84 犬山城をどう攻略する 小牧山城竣工移転

 

 その年永禄六年(1563)六月、松平元康から徳川家康に改名したという報告があった。今川に{元」の一字を返却したのだ。彼が完全に今川から独立したという宣言にほかならない。


 小牧山の石垣が完成し、周囲に威容を放っていた。

 小牧山の北二キロ余りの所、於久地域に犬山城の支城小口城がある。三年前小口城を攻撃したが、岩村重休を失ったうえ、攻略に失敗した経緯がある。苦々しい城である。


 その小口城から、突然城主中島左衛門ともども将兵が消えた。聞くところによると、将兵どもが城を捨て犬山城に入ったと言う。目前に巨大な石の要塞が聳えたって、恐れ戦いたのであろう。ぼくは新たな可能性を見出した。見せることで戦闘意欲を削ぎ、抑止力とする策である。

 ぼくは直ちに丹羽長秀に小口城の占拠を命じ、西の黒田城を牽制させた。

 犬山城の支城である黒田城の城主であった織田広良は、犬山城主織田信清の弟である。彼は軽海の戦い(70、71話)で戦死、今は信清の家臣和田新介が城主となっている。


 翌七月、小牧山城が竣工し、清州城から移転した。城下は商家、武家屋敷などが建ち並び賑わいを呈している。

 その夜、大広間で祝宴を催した。

 国中の村長(むらおさ)たちが登城し、賀儀を述べる。彼らが献上する祝いの品は、本丸御殿に溢れた。


 その祝宴で、ぼくは戦功のあった配下の将にねぎらいの言葉をかけ、褒美を与えた。この席で最も脚光を浴びたのは、木下藤吉郎であった。

「サル、いや木下藤吉郎、新加納での機転、見事であった。天晴である」

 ぼくは褒めちぎった。


 知恵一つで、数百、数千の将兵の命を救う。

 これからの戦いは、情報と知恵と果敢な行動力が主たる要素となるであろう。武力から策略とカネと行動の時代になるであろう。そう、行動科学の時代に入ったのだ。



 数日後、ぼくは広間に五人の仲間を集めた。今後の策を練るためである。

 第一の課題は、犬山城攻略であった。

 五人の意見は一致していた。黒田城の和田新介の調略である。黒田城は犬山城から二十キロも離れている。しかもその間にある小口城はわれらの手に落ちている。もはや黒田城は孤立状態になっていたのである。


 もう一人いる。小口城主だった中島左衛門である。

 信清は、二人の宿老中島左衛門と和田新介を頼りにしている。今までわれらの攻撃に耐えてこれたのは、この二人の存在があったからだ。今は中嶋左衛門には手を出せない。犬山城内に籠っているからだ。


「殿、和田新介は蜂須賀の縁者でございます。しかも二人は岩田織田家の家来であったことがあります」

 大田信定が、蜂須賀小六を横目で見て言った。

「ハチよ、まことか?」

「はっ」

 小六が調略戦に不向きであることは誰もが知っている。


「この任務は、サル、ハチ二人で行うがよい。われの元に和田新介を連れてまいれ」

「はっ」

「殿」帰蝶が口を挟んだ。

「わざわざ、この小牧山に出向いてくるとは、思われません。聞くところによると、和田新介はひどく用心深い性格の持ち主であるとか」

「ウム……」

「わたしが、人質になりましょう。殿は和田を説得する自信がおわりなのでしょう」

「そうだ、必ず説得してみせる」


「殿」

 今度は信定が声を上げた。

「何だ?」

「チョウ殿の人質の件、内密に進めなければなりません。もし信清さまに知れたら、和田を見殺しにし、本当に犬山城の人質になってしまうやもしれません」


「ウム……。サルよ、できるか」

「話がつきましたら、わたしも人質になりましょう。和田新介はハチ殿に任せます」

 帰蝶が笑顔を見せてぼくを見詰めた。

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