97 永禄八年(1565)の戦後処理


 小牧山城に戻ったぼくは、その年の戦役に功績のあった武将に褒章を与えた。

 まず河尻秀隆。猿ばみ城攻略に大活躍、堂洞合戦でも功績を上げた。彼には猿ばみ城を与える。

 次に斎藤利治。彼は斎藤道三の末子である。加治田城防衛戦に戦功を上げ、岸城攻撃を進言し攻略に成功した。彼には、加治田城とその領地を与える。利治は嫡男忠康を失ってから気力を喪失し隠居してしまった。

 ぼくは利治を養子にして、佐藤家を存続させようとしたのである。

 その他の武将は、その功績に応じ加増した。


 中濃を制圧し、後は東美濃とその拠点稲葉山城を残すのみとなった。斎藤龍興の力は衰退しているといえ、いまだ反撃する戦力を有している。ぼくは、戦続きで疲労している兵士を休めるため、今は中濃を固めるのみにして戦役を拡大させることは止めた。


 十月に入って、滝川一益が権蔵と共に小牧山城に戻ってきた。

 ぼくは帰蝶と共に、書院で二人と会う。一益は細川藤孝からの文を持参していた。藤孝は足利義輝時代からの幕臣である。今は覚慶(足利義昭)の傍に仕えている。


 二人には何も問わず、ぼくはその文を見た。内容は実に簡単なものであった。先代将軍義輝同様。弟覚慶を支えて上洛する意思があるか、と問うものであった。


「覚慶に会ったのか」

 ぼくは一益に尋ねた。

「はい。細川殿の申し出により、一度会いました」

「覚慶は、いかなる人物なのか」

「覚慶さまは僧侶にて物腰柔らかく、冷静沈着な人柄にございます」

「次期将軍につこうとする野心を持っているのか」

「望んでおられます。それは、野心からではなく。自分の身を守りたい故からだと思われます」

「将軍になれば、身の安全は得られると思っておるのか」

「おそらく……」

「一益、そなたは、覚慶が武士の統領としての器を持っていると思うか」

「……それは、難しい質問にございます。人はおる場所で、変わりますゆえ」


「細川藤孝はいかなる人物であるか」

「そもそも細川家は室町幕府の官領を務める家柄にございます。藤孝殿はその分家筋に生まれました。聞くところによりますれば、五歳で将軍に謁見、十三歳で元服、二十歳で家督を継いでおります。若き頃より、和香、茶道、蹴鞠、囲碁、料理などの教養を身に付け、刀、弓などの武術を習得していったものと思われます」

「ウム……」

 家柄、腕前、風流と、全部揃っているではないか。


「歳はいくつだ」

「天文三年四月の生まれですので、今は三十一歳にございます」

 信長も天文三年五月の生まれである。歳は同じだ。


「されど、今は浪々の身にございます」

「そうか、それで覚慶に取り入っておるのか……。それで、藤孝には仲間がおるのか」

「はい。それは、それがしから」権蔵が一益の後ろから声を上げた。

「兄の三淵藤英をはじめ、一色藤長、和田惟政、仁木義政、米田求政らがおりまする。彼らは一丸となって覚慶さまの擁立に奔走しておるのでございます」

「われの他に、誰に声をかけておる」

「近江の六角義賢さま、若狭田義統さま、それから上杉謙信さま、徳川家康さまでございます」

「そうか、われも、その一人ということか……」


「藤孝らは、どのような暮らしをしておるのか」

「禄を失っておりますゆえ、貧窮をきわめております。灯篭の油にさえ事欠くほどにございます」

「そうか、藤孝に当面の軍資金を与えてやろうではないか。チョウよ、一益に銭の工面をしてくれ」

「畏まりました」


「そのかわり、藤孝を通じて覚慶に頼みたいことがある」

 ぼくは一益を見詰めて言った。

「龍興との停戦を仲介してもらいたい。さすれば、上洛し覚慶を将軍に据えることができる」

「そのようにはからいまする」



 それから間もなくして、藤孝から美濃との停戦仲介を覚慶の名で行う旨の返書が届いた。徳川家康からは、上洛了承の返書を和田惟政に出した旨の報告が届いた。

 ぼくは、天下統一の意思を明確にするため、麟の花押を使用することを決め、直ちに実施した。


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