでまいれ。そなたの風見に賭けてみようではないか」

「はっ」


 ぼくは陣屋を出て箕作城を見上げた。

 城は不気味に静まり返っている。

 七年にも及ぶ美濃攻略戦のことを思い出していた。いくつもの戦いで火責めを使った。とくに城に対する火責めは実に残酷である。大軍を率いる今は、あえて使いたくない戦術であった。だが、今は使わなければより多くの兵の命を失うことになるだろう。


 ぼくは床几に座り、腕を組んで目を閉じていた。

 藤吉郎と長秀が駆け込んできた。

「殿、申し訳ありませぬ」

 二人はぼくの前で膝を落とし見上げる。


「今、使える兵は何名であるか」

「千五百にございます」

 藤吉郎が答える。

「千七百にございます」

 続いて長秀が答える。


「敵兵はどうしておる?」

「曲輪に数百ずつ、残りは城内に籠っております」

 ぼくは立ちあがった。


「そなたらに、われの直属馬廻り衆をそれぞれ千を与える。陣を整えよ。小六の話によると、夜になると、北風が吹くそうだ。奴の予測は外れたことはない。それに乗じて火責めにいたす」

「はっ」


「小六よ。サルと長秀と共に、長さ一メートルほどの松明を五百本用意いたすのだ。一刻を争うぞ」

「はっ」


「大松明を手分けして、箕作山の麓から中腹まで五十箇所ほどに積み重ねておくのだ。風が吹き始めたら、一斉に火を点け、城から出てくる兵を火責めにするのだ。手こずったら、城に火矢をかけよ」


 ぼくは小六、藤吉郎、長秀の顔を順次見詰めていく。

「小六、機を見計らって火矢を空に放て、よいか、それが攻撃の合図だ。迅速さが、勝敗の分れ目になるぞ。心してかかれ」

「はっ」



 午後九時二十分、箕作城上空の漆黒の闇の中に、一本の火の矢が舞い上がった。

 そして、山頂への道に二筋のあかりともっていく。


「始まりましたな」

 箕作城を見上げるぼくに、帰蝶が囁きかけた。

「うん……。小六の風見はたいしたものだ」

「はい」


 二時間ほどして、山頂に一つ二つと松明の灯りで浮かび上がっていく。木下軍の先兵が城門に辿り着いたのだ。北の口からは、次から次と新手の兵が駈け上っていく。再び凄惨な戦いが始まったのだ。


 午前二時過ぎ、物見の兵が駆け込んできた。

「木下軍、丹羽軍が、共に山頂までの曲輪を攻め落とし、城門に辿りつきました。木下軍は、物見櫓を火矢で炎上させております。丹羽軍は、城門で交戦中であります」

「ウム……」


 やがて、山頂は松明の灯りで明るく浮かび上がった。

 物見の兵は、わが軍が城内に突入、肉弾戦に入ったことを伝える。開戦から七時間が経過した。


 午前四時、藤吉郎の近衛兵たちが陣屋に駆け込んできた。

「殿、箕作城を攻略いたしました。敵兵五百を捕虜にいたしました。わが主が殿にお目通り願いたいとのことであります」

「ウム……」

 ぼくは床几から立ち上がった。

「チョウよ、参るぞ」



 翌十三日の午前十時、わが軍は二万の兵で和田山城を包囲した。

 物見の者の報告によると、和田山城の城兵たちは士気が低下し逃亡が相次いでいるという。今や、城内にいるのは、おそらく千を切っているであろう。


 ぼくは稲葉良通に命じ敵将田中治郎大輔に降伏を勧める使者を送らせた。降伏に応じてわが軍の傘下に入れば、所領安堵を認めるというものであった。交渉を開始して間もなく、敵将は配下の兵と共に城を明け渡した。


 午後、ぼくは敵の主城観音寺城に向かった。

 そこでもたらされた情報は、国主六角承禎が二人の息子たちと共に逃亡したという驚くべきものであった。和田山城においては、箕作城を落とした後は敵将兵の逃亡を意図的に認めていた。しかし観音寺城においては一兵たちとも逃がしてはならぬと命じていたのである。おそらく秘密の逃げ道が用意されていたのであろう。


 国主六角承禎を失った観音寺城の支城十八は、その日のうちに我軍に降伏した。ぼくが示した降伏の条件は和田山城と同じである。我軍は僅か二日で将兵を増やすことに成功したのだ。


 ぼくは立政寺に使者を送り、足利義昭に出立を促した。

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