44 五つの提案 松平元康(家康)との密議


「殿、あの若い御武家が、松平元康さまです」

 藤吉郎が、町外れの茶屋の長椅子に腰かけている人物を指さして言った。隣に商人姿の若者がいる。

 ぼくと藤吉郎は野菜の入った竹籠を背負っている。物売りの姿である。


「殿、隣の男は甲賀の忍びでございます。見覚えがあります」

 後ろに控えているカナデが、ぼくの背中に言った。甲賀武士は至る所に出向いておるのか。

「カナデの仲間か。都合がいいではないか」

 ぼくは元康を見詰めながら言った。


「カナデ、あの甲賀の者につなぎをいれてくれ。信長さまが見えられていると」

 藤吉郎が言った。

 カナデはぼくを見詰める。ぼくは元康を見詰めながら頷いた。


 カナデは元康の所へ行くと、片膝をついて甲賀武士に話しかける。元康とその甲賀武士が、ぼくに視線を向けた。ぼくは数歩歩いて頭を下げる。

 元康は立ち上がると、手で長椅子に座るように促した。ぼくはゆっくりと歩いて行く。

「元康さま、わが主君信長公でございます」

 藤吉郎がぼくを紹介する。

「松平元康です」元康は笑顔を見せた。

「何年ぶりですか。懐かしいです」

 

 ぼくは笑顔を浮かべて何度も頷く。

「中に、話のできる場を設けております。どうぞ」

 元康は笑顔のままでぼくを誘った。


 藤吉郎が先に茶屋の中に入った。そして茶屋の入り口から顔を覗かせる。

「殿、どうぞ、お入りくだされ」

 ぼくは茶屋の中に入った。二メートル幅の土間があり、それに隣接して四畳半ほどの板張りの部屋があった。ぼくは部屋に入り、胡坐をかく。元康は僕の前に腰を落とし、徐に胡坐をかいた。


 ぼくは懐から於大からの文を出し、元康の前に置いた。

「そなたの母君、於大の方からの文です。目を通してくだされ。さすれば、われがここ迄出向いた訳が分かるでしょう」


 ぼくはこの文の内容を知っている。於大がぼくにこの文を託した時、中を改めるように言ったのだ。於大はぼくに対して信頼の証しを示したかったのであろう。この文には、ぼくとの約束事が書かれてある。一つは尾張は三河を独立した国として認めること。二つは対等な立場で同盟関係を結ぶこと。三つは尾張と三河は協力して今川に対抗すること。最後に、於大の望みが書かれている。われは、竹千代ぎみと共に暮らしたい、と。


 読み終わると、元康は土間を振り返った。

「又造、火を」

 甲賀武士は火縄に火をつけて元康に渡した。元康は文に火をつける。文は燃え上がり黒い灰となって板の間に降った。


「信長殿、この者は甲賀の忍び、又造といいます。これよりお見知りおきくだされ。今川屋敷におりますと、世間のことがまったく知ることができませぬ。月に一度、この茶屋で落合い、世の中の出来事を聞いております」


 火縄を又造に帰すと、元康はぼくを真剣な眼差しで見つめた。

「話の大筋は、分かりました。信長殿は、この先、どのようなことを考えておられるのか、お伺いしたい。」


「元康殿もご存じと思うが、沓掛城、大高城、鳴海城は、もともと尾張の支配下にあった城です。われは、この三城を取り返す所存。来年春、われは、まず大高城と鳴海城に付け城、五つの砦を築きます。大高城と鳴海城を孤立させ、物資の搬入を阻止するためです」


 元康は顔を両手で覆い、指の間からぼくを見詰めた。

「元康殿には、五つの提案があります。よろしいかな」

 元康はぼくを見詰めたまま小さく頷く。

「もし、われが砦を築いている最中、義元から話がありましたら、こう進言していただきたい。砦といっても小さな砦、出来上がってから、大軍をもって一挙に叩き潰しましょう。その方が敵の戦意を崩すことができましょう、と。これが、ひとつめ」

 元康は無言で頷く。


「大高城、鳴海城が孤立し、物資が乏しくなれば、義元は物資を搬入するために、兵を向けてくるに違いありません。その先兵となるのは……」

 元康は苦笑した。

「義元は、駿府、遠江の兵を温存し、この危険な任務を、三河の兵に命じてくるでありましょう」

 ぼくはそう言って作り笑いを浮かべた。


「われは、丸根砦に三百、鷲頭砦に二百の兵を配置しておきます。元康殿は、丸根砦攻撃を志願していただきたい。これが、ふたつめ」

 ぼくはそう言って、元康の顔色を窺った。彼は無表情だった。

「丸根砦のわが兵は、形だけの戦いしかしません。そうそうに、中島砦に退却いたします。ここでの戦いは、互いに一兵の兵も失わずに、終結させます。元康殿は、この旨、兵に徹底していただきたい。これがみっつめ」


「容易きことですが、何か腑に落ちません。信長殿の狙いはどこにあるのですか」

「われは、丸根砦で、元康殿と合流いたす所存。三河の甲冑と旗印を貸してくだされ。これがよっつめ」

 ぼくは元康の返事を待った。

「それも、容易きこと」

 彼はそう答えて腕を組んだ。


「そこで、鷲津、丸根砦を攻め落とした旨の報告を、義元本陣に遣わせることになります。そうですね」

 元康は頷いた。

「その使者にわれとわれらの兵を加えて頂きたい。これが、いつつめ」


 元康は腕を組んだまま天井を仰いだ。

「又造、この話、どう思う」

「信長さまにお伺いいたします」

 土間から又造の声がした。

「構わぬ、申せ」

「なぜ、使者に加わるのですか」

「決まっておるではないか。本陣の状況を知るためだ」

「御大将、自らですか」

「そうだ。今までは戦の先頭に立ってきた。これからも、敵の矢面に立つことにしておる」


 思案しているのか、元康は沈黙した。

「元康殿、もし、われが戦に敗れたとしても、元康殿には、戦勲はあれども、義元から咎められることはありますまい。どちらに転がっても、松平家は安泰ですぞ」


 元康は声を出して笑った。

「まだ腑に落ちぬ所があるが、今は、いかしかたあるまい。承知いたした」


「カナデ、ここに」

 カナデがぼくの傍に控えた。

「元康殿、この者はカナデと申し、われの素っ破でござる。お見知りおきくだされ」

「われの又造も、甲賀の出、お見知りおきくだされ」


「春が、待ち遠しい」

 ぼくはそう言って、元康に笑みを向けた。

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